池永レオ遼太郎さん と 米山水木さんに聞く
鼓童「いのちもやして」公演の魅力
毎年、恒例となった春秋座での鼓童公演が今年は7月に開催します。今回は入団8年目、池永レオ遼太郎さんが演出を、そして池永さんと同期の米山水木さんが初めて大太鼓を披露します。稽古に入る前の4月上旬、お二人に今の想いを伺いました。
■鼓童に入るまで――
―― 池永さんと米山さんは今年、入団8年目になるのですね。お二人が鼓童に入る前は、どんな生活をされていたのか教えていただけますか。
池永 僕は2歳からピアノ、10歳ぐらいからチェロと主にクラシック音楽を勉強していました。太鼓は小学校の時にちょっとだけやりましたが、アメリカの大学でクラブに入ったのが太鼓に触れたのが最初のきっかけです。
鼓童の研修所(鼓童文化財団研修所。以下、研修所)へは演奏のプロを目指すというより、「修行」というものに行きたいと思う気持ちが強かったですというのも、それまで僕はあまり考えずに恵まれた人生を生きて、金融関係会社の内定を頂いていたのですが、このまま楽な人生を送っていいのかなと、人生こんな感じでいいのかなと思っていました。だから1回は自分の修行… 努力するとか、頑張るということをしたくて、ピースコア(日本でいう青年海外協力隊)や軍隊に入ることも考えました。
それで元鼓童メンバーの方で現在、ニューヨークに住んいでる渡辺薫さんに相談をしたところ「それなら鼓童の研修所がいいよ」とアドバイスをくださったんです。それまで鼓童は何回か観たことはありながら、実は音楽性も含めて知らない部分も多く。そんな中で「修行」として鼓童の研修所に入る道を選び、今に至るというわけです。
米山 私は遼太郎とは全く真逆で、2歳の頃から太鼓を始めて、夏祭りや老人ホームなどで演奏したり、小・中学生の時には太鼓のコンクールに出るようなグループに入っていました。
鼓童の舞台を初めて観たのが小学校4年生の時、鼓童の芸術監督として坂東玉三郎さんが初演出された『佐渡へ』という公演でした。その時に出演されていた女性プレイヤ-に憧れて「鼓童に入るんだ!」 と決め、鼓童に入ることを目指して三宅太鼓をはじめ色々な太鼓も習う機会を増やしたりしました。
中学の時に一時期、ソフトボールや水泳もしたのですが、やっぱり太鼓の方が好きで。高校も鼓童に入るために舞台のことを学べるかなと東京都立総合芸術高等学校という、主に美術や舞台について勉強する学校に行きました。その時に授業で習った日本舞踊にハマって習ったりもしましたが、最終的にはプロの太鼓奏者に繋がることを一筋にやっていた感じです。ですから太鼓以外のことはあまり考えてなかったですね。
■『いのちもやして』公演について
― 公演の演出を担当される池永さんですが、今回の公演タイトルの『いのちもやして』はどういう思いで決められたのですか?
池永 今回は太鼓を打つ感情や葛藤といったものを表現したいと思いました。
「いのちもやして」というのは、鼓童結成30周年の時に出版した『いのちもやして、たたけよ。』という書籍があり、僕はその言葉がすごく好きなんです。「命燃やして」という言葉は昔からあるものですが、それを使ってストレートに表現できたらなと思っています。
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僕は太鼓にまとわりつくステレオタイプが好きじゃないんですよね。世界が広がっていかないというか、観に来るデモグラフィック(年齢やライフステージ、性別などの属性)も限られると感じていて。どんな素敵なものを作ってもお客さんに観てもらわないと意味がないと思うので。誰が見ても「これ面白そう」というタイトルとビジュアル。でも、鼓童らしさを失わないという絶妙なラインを攻めようと思いました。
― 池永さんは、これまでも何度か演出をされていますが、舞台演出で意識していることを教えてください。
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池永 僕がする演出は、僕がやる意味、僕がやるからこうなるという作品にしたいなと思っています。それによって見えていない世界が見えてきたり、世界が広がったり。舞台は触れられないものですが、直に触れられるような変化を起こすことをしたいなといつも思っています。
僕が手掛けた最初の演出は『鼓童若手連中』(2017)という作品ですが、これは頼まれたわけじゃなく、僕が勝手に企画して、勝手にやりますとやった結果、パリに招待されたんです ( 2018年、フランスの太陽劇団の招聘で「Kodo Next Generation」として再演)。
これがきっかけで若手が沢山、演出するようになったのかなと勝手に思ってます。鼓童という枠をどんどん壊して世界を広げる所に魅力を感じます。
今回、水木が大太鼓を叩きますけど、女性だからキャスティングしたわけじゃありません。でも女性の地位向上に努めたいと思ってますし、日本の社会的な不平等に憤りを感じています。僕は日系アメリカ人として育って、いろんな差別があったり、自分のために強く生きないといけないって思ったことが沢山あります。それで他の人も助けないといけないと思っているので、僕が作る作品を観た人が、少しでもそういう風なことを思ってくれればいいなって思っています。
― 米山さんから見て池永さんの演出の魅力はどう感じておられますか。
米山 同期というのもありますが、遼太郎が作る曲や世界観は入り込みやすいですね。「鼓童から飛び抜けてやろうぜ」「変えてやる!」という揺るがないものをすごく感じます。私は昔からの鼓童のスタイルが大好きで入ったので、昔からのイメージの鼓童が好きですし、そのDNAは受け取りますが、昔の作品ばかりをやっててもダメなんですね。
彼は昔ながらの鼓童を再生、再創造していくことに着目して作品を作ったり、曲を書いてくるんです。そういうところが素敵だなと思います。私が好きな昔からの鼓童も守りつつ、今の私たちの鼓童を作っていく。それが積み重なって歴史となっていくサイクルができるといいなと思います。
― クリエイションはこれからになると思いますが、どんなプログラムになりそうですか。
池永 僕が演出する時は鼓童にある曲を選んで組み合わせたり、曲をアレンジしたりしますが、今回は新曲もありますし、まだ迷っている段階です。
― その中でも、米山さんに大太鼓を打ってもらおうというのは最初に決められたのですか。
池永 最初に決めました。それを軸に作ろうと思って。
― 米山さんを選んだ理由は何だったのでしょうか。
池永 それは、彼女ならいけるでしょう!って。先ほど僕が演出するからには、いろんなものを伝えたいと話しましたが、大太鼓は女性にはハードルが高そうなイメージがあったとしても、水木なら大丈夫というか、お客さんも観たいのではないかなと思いました。
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それに一昨年、オーケストラと共演した時(「鼓童×東京交響楽団『いのち』」にてオーケストラ楽曲「いのち」を作曲)に試しに水木に大太鼓を受け持ってもらっていたので。それと、大太鼓をやることで彼女自身の太鼓も変わるんじゃないかなと思って。
今のスタイルを突き詰めるのはいいと思いますが、 そこからもっと世界を広げたら面白いんじゃないかなと同期ながら勝手に思っているんです。「単純に男性に負けない!」という感じでやるのも違うと思うので、大太鼓を通して水木としての大太鼓の世界観が作れるといいなと思っています。
― 米山さんは「大太鼓を打ってほしい」と言われた時、どう思われましたか?
米山 目の前に大きな太鼓があるので、大太鼓と自分とが対峙するように感じます。
鼓童には、褌(ふんどし)姿になって大太鼓を屋台の上で叩き、そこから飛び降りて『屋台囃子』という曲を叩くというスタイルがあるんです。私はそれを初めて観た小学生の時、最初はすごく驚きましたが、見ているうちに、一音一音、命をかけて打っているのが伝わってきました。屋台の上で大太鼓を叩くというのは、その人の人生が丸裸になるように感じますし、お客さんに見えるのは背中だけ。先輩方が大太鼓を打つ時、背中で何かを伝えるところがすごいと思います。
ですから遼太郎から「鼓童のイメージは関係なく水木の好きなようにやってみて」と言われてもファン時代に観ていたものや、鼓童に入って舞台袖から観た先輩が打つ姿を考えて、自分でいいのかなと不安になることもあるのですが、最終的には覚悟を決めて臨みたいと思っています。
― 鼓童でも女性メンバーが活躍されている中で、太鼓表現の探求をどのように続けられてますか。
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米山 多分、私が入る前は女性が舞台で太鼓を叩く演目は限られていたように思います。最後のアンコールでは、皆で太鼓を叩くシーンはよくありますが、踊ったり、歌ったりしている印象の方が強かったと思います。私も男性に負けないように大きい太鼓を叩きたいという気持ちはあまりなかったです。
ただ鼓童に入る前から三宅太鼓をやっていたので、 「三宅」を打ってみたいという思いはありました。それが2018年、『巡』という作品で「三宅」の進化系のようなものを作るので出てみないかと演出家に声をかけてもらいました。その頃から徐々に女性のメンバーが中心になって太鼓を叩く演目も増えてきたと思うのですが、 それは私個人としては嬉しいことです。しなやかさだったり、柔らかい筋肉をこれからも上手く見せていけたらいいなと思っています。
■パンデミックを経て
― まさに新しい公演に向けてエンジンをかけられているところということですが、今冬に行かれていた北米ツアー(2023年1~3月 「鼓童ワン・アース・ツアー2023~鼓(Tsuzumi)」)の手ごたえは、いかがでしたか? 2021年、新型コロナウイルスの感染拡大で延期となったことを経て、行かれたツアーと伺っています。
池永 4年ぶりのアメリカツアーでしたし、半纏を来て公演するのはアメリカでは約10年ぶりだったので、とても喜んでいただけました。ソールドアウトも多くてありがたかったです。でも、それ以上に演奏者として感じたことがありました。
鼓童には40年以上、受け継いできた曲があるんですね。例えば石井眞木さん(作曲家・指揮者)作曲の『モノクローム』や『入破』、郷土芸能から採取した『三宅』『屋台囃子』などですが、それらを演奏し続けることの大切さを再認識しました。ずっと同じことをするのは大変ですし当然、飽きがきます。でも、やり続けることによって他の太鼓グループがたどり着けない極地に至る。同じことをやり続けたり、同じ形態に固執することは他ではマネできないんじゃないかなと思います。それを僕ら若手が受け継ぐのは大切な仕事だなと思いました。特に新しいことにもチャレンジしている中だからこそ、やる意味があると思いますし、そのバランスが上手く取れたらいいなと思います。
― この3年、パンデミックで海外ツアーにもいろいろな制限があったと思いますが、いかがでしたか。
池永 2020年と2022年はヨーロッパのツアーでした。2020年はツアーを中断して帰国しなければらなず、2022年はツアーメンバーの中で感染者が出たり、戦争が始まったりしてツアーの行程変更を余儀なくされました。その中で自分たちが世界中を回って太鼓を叩く意味について改めて考えるきっかけになったと思います。
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米山 私はヨーロッパツアー中にコロナに感染して1ヶ月間、イギリスのホテルに隔離されたんです。なんで太鼓を叩いてるんだろう、そもそも何をしに来ているんだろうって思ったり、太鼓もやめたくなりました。見えないものに対しての怒り、仕方のないことに対しての怒りみたいなのがこみ上げてきて、時差があるのに親に電話をして、話ながら涙が出てきたり。でも、その涙がなんなのかもよくわからなくて。
でも戦争難民の方の前で演奏をした時、当たり前に食料があり、さらに毎日、安心した場所で眠れるというのが生きてく上で大事なことなんだと感じました。それができている人は世界にどのぐらいいるんだろう。そんな風に苦しんでいる人がいる中で自分が太鼓打ちであることを考えさせられました。
それに私たちは好きなことを仕事にして、舞台に立って、お客さんがチケットを買って観に来てくれることでご飯を食べているわけです。大体、好きなことを仕事に出来る人も少ないんですよね。そんな中、中途半端な気持ちで太鼓を叩いたり、そういう音をお客さんに届けるのは失礼と言うと簡単な言葉になりますが、ヨーロッパでのこの経験は太鼓を叩く意味を深く考えさせられました。
■みなさまへメッセージ
―それでは最後に、春秋座公演にお越しになるお客様にメッセージをお願いします。
池永 『いのちもやして』は新作ですが、今までの鼓童の舞台から乖離したものではなく、素直に1歩前進、進化した作品にできたらと思っています。僕の演出作品は素直で真っすぐなので、皆さんが観て明日、頑張ろうと思われたり、「米山さんが大太鼓を打ってるから私も何かチャレンジしよう」と思えたり、この生きづらい世の中が生きやすくなれるような、そういった灯のようなものになればいいなと思っています。
米山 これまで男性がやってきた大太鼓を女性が打つことで、多分いろんな方から声があると思いますが、私なりの太鼓で勇気や元気をお客様に伝えたいと思っています。不安や緊張もしていますが、お客さんの前で演奏することを想像するとワクワクする部分もあります。ぜひ多くのお客さんに観に来ていただけたらと思います。