「道成寺」対談

きたまり(振付家・ダンサー)×中島那奈子(ダンス研究・ダンスドラマトゥルク)

木ノ下歌舞伎『娘道成寺』 撮影:東直子

古典への取り組み~東洋的身体とは?

中島(以下N):『娘道成寺』は2008年から継続的にやってらっしゃるのですよね?
今回は6回目ですか?きたまりさんのご活動や作品を拝見していて、最近は、古典に取り組まれる興味深い試みをされていると思います。コンテンポラリーのダンスの方で、伝統芸能や古典に取り組む方は、それほど多くないと思いますが、「道成寺」や『あたご』(※1)などの古典を、振付家としてご自分の作品に取り込む過程で、どのようなことを考えましたか。新しい学びや、視界が開けたことなど、どのようなことがありましたか?

きた(以下K):たぶん古典を始めて、振り付けの概念が広くなったというのが一番大きいと思うんですよね。振り付けっていうものが、その時代を物語るものである、言葉とか写真とかではなく、その当時の人々の暮らしが背景にあって、身振りとして残っていることに気づいたことで、振り付けをアーカイヴ・記録として残せる。振り付けに対して色々なアプローチができるようになったな、と。
ただ、『娘道成寺』を始めたときには古典という意識でやっていなかったんですよね。2012年あたりも古典っていう意識でやっていなかったかもしれない(笑)。このとき長唄を使っているんですよね。でも江戸時代に出来ているものだから、京都的な感覚で言うと「最近」じゃないですか。

N:(笑)

K:結構「現代音楽」じゃないですか。平安時代とかに出来ていると、古典な感じはするけれど。

N:リズムがそうですね。

K:リズムが違うし、娯楽性が強いし。
2014年ぐらいから、RE/PLAY(※2)の関係でアジアに行きだして、そこから古典というものを違う角度で見だしたということはありますね。
同じアジアでも、違う国に行くとその国の古典を求めてしまうんですよ。ダンスのリサーチをするとね。すると、シンガポールやフィリピンの中心地は近代化されて、西洋文化が根強いんですよね。そういった地域は古典というものがどんどん失われてきている。逆にカンボジアなんかは、西洋文化は踊りの中には入ってきていない、入っていてもみんな古典出身の舞踊家だったりしますね。
日本では念仏踊りが好きで見続けてるんですけど、去年、朽木村の六斎念仏を習って、そのあとに京都の六斎念仏(※3)を見 に行ったら、腰の高さが全然違うんですよ。やっぱり山の中は腰が低いんですよね。

N:そうでないと山の中では踊れないということですね。

K:そう。街の人は伸びていて。京都って都だったんだなぁと。何百年も経って改めてその当時から都であったというのを実感して。

N:アジアの芸能特有の身体は、腰を下ろしたポジションだとよく言われます。山の斜面があるから、地面のアップダウンがあるから、腰を落として姿勢を低くしないと踊れないという理由が、実際にわかる時、ハッとさせられますね。
足の動きである反閇やおすべりも、元々陰陽師のまじないの動きからきているという説もあります。踊りの動きの元の意味は、今の動きからはわからないことが多いです。ただ、元の動きの意味を発見するおもしろさは、民俗芸能や古典に向き合わないと出てこない気がします。
私はもともと日本舞踊を踊っていたのですが、海外に行って踊りの世界から距離をとったことが、古典とか伝統をもう一度考えなおすきっかけになりました。というのも、伝統芸能の内側にいると、伝統を相対的に考えない傾向がある。
私も最近アジアで創作を行なうことが多いのですが、日本と比較して、そこでの伝統とは何なのかを考えていたところです。現在進行しているものでは、ダンスにおいて台湾の伝統とは何か考える作品に関わっています。台湾はこれまで、日本を含めいろいろな支配者が入れ替わってきた歴史があるので、その支配者によって、文化的伝統もくるくる入れ替わってきた。そのため、いま彼らは、自分たちのルーツとしての、古典や伝統芸能とは何かを模索しています。それを考えると、もう一度私にとって、日本の古典や伝統が、どういう背景で作られたものかを考えさせられる。きたまりさんがそういった問題を考えようという点に、共感します。

きたまり(左)、中島那奈子(右)

K:伝統を考えるというよりは、東洋的身体とはどういうことか、ということを大きく捉えようとしている感じはしますね。伝統を考えるとちょっとややこしくなるな(笑)。民族の問題が強く入ってくるので。やっぱり民族といいながらも地域なんですよね。でも、国ではなくて地域になってくるとリサーチが終わらなくなるんですよ。だから、どこに焦点をあてるかは模索してます。
私にとって、古典というよりは、東洋的身体というものを扱って振付けをしたいな、という意識が最近は大きいんですよね。難しいですけどね。日本の舞踊は西洋化されているから。

N:ミックスしちゃっているのですね。

K:そう。だから、そこで東洋的身体を見つけたとしても、それをどう現代に変換してダンサーに振り付けるか、というのは、非常に困難な道にはなってくる。
けれども、意外とそういう感覚って、たとえば日本じゃなくて韓国のダンサーの方が伝わる、踊りやすかったりとか、インドネシアのダンサーの方が私の振り付けを踊りやすかったりするかな、という興味があったり、創作の要求としては広がっていってます。例えば『あたご』のお囃子の(嵯峨大念佛狂言 (※4))のリズムができたのは500年から700年前だと思うのですが、音そのものを、別のレイヤーで考えないといけないと思いました。音があって振りは別のレイヤーで考える。振り付けと、音を、あんまりミックスできない感じがあるんです。

N:そうなのですか。

K:お囃子が演者に音をあわせて進行して寄り添ってくれるんです。だから『あたご』でも、その関係性でした。ただ「道成寺」は、歌なので、音楽自体の歌の背景に振りが寄り添う感じはあります。

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『あたご』(撮影:前谷 開)

 

木ノ下歌舞伎『娘道成寺』のはじまり、物語に回収されない面白さ

N:せっかくですので、「道成寺」のことを詳しく聞きたいです。長く取り組まれているから、毎回色々考案されていると思うのですが、はじめはどのようにこの大作に取り組もうと考えたのですか。

K: 2008年から2013年の『娘道成寺』の創作は辛かったという思い出しかないですね。

N:どういうふうに取り組むか、が辛かったのですか?

K:なんでしょうね。なんかこう・・・女の執念というものが、簡単に認識されることがつらかったのかもしれないです。終盤でワッと踊ると、女性性だとか、女の執念がとか、憑依とかっていう言葉に変換されるのが、つまんないなと思って。真面目に振り作って、作品にしているのに、踊りがそういった言葉でまとめられると、非常に不愉快だな、っていう・・・。

N:なるほど。

K:でも、そうではない踊り方はできないし。そのへんのゆらぎみたいなものがあったから辛かったんだろうなって。

N:『娘道成寺』の話に面白さと難しさがあるのは、私も同感です。また、道成寺ものは、日本芸能での金字塔のようなレパートリーとして大切に考えられているし、踊る方も『(娘)道成寺』を上演してやっと一人前とされる、ものすごく重い演目です。
でもわたしは、この話を丁寧に追う時に感じる違和感もあります。すこし距離をもってこの作品を見た時に、この人少しかわいそうだよな、好きな人が逃げてしまったから追いかけて行ったのに、結局鐘に巻きつく蛇になってしまって、しかもお坊さん皆に説き伏せられて、それで消えてしまう。しかも成仏できない(笑)。

K:(笑)

N:それ本当はかわいそうではないのかな、と思うところもあります。

K:そうですね。

N:そのような「道成寺」の語りに対するとまどいはあるのですが、『娘道成寺』自体には見どころがあって、演目としてすごく好きです。
かつてニューヨークに住んでいたときに、お能の『道成寺』をベースにしたメディア・パフォーマンス作品『mech[a]OUTPUT』のドラマトゥルクを務めたことがあります。(2010年、ニューヨーク・ジャパンソサエティー)振付家・ダンサーはクシルジャさんというマース・カニングハムの訓練を受けた方で、彼女はウースターグループのメンバーでもあります。クシルジャさんはNYに行く前は在日のアーティストでしたが、その時に、随分葛藤があったそうです。『道成寺』の演目はすごく好きで、日本の伝統芸能への憧れもあったものの、自分は日本人ではなく、また女性だから、お能の世界には入れない。加えて、この物語自体も非常に悲しく書かれていて、女の人は悪者となり退治され、成仏もできない。それをどうにかアップデートした形で上演したい、というので、彼女は黒川能に残る『道成寺』の前の形と言われる「鐘巻」の結末を採用して、それを現代化することを思いつきます。これを採用すると、鬼女は鐘に巻きついて僧侶に退治されるのではなく、我に帰ってハッピーエンドになる、という終わり方になります。クシルジャさんは、『道成寺』をその解釈で上演したいと話していて、私も納得させられました。

K:こんなことを話していいのか分からないんですけど、私も最初に木ノ下君に話をきいたとき、なんてつまらない話なんだろうと思って。

N:というのは? 話がシンプルになるということですか?

K:西洋でも東洋でも。古典って、なんていうかな、安易じゃないですか、物語が。大抵の話は女が身を引くみたいなことだったりして。この話もね、つまんない話だな、と思って最初やっていたんですよ。
その話以上のところに行けない、話の枠から飛び出さないから。それで見る人も解釈しちゃう。自分の中で何を見たか、というものを整理しちゃうから、踊ってもあんまり面白くないな、という気持ちがどこかにあったんですよ。
だから、初演ではミュージシャンを3人つれて、長唄をアレンジした音楽を生演奏で上演したんですけど、2012年に再演するというときに、「思い切って長唄を使ってみましょう!」ということになった。それで、試したら長唄で振り付けをつくるのはおもしろいなって思ったんです。ただこの時は<梅とさんさん(わきて節)>などいくつかのくだりをカットした40分の短縮版なんですよね。

N:ただ、踊りとしては重要な部分ですね。

K:重要なんだけど、本編のストーリーには関係のないところをカットして上演したんですよね。
ただ、横浜にぎわい座ののげシャーレでやったときに、初日は完成した実感がなくて。確か2、3日目に完成したんですよ、本番中に。これ、完成したな、という瞬間を非常におぼえていて。
何が完成したかというと、振りを考えずに、次はどういう動き、歌詞に沿ってこの詞章ではこの動きっていうのは決めているんですけど、聴きながら動くっていう状態ではなくなったのが、のげシャーレの3日目ぐらいにあったのかな。それで完成したなって思ったんですけど、次の日の公演から全然ダメで(笑)。
それで、このダメな感覚はなんだろうというのを考えた時、ちょっとわからなかったんですよね。振りが身体に馴染んだのに、なんかこう、「道成寺」を踊ることに違和感を感じたという。その違和感が怒りになって、のげシャーレでは、とにかくこの話がつまらない、ちょっと髪振り乱して踊ったら情念が見えるとか言うんでしょ、という、この作品への怒りに満ち溢れていたんですよね。それって何かというと、物語に回収されることへの怒りなんですよ。私は物語を演じるために踊っているわけじゃない、という。
次の年に、この怒りの解消方法がわからないままチリでやったんですね。ほんとにね、こういうことを言うのはよくないけど、チリでも踊っていて、結局つまんないな、という状態があったんです。やっぱりそれは物語に回収されることなんですけど。自分の体もその物語に寄り添おうという気持ちがあって、「口説き」とかでしなってしまう。誰もそこにいないのに、そこに愛しいひとがいるみたな。踊りというか演技に入っちゃう、そこに対して違和感を感じて。
カットした部分って曲で言うと余白なんですよ。余白のない踊りはつまらないな、と思って。音をカットしたことによって、物語を伝えるためだけの踊りになってしまって、その状態で踊り続けるのは非常におもしろくない。やっぱり踊りの面白さは本編より余白にあるのではないかな。余白があると本編が充実する、寄り道した方が、創作が充実するじゃないですか。
そうしたら木ノ下歌舞伎の10周年で、長唄ノーカットでやりましょう、となって。

N:よく言われていることが、歌舞伎舞踊の『京鹿子娘道成寺』は、歌舞伎の海外公演で見せると観客にウケないということです。その理由は、明確なドラマがある『勧進帳』のような作品と違って、この舞踊は論理的に作られていないからだと言われます。大筋と関係ない、様々な踊りの見せ場が入るから、歌舞伎舞踊を見慣れない観客はそれに納得できず、楽しめないということです。それは、もしかしたら、きたまりさんが言っていることと繋がっているのかもしれない。いわゆる物語ではないところに、踊りの本当の面白さはあるものです。物語の意味に回収されてしまう動き、もしくは、言葉の意味に回収されてしまう振りや演技、だけだと舞踊としての面白さは消えて、演劇として筋を身体の動きで説明するだけになってしまう。
大筋には関係ないけど踊りの見せ場、という部分にこそ、そのような物語の縛りから解放された踊りの面白さが出るように思います。ですので、裏を返すと、『娘道成寺』が持っている舞踊としてのポテンシャルは、そういうところにあるのかもしれません。
私はきたまりさんが、長唄を使って踊られたのを見て、すごい試みをされるなと思いました。というのは、自分が踊った演目ということもありますが、『娘道成寺』の長唄を聞くと、どうしても歌舞伎舞踊の振付を思い出して、そこから感覚的に自由になれない。
でも、きたまりさんはご自分のスタイルで踊っていて、伝統の音楽的背景と、身体の動きが拮抗するようで、すごいと思いました。古典の作品を新しくするときに、元の音楽を使うかどうかは大きなポイントで、というのは、伝統の重さや古典の強さはそういう要素と密接に繋がっているからです。特に音との関係で舞踊の動きは作られているので、そのままの音を使うか使わないかだけで、伝統となるか、新作となるかという位置付けさえ決まったりする。でもきたまりさんは衣装では、着物を着ずに、ワンピースを着る。でもワンピースの色は赤なので、『娘道成寺』の乱拍子の緋色の着物を思い出させたりもする。
この話をつなげて良いかは分からないのですが、きまりさんは、元々舞踏の訓練をされていましたよね。舞踏には、音と身体の動きだけでなく、言葉と動きの関係性を深める訓練もあるように思います。加えて、最近は、木ノ下さんとの『娘道成寺』を含めて、多田(淳之介)さんや演劇の方とのコラボレーションを活発に行われています。それは、日本の舞台芸術に特化した言葉と身体の関係、すごく複雑で密着した関係、を探ろうとしているのでは、とも受け取れます。古典の中には、さっき出たような演技的な動きもあるし、そこを飛び越えるダンス的な動きもあって、そのあたりの言葉と身体のごちゃごちゃした関係がある。きたまりさんのこれまでの舞踏の背景や、そういった演劇の方との最近のお仕事の流れは、そういった言葉と身体の取り組みという点でつながっている気もする。そのあたりは、どうお考えですか。

 

言葉との距離、実感をともなった言葉

K:言葉とはいつも格闘しているというのがまず前提としてあります。舞踏のお稽古は、ある種、詩的な言葉というのがあふれていて、言葉からイメージをして身体を動かすというお稽古を17歳から22歳ぐらいまでやっていたのかな。
けど、22歳で舞踏の詩的な言葉に嫌気がさしちゃって、わたし完全に舞踏をやめたんですよ。ちょうど大学を卒業するタイミングで自分の創作もしっかりと始めたいし、舞踏というものと距離をおいていたんですよ。
けど、それまで舞踏の言葉しか知らなかったから、それ以外の言葉、舞台芸術における言葉っていうものはどういうものなのか、演出とか振り付けするときに、どういう言葉が一番演者にとって伝わりやすいことなんだろうということを3,4年考えた後に、毎月1回わたしが聞きたいことを聞くだけのトークセッションをはじめたんですよ。そのときに、多田淳之介、小野寺修二、益山貴司、山崎彬といった演出家を招いたんです。その縁で、演劇の人と仕事をすることが多くなって。私も役者さんと作品を作ったり、言葉というものから振り付けをどうつくるかっていうことに興味ができて、詩的ではない「きょう私ごはん食べてここに来ました」ぐらいの日常の言葉で振り付けを立ち上げるということに興味が沸いたんですよね。
その過程の中で気付いたのは詩的な言葉であろうと日常的な言葉であろうと、言葉って説明のためにあるんですよね。でも説明のためにダンスをやっているわけではない。そこからまた違う身体の言葉ってなんだろうってことに移行していったのが、2012年あたりですね。自分にとって、言葉の捉え方は変化し続けているんですけど、ダンスをやっていると、言葉が先行すると非常に違和感を感じるんですよ。身体と言葉がうまく噛み合う状態にある感覚を探しながら身体を動かしています。
実は去年ぐらいから久しぶりに舞踏の稽古を再開しまして、22歳の時に拒否感を感じた言葉が、今は受け入れられる感覚があったんです。身体に実感を伴って言葉を受け入れる過程は、訓練が必要なんですよね。最近ようやく言葉に対して距離感がようやく最近整理してこれたかなとは思います。だから、自分が演出して人に言葉を投げかけるときに、この人にはこの言葉の方がよいっていう判断基準がクリアになってきてます。
やっぱり実感なんですよね、言葉っていうのは。言葉通じなくても分かるっていうことがまずあるじゃないですか。

N:いいですね。言葉も身体もアップデートしていく。一つの言葉/身体がもっているイメージが膨らんで、言葉/身体が指す範囲を超えて広がっていくことで、それをもう一度身体/言葉に落とすことが出来るようになる。身体も言葉も、そのアップデートとともに広がっていき、より大きな可能性を孕んでいく、たぶんその行き交いがきたまりさんの中にあるように思います。さっきも『娘道成寺』の振りをつけるときに、言葉からつけるとお話しされていましたね。振りを音や拍子でつけることも出来るけど、きっとそういう試行錯誤の中で、あえて振りと言葉を考えているのは、ご自分の中に身体と言葉を引き伸ばそうというご関心からくるのでは、と思いました。

 

古典をアップデートしていく

N:今回春秋座で『娘道成寺』を上演されますが、どのような観客を想定していますか。これまでのように、現代演劇やコンテンポラリーダンスの観客に向けて見せる感覚なのか、それとも、例えば、日本舞踊などをやっている人にも見せる感覚はあるのかどうか。

K:嵯峨狂言 の人に来て欲しいなと思っています(笑)。嵯峨狂言は今まさに『道成寺』を数十年ぶり復活させようとしているところなので、見て欲しいなと。

N:なるほど、民俗芸能とか伝統芸能の人たちも、自分たちの伝統をもう一度作り出さなければならない。作品が廃れて失われてしまった時には、ほとんど新作を作るぐらいのことをしているわけですよね。その意味では、伝統と新作がほとんど同じ位置にあったりする。これは日本だけでなく、いま世界中で起こっていることですが、伝統と考えられている芸能が本当は最近作られたものであったりします。そのリバイバルを、その文化の伝統だと皆が信じる装置が働いているのですが、きたまりさんの試みとは対照的な感じがあって面白いですね。
加えて、最近、日本舞踊とか歌舞伎でも(漫画やピノキオを新作にする日本舞踊協会や「ボーカロイド」を融合した超歌舞伎など)多くの実験をやっていて、元々の振りやテクニックにない発想に挑もうとしている。そういった試みは、ジャンルや伝統を飛び越えようとするものの、そのジャンルの中での実験であると捉えられます。そういう試みと、現代演劇の中できたまりさんや木ノ下さんがやっている試みは、ジャンルは異なるものの、外からの古典のアップデートだと私には感じられます。双方の実験が、同時進行で起きていることが、非常に興味深いです。

 

歌舞伎のコンテクストを使ってダンスのコンテクストに置き換える

N:『娘道成寺』を作るなかで、木ノ下さんとは、どのようなやり取りがありましたか。ツッコミを出されたり、これはこうなのではないか、のような対話はありましたか?

K:知ってる方は知っていると思いますけど、木ノ下さんは非常に紳士的な方で(笑)。とにかく褒めてくれるんですよ。お稽古で見せてもとにかく褒めてくれる。「すごいです、きたさん!」から始まって、とにかく褒めて、最後にちょっとだけ気になったところを言って帰っていく。
私は振り付けしてる姿を見られるのは苦手なので、通しのときだけ来てもらって、というやり方なんですよ。時々、来てもらって、見てもらう。で、褒めてもらって、最後に何か言ってもらって、はいありがとうございます、では次回、というやりとりです。簡単に言うと(笑)。

N:そうですか。木ノ下さんは木ノ下歌舞伎のコンテクストで見てコメントされるのだと思いますが、たとえば、もしこれを、歌舞伎舞踊『娘道成寺』というコンテクストをはずしてダンスとして見るとどうか、といった視点も当然必要なわけですよね。木ノ下さんとのやりとりで、歌舞伎ではなく、ダンス作品として見た時には、どのような連想が生まれてくるのでしょうか。

K:歌舞伎のコンテクストを使ってダンスのコンテクストに置き換えているというのが私のやっていることだと思います。お客さんには、「はて『娘道成寺』とは何でしょう」という方もいっぱい来られていて、お話に回収されない人に楽しんでもらえるというのが一番大切なことだと思いながら作っているんですよね。この動きが次どのようになっていくのか、っていうのがつながっていく、というのは非常に意識して作った振りだなと思っていますけど。

N:なるほど。たしかに流れるように踊ったら、新舞踊のようになるかもしれません。この衣装にされたのはどんなきっかけだったのですか。

K:今の衣装は2017年からのものですけど、そのときに私がリクエストしたのは、「早替えをしたい」(笑)。歌舞伎の道成寺も衣装がどんどん変わっていくじゃないですか。いままでも赤と白で、最後は白になるっていうことはあったんですけど、脱ぐときみっともなかったんですよ(笑)。モタモタして、素の身体になってしまう。服を脱ぐっていうことは日常的な動作だから。そういう日常的な動作を入れずに衣装が変わるということをリクエストしたんですよ。あと、重たくないっていうのが重要で、ソロでずっと踊っていると、前半で汗だくなんですよ。

N:早替えは衣装をどんどん脱いでいくから、衣装も軽くなりますね。

K:そうなんです。それで脱いでいくようにリクエストしました。
難しいですよね。着物に寄せるということが出来ないし、しようと思わない。着物に寄せた衣装っていうのが私にとってあまりにも想像がつかないし、それとの距離感が欲しいなっていう・・・

N:衣装を着物に似せないという選択と、振りを元の歌舞伎舞踊に似せないという選択は、繋がりますか?

N:振りは結構盗んでますよ。ご存知の方は気づくと思いますけど。かなり歌舞伎舞踊をそのまま似せてる部分もあります。もともと長唄で歌舞伎舞踊の振りでなっているから、やっぱり合うんですよ。その振りが合うところは、そのままではないですけど、モチーフとして使っています。一番わかりやすいのは「口説き」だと思っていて、「口説き」は、歌舞伎舞踊は実際手ぬぐいを使っているけれど、私は「エア手ぬぐい」。手ぬぐいを使わないで手ぬぐいを使うっていう。手ぬぐい自体を見立てるというね。

N:そうですか。歌舞伎舞踊の振りは、初めに完コピ (※5)をしたのですか?もしくは習っていたとか?

N:完コピはしないです(笑)。映像を見てです。木ノ下歌舞伎って、よくそう言われるんですけど、わたしは稽古場に誰もいれないからしないんですよ。舞踊においてはやる必要を感じない。完コピのしようがないじゃないですか、物も使うし。
最初は物を使おうとか考えたんですけど、物を使うと、後見が必要なんですよ。踊りの中にそういう作業を入れたくなくて。そういう作品だったらいいけれど、『娘道成寺』はそういう作品じゃない。日常的な、服を脱ぐとか、物を使ってそれをしまう動作とかを、振り付けに入れたくなかったんですよ。とにかく完コピはせず、ビデオの中で、この身振りやモチーフは盗めそうだな、というところだけ盗んで、ということはしていますね。能でも歌舞伎でも、和装の衣装って、あの空間性がないと意味を成さない動きが結構多いんですよ。その環境だからこの音とこの動きがマッチしているというか。私の『娘道成寺』は紅白幕でスピーカーで音が流れるという中では、後見が出てきたらデュオみたいになるじゃないですか(笑)。違和感なく採れるものだけ採っています。

N:それは、(坂東)玉三郎さんの振りとかでしょうか?

K:何人かビデオは見ているので。踊り方は変えているけれど、振りのベースは一緒ですよね。

N:流派によって部分的に振付は違いますが、構成や大枠は一緒です。

K:3人ぐらい見たかな。<山づくし>の稲荷山とか、ほんとに恥ずかしいぐらいそのままやっています。でも手の形はちがいますね。最初の乱拍子は悩んだけど。

N:私もこれまでに娘道成寺に関する様々な試みを見ていますが、着物での元の振りに近づきすぎると、作品が危うくなることが、結構あります。古典や伝統芸能を元にした作品を作る時は、原典から離れようと思っても、どうしても結局似たものが出来上がってしまう。というのは、大抵その古典を一度習ってから創作にかかるので、長く受け継がれて良く出来てもいる作品に、敬意を払うというか、その力に負けてしまって、その人個人のスタイルが弱くなる傾向がある。そのような例をかなり見ていたので、逆に、きたまりさんの場合は離れていていいなと思っていました。きたまりさんの娘道成寺は、音はそのまま使うものの、衣装を着物に似せないせいか、動きもどこか清々しい感じがする。

K:そこは気を付けているというか。本当は日本舞踊をめちゃくちゃ習いたいんですよ(笑)。習いたいけれど習えないっていうのは、やっぱりこれをやっているからというのもあるんですけど。やりたくてしょうがない時期があったんですけどね。それをどっぷりしちゃうと出来ないだろうな。

N:訓練を受けた側から言うのは難しいのですが、訓練を受けていないこその、発想の自由さはあります。それは、以前クシルジャさんの作品でのやりとりでもあって、元の振りやしきたりを知らないからこそできる面白い発想があると感じていました。逆にルールとか文法を知ってしまうと、それにそぐわない形での振りの発想が出てこなくなる。知ってしまっているから、飛び越えられないというか、別の発想が出てこなくなる気がします。ある意味、知っているというか、元の訓練をしたからこその難しさもあると思います。

K:日本舞踊を習わない理由に、人に敬意を持ちすぎると怖いなっていうことがあります。作品には敬意をもっているんですよ。「道成寺」という作品であったり、長唄には、非常にいろんな気持ちをもっている。けれども、いま実際生きている人にそういった感情をもつと、人間は情という感情が一番強い、そしていちばん邪魔なものだなという気がするから、そういうものがあると、この振りはこのまま守らなければならないっていう風になっていくのかもしれないな、というね。
そのへんの距離感というのはもっているから、そう言う意味では毎回アップデートできる感覚はありますね。

N:難しいことですね。

K:でもね。ものすごく色々と真似していますよね(笑)。いま思い返してみると。足の拍子のとり方であったりとか。いろいろね。

N:きたまりさんの作品を、観客としてどういう人が見るかというのは、今後大事になってくると思います。古典の人が観てどう言う風に反応するか、逆に現代の人が観てどう反応するか。そういう見方がきたまりさんの活動の方向性を、決めていくような予想も出来る。作品を見る人がどのような反応をするかによって、作品の位置付けが変わるように感じます。日本舞踊や、コンテンポラリーダンス、というジャンルの問題以上に、この試みに対して、どのような人が、どのように反応して、どのような問いを投げかけるか。すごいという人もいるし、怒る人もいるかもしれない。そういう可能性のある企画だと思います。

K:そうですね、あんまり考えてないかな(笑)。本当に沢山の人に見てもらったらいいなというのもあるし。
松本のとき(2018年まつもと市民芸術館公演)に、客席にお客さんがいないんじゃないかっていうぐらいに静かだったんですよ(笑)。ゾッとするぐらい。えっ、いまお客さんいるかな、、、本当に物音がしなくて。ちょっとあれは怖かったんですけど。そういうお客さんもいいし・・・いや、でも難しいですね。「道成寺」はお客さんが結構静かになるんですよね。
チリでも静かになったもんね、チリのあんなうるさいお客さんでも静かになりましたから。長唄の始まりの音も含めてなんですけど、黙らなければいけないと思う空気になってしまう。でも、すごくガヤガヤした客席でもやりたいなと思ってますよ。みんながポリポリ食べながら。

N:巻き戻しで、終わりからやるというのはどうですか?

K:それね、一回やったときに祟りみたいなことが起きたのでダメなんです。『道成寺』をリメイクしても、やってはいけないことがあるんだなと。巻き戻しって出てきちゃうことになるから。鎮めるんじゃなくて。

N:歌舞伎の人は公演前に、道成寺にお参りに行ったりしますね。

K:私もいきますよ(笑)。2017年から行ってますよ。

N:そうですか。私も以前一度行きましたが、あそこは日高川があって、鐘が吊ってあって、あまり賑やかな所ではないですね。でも日高川に行くと、あそこから飛び込むイメージが、道成寺の石段をのぼると、乱拍子のイメージが湧いてくる。たしかにあの石段を見ると、登って行って鐘にたどり着くっていう過程が、すごくわかる。嘘か本当かも分からない作られた話ですが、道成寺がある種の聖域であるとは感じられて、もちろんそこが女の人は入れない聖域だったからこそ、そこに入って行った女は蛇になってしまったという悲劇が立ち上がる。
「道成寺」を踊るのは、一つの伝説になってしまった女の人の悲劇を、踊り手の身に受けるような、鎮魂の意味もあるように感じられます。あの道成寺への道を辿ることも、いまの、この生きている身体に、その時空を落としこんでいくといいますか。

K:2017、2018年は行きましたね。今年もたぶん秋に行くんですけど。
2018年は、道成寺祭の時に行ったんですよ。大きい、もう10何メートルっていう大蛇が、石を登って行って、鐘に巻きついて、っていうお話を再現するっていう祭。大蛇の口から赤い煙がワッて出て。その大蛇を運んでいるのは地元の中学生なんですよ。(笑)。
それで、安珍役が小学生なんですよ。なぜなら、鐘が小さすぎるから入れない。でも、京都の岩倉の妙満寺に道成寺の鐘を祀っているじゃないですか。それもめちゃくちゃ小さいんですよ。そのくらいのサイズの鐘に子供が入って、大人が隠しながら子供を逃して、代わりに骸骨を入れて、最後鐘の中に骸骨がいるという(笑)。地元の子供たちが楽しんで、それでおばあちゃんたちが周りで鎮魂の踊りを踊っている。なにこの祭りって(笑)。
でも、本拠地でやっている祭がこれなんだと思うと、可能性を感じますよね(笑)。「道成寺」というものの持つバイタリティっていうか。さっき女の人の悲劇と言ったけど、安珍の悲劇でしかないなっていう。どっちもどっちなんですけどね。
私たちは本当に真面目にやっているし、道成寺の祭自体も真面目なんだけど、どこかコミカルであるっていう。

N:たしかに「道成寺」は他の芸能でも、逆さ吊りになって鐘から出てくるとか、アクロバット的な鐘入りや軽業もありますし、そういう意味では悲しい話一辺倒ではないですね。

K:「道成寺」の絵解き も面白いじゃないですか。なんだろうこの芸事って。お坊さんってすごいな、住職ってこういう仕事するんだなって(笑)。
そういう可能性をね。それぐらいいろんなパターンがあったらいいなっていう。舞踊だったら、「道成寺」は大曲なので真剣にやらなければ、みたいな風になってしまったらもったいない。非常に大変な曲だし大曲だけど、もっと豊かであってほしい。笑えるところを作ってるんですけど、なかなか笑いが起きないんですよ。

N:ダンスで笑いを起こすのは難しいですよね。動きを見る感覚と、笑いの感情は違うので、舞踊はどうしても笑いを扱えないというか。そこをどうするかですよね。

K:そうですよね。

 

『娘道成寺』を踊り続けること、音楽との関係

N:『娘道成寺』を10年踊ってらっしゃるのを、今後も踊り続けられる気持ちは?

K:そうですね、はい(笑)。笑いながら言っちゃうけど、あるんですよ。
実は去年ぐらいにね、木ノ下君に、「もうダンスやめます」って言っていたんですよ。もうダンサーのキャリアそろそろ終わるって。肉体的なことです。単純に体力的なことで、あと2、3年踊ったら体力落ちるだけで・・

N:老いの問題はまだそんなに・・。

K:だけどね、自分の踊りのキャラクター性を考えたり、強みだったりが失われるというのが踊っていて分かったから、もうダンサーのキャリアを終えて、振付けだけに集中して、『娘道成寺』も違うダンサーに踊ってもらって、ということを考えたんです。けれど、去年の松本の『娘道成寺』の後と、今年も中国の雲南省に行って、標高2000メートル以上のところで、修行みたいなレジデンスをしたら、どんどん体力ついてくる(笑)。あっ!まだ全然踊れるので、しまったなと(笑)。
ダンスをやめると言った時に、みんな冗談だと思って信じないんですけど、木ノ下君だけがすっごい信じて、「じゃあその準備を」みたいな感じで色々と受け止めて「じゃあ『二人道成寺』からはじめて・・」って考えてくれているんですけど、私はあと10年ぐらいは全然踊れるような肉体的な自信がついてきちゃって、どうしようかなって思ってます。言いにくいわぁって(笑)。
今日、勝禄さん(杵屋勝禄)の音源を聴きながら来て、これまでの『娘道成寺』は芳村伊十郎のをずっと使っていたんですけど、全然違うんですよ、音が。

N:どんな感じで違うのですか?

K:もう太鼓の音から、三味線も声も違うし、間のとり方も。音が違うと踊りも全然変わるんだろうなっていうことを、音を聞いて分かる。
ふだんマーラーをやってるんですけど(※6)、クラシックは、同じ楽曲でいろんな人の録音があって聴き比べをしても、テンポとかが多少は変わっても、そこまで踊りが変わる感じはしないんですよ。ただ「道成寺」は、すごく踊りが変わる感覚があって、同じ曲でも地方さんが変わると更新されるなという気がします。

N:演奏する地方の方が本番の舞台に出る場合は、その踊りに合わせて演奏してくれるので、いくら踊り手が年をとっても、どんどんテンポをゆっくりにしてくれるのですよ。

K:そうなんですか。ダンスをやっていて、音楽との関係ってずっと考えることではあるけど、やっぱりそういう意味で切り離せないものであるんですよね。こっちの体は変化するものだし、音の聞こえ方も変わりますし。どちらが上か下か区別できない関係っていうのが音楽と舞踊の間には常にあって、それの新しい(私が体験していないだけで新しいかどうか分からないけれど)、違った形での提示の仕方ができるんじゃないかという気がしますよね。
古典舞踊を踊っているわけじゃないから、地方さんは合いの手をいれるタイミングが分からないわけじゃないですか、普段はここで入れているけれど、分からないからずれたり入れなかったりとか、そういう関係が実際のパフォーマンスの中で生まれてくる。
そうなると、地方さんの音楽の捉え方が変わっていくわけじゃない。普段はこうやっているのが、ここでアクセント入れるっていうやり方が「道成寺」のなかにあったのかという。また私も踊ってここで入るのか、ということがあったり。それによってお互いの「道成寺」というものの記憶・歴史や受け止め方がまた変わっていくし、それによってお客さんの受け取り方も変わっていくじゃないですか。そこがなによりも楽しみです。

N:間のとり方でも、きたまりさんの時間感覚と、伝統の感覚を擦り合わせることが古典のアップデートになるのですね。お互いのリズムや時間は伸び縮みするという前提で、踊り手と演奏者がベタつきにならず、それを擦り寄せていく。この意味できたまりさんの『娘道成寺』は、同時代を意味する「コンテンポラリー」になっていくのかもしれません。

(2019/6/27 京都芸術劇場 楽屋にて)

 

プロフィール

きたまり(左)
振付家、ダンサー。1983年生まれ。京都市在住。京都造形芸術大学映像・舞台芸術学科在学中の2003年よりダンスカンパニー「KIKIKIKIKIKI」主宰。出演者のブログから映画、伝統芸能、クラシック音楽まで、あらゆる素材からダンスを創作しながら、信仰や民族をテーマにアジア諸国の舞踊と音楽のリサーチを重ねている。近年ではグスタフ・マーラーの全交響曲を振付するプロジェクトを開始し、同プロジェクト2作目『夜の歌』で文化庁芸術祭新人賞(2016年度)を受賞。

中島那奈子(右)
ダンス研究・ダンスドラマトゥルク。ドラマトゥルクとして国内外の実験的舞台作品に関わり、近年のプロジェクトに『劇団ティクバ+循環プロジェクト』(振付砂連尾理)『ダンスアーカイブボックス@TPAM2016』『イヴォンヌ・レイナーを巡るパフォーマティヴ・エクシビジョン』がある。2017 年北米ドラマトゥルク協会エリオットヘイズ賞特別賞受賞。2019年10月からベルリン自由大学ヴァレスカ・ゲルト記念招聘教授を務める。編著書に『老いと踊り』(勁草書房、2019年)。

 

※1『あたご』
2019年3月に京都市右京ふれあい文化会館ホールにて上演された、きたまり振付・演出のダンス作品。京都市右京区にそびえる愛宕山にまつわる芸能や信仰をテーマに、嵯峨大念佛狂言保存会による演奏で上演。木ノ下歌舞伎主宰の木ノ下裕一もドラマトゥルクとして参加。https://circulation-kyoto.com/program/kitamari
※2『RE/PLAY Dance Edit』
東京デスロック(多田淳之介主宰)の演劇作品『再/生』を下敷きに、きたまりがプログラムディレクターを務めた「We dance 京都2012」にてダンスバージョンとして初演後、横浜、横浜、シンガポール、プノンペン、京都、マニラにて上演。<執拗な繰り返し>というシンプルな構成から、ダンスや身体について問いかけている。上演される各地域のダンサーを交えて上演をおこなう。
※3 京の六斎念仏
約1100年前、洛中に疫病が蔓延し人々が不安に陥った時、醍醐天皇の皇子である空也上人が、托鉢用の鉢と瓢箪を打ち鳴らし街角で“南無阿弥陀仏”を唱え人心の不安を沈めた。この鉢叩き念仏が六斎の起源としている。畿内、近江、若狭へと六齋が伝播する中、京では元禄年間、芸能化が進み文化文政期には芸能六斎として確立された。戦前には多数の講中が洛中洛外に繰出し東寺、清水寺が競演の桧舞台となり発展した。(2017年度日本芸能史配布資料より)
※4 嵯峨大念佛狂言
三大念佛狂言のひとつで、無言劇、仮面劇であることが特徴。「融通念仏」と「大念佛会」に連なる宗教的な背景を持っている。京都市街の北西に位置する清凉寺境内の狂言堂で年に数回開催されている。http://www.sagakyogen.info/
※5完コピ
木ノ下歌舞伎におけるクリエイションの一つに、名人による歌舞伎の映像をみて、参加俳優がせりふや言い回しなどを完全にコピーすることから始めるという手法がある。
※6
2016年にスタートしたきたまりによるマーラー交響曲ダンスプロジェクト。過去、第1番『TITAN』、第7番『夜の歌』、第6番『悲劇的』を上演。2019年9月には第2番『復活』をTHEATRE E9 KYOTOにて上演した。