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市川猿之助芸術監督プログラム

市川猿之助と春秋座

京都芸術劇場春秋座は、当時京都造形芸術大学の副学長を務めていた三代目市川猿之助が、長年劇場に対して温めていた理想の粋を集めて設計監修し、2001年5月にオープンした日本で初めての大学内本格劇場です。
 杮落としより12年の節目に、猿之助の名跡を継いだ四代目に、市川猿翁(三代目市川猿之助)が志した「実験と冒険」の現場も引き継がれました。

芸術監督ごあいさつ

いつも応援、ありがとうございます。
四代目市川猿之助でございます。
2013年の5月に二代目市川猿翁より、当劇場の芸術監督としての役割を引継ぎました。私にとって、杮落し公演に出演したことはもちろんのこと、何より第一回「亀治郎の会」を立ち上げたゆかりの深い場所です。
「芸術監督を引き継いでほしい」という猿翁からのたってのお願い。その命がけの思いを引き継ぎ、春秋座を生きた劇場にしてまいります。劇場に命を吹き込むには、トップレベルの舞台を上演し、皆様にたくさんお運びいただくことが肝要です。皆様のご期待に応えられるよう、ご期待以上のものをご覧いただけるよう、精進してまいります。
また、大学の中にある当劇場には学生の力が欠かせません。フロントスタッフ・舞台裏スタッフ、“このすけプロジェクト”など多くの学生がこの劇場に関わっております。この学生たちにも応援の声をいただければ幸いです。
春秋座が、本学の掲げる「京都文芸復興」の拠点として皆様に愛されますよう、一重に乞い願いあげたてまつりまする。

四代目 市川猿之助

三代目市川猿之助

劇場建設準備段階の2000年4月の就任。途中、体調を崩した2005年4月~2009年3月の間、空間演出家の毛利臣男が代替で務めた以外は、2013年まで同劇場の芸術監督を務め「日本振袖始」(2001年5月杮落とし公演)、「漁樵問答」「茨木」(2002年)などの演目を上演しました。

四代目市川猿之助

四代目にとって当劇場は、2001年5月に行われた春秋座杮落とし公演で「春秋三番叟」を舞い、また自身の研鑽の場として「亀治郎の会」を、2002年の第1回旗揚げを皮切りに、2003年、2004年、2006年、2010年の計5回開催いたしました。
さらに春秋座の扁額は市川亀治郎の時、四代目市川猿之助を襲名するのを機に揮毫したものであり、オープン以来縁の深い場所です。今後は、この現場で四代目ならではの試みに期待が集まっています。

劇場前に掲げられた四代目市川猿之助揮毫の扁額


このすけ

市川猿之助芸術監督プログラムのイメージキャラクター「このすけ」は2014年に京都造形芸術大学(当時)の学生から公募し、猿之助氏自身によって選ばれたキャラクター。

「このすけ」ツイッター


プロフィール

生まれたところ:白狐の国
誕生日:5月11日(市川猿之助からキャラクタ―誕生が発表された日が2014年5月11日であることから)
性別:男の子
年齢:白狐年齢では数百歳だが、人に例えると5歳くらい。数十年後には6歳になるかも…
すきな食べ物:おだんご
すきな演目:猿之助さんの『義経千本桜』!
きらいなもの:だるま(追いかけられる怖い夢をみたことからトラウマに)
お仕事:春秋座の市川猿之助芸術監督プログラムを広めること