シビウ国際演劇祭に参加して(後篇) ―世界の姿を反映する国際的な舞台芸術祭
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世界三大演劇祭の一つに数えられるシビウ国際演劇祭が今年も6月21日から30日までの10日間に渡ってルーマニアの首都ブカレストの北西に位置する文化都市シビウで開催された。筆者は幸運なことに演劇祭の関連イベントである学術プラットフォームに招待され、6月21日から24日までの4日間、コロナ禍から完全復活を遂げたこの演劇祭の一端を現地シビウで体験することが出来た。
演劇祭のメインイベントは言うまでもなく舞台芸術の公演である。演劇祭が開会する10日ほど前に事務局から「シビウ滞在中は1日につき2公演に招待しますので、観劇を希望する公演を知らせてください」という寛大な内容のメールとともに、A4でプリントアウトすると17ページにもおよぶ〈室内公演〉(Indoor Performance)の日程表が送られてきた。その表には、1日につき20から30の演目が並んでいて、開演時間は早いもので朝11時、遅いものは夜11時となっていた。
公演は大きく〈演劇〉、〈ダンス〉、〈ミュージカル〉、〈オペラ〉、〈サーカス/コンテンポラリー・サーカス〉、〈音楽(コンサート)〉、〈インスタレーション、VRと映像〉、〈学生演劇〉にジャンル分けされている。シビウ国際演劇祭はこれだけの幅広いジャンルを扱っている総合的な舞台芸術祭なのだ。これらの公演はさらに、シビウ市街地から車で10分ほどのところにあるの廃工場跡地に建てられた巨大なプレハブ劇場「文化工場」(Fabrica de Cultura)や市内の劇場、教会、学校、歴史的建造物などの施設を使った室内公演と「大広場」をはじめとする広場や公園、ストリートを使った〈屋外公演〉に分かれている。〈屋外公演〉は、ほぼすべてがフリー・アクセス(無料公演)となっている。ちなみに〈室内公演〉のチケット料金は安いもので50ルーマニア・レイ(1600円相当)、高いもので150ルーマニア・レイ(4,800円相当)となっていた。〈室内公演〉でもフリー・アクセスのものもある。
〈演劇〉部門では、地元シビウの国立ラドゥ・スタンカ(Radu Stanca)劇場 のレパートリーから選択された作品を、特別に〈ヘリテージ・パフォーマンス〉と名付けて上演している。今年は『ファウスト』(Faust)、『ゲーム、言葉、クリケット』(Games, Words, Crickets…)、『スカーレット・プリンセス』(The Scarlet Princess)の三作品が〈ヘリテージ・パフォーマンス〉として上演された。いずれもシルヴィウ・プルカレーテ(Silviu Purcarete)の演出による。この中で『スカーレット・プリンセス』は、鶴屋南北の「桜姫東文章」を原作としており、キャストは全員が男性、演出も花道を使うなど歌舞伎の要素を取り入れている。2022年には、東京芸術劇場において日本公演も行われた。
筆者は是非ともこの『スカーレット・プリンセス』を観劇したかったのだが、残念ながらソールドアウトで観ることが叶わなかった。『スカーレット・プリンセス』以外ならどの作品を観劇しようかと迷っていた数日の間に、気付けば全てソールドアウトになっていた。毎年〈ヘリテージ・パフォーマンス〉はとても人気が高く、どの公演も瞬く間に売り切れてしまうのだとか。
シビウ国際演劇祭には毎年、日本からも複数の公演が参加している。今年は、串田和美の演出・出演による自由劇場『あの夏至の晩 生き残りのホモサピエンスは終わらない夢を見た』、山本章弘率いる山本能楽堂による『慈愛―魂の行方』、鈴木ユキオの振付・演出・出演によるコンテンポラリー・ダンス『堆積 -Accumulations』、また〈学生演劇〉部門では日本大学芸術学部演劇学科の学生たちによる『GUEEN』が上演された。中でもシェイクスピア作『夏の夜の夢』に着想を得た串田和美の作品は、早々にソールドアウトになっていた。串田和美は、2008年に上演された故・十八世中村勘三郎率いる平成中村座の演出家としてここシビウでも人気が高く、2015年には「シビウ・ウォーク・オブ・フェーム」に名を刻んだセレブリティなのだ。
とにかくシビウの街は演劇祭一色に染まって活気に満ちていた。目的地に向かう道すがらストリート・パフォーマンスに出くわして思わず見入ってしまい、時間に遅れそうになることもしばしばあった。
筆者は今回の滞在中、学術プラットフォームや関連イベントに参加する合間を縫って8作品の演劇やダンス公演を観劇した(偶然に出会ったストリート・パフォーマンス等は除く)。その中でも、「文化工場」で観たルーマニアはブカレストの国立カラジアル劇場 (I.L.Caragiale) による演劇『A FEW PEOPLE AWAY FROM YOU』が特に印象に残っている。せっかくだからルーマニア演劇が観たいと思いこの作品を選んだのだが、現地に行ってわかったのは、シビウ市街地から「文化工場」へは公共交通機関がなく、行きも帰りもタクシーが争奪戦になるということだ。おまけに日程表を見たら、この演目の上演時間は2時間30分とある。英語の字幕付きとはいえ2時間半のルーマニア語の芝居を観るのは辛いと思いながらも、重い腰を上げタクシーを勝ち取って「文化工場」へと向かった。
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ダン・コマン (Dan Coman)作、ラデュ・アフリム (Radu Afrim) 演出によるこの作品は二部構成のシリアス・コメディだ。第一部、第二部のいずれも、家族の誰かが夢または現実を求めて国外へと離れて行った後に残された家族の葛藤を描いている。心に響く人間ドラマでありながら随所で着ぐるみを使ったドタバタ・コメディで観客を沸かすなど、テンポよく進む涙あり笑いありの2時間半はまったく飽きることがなかった。英語字幕のモニターが小さすぎて文字が読めなかったにもかかわらずだ。途中、観客の携帯の「熱中症アラーム」が一斉に鳴り出すがハプニングがあったが、役者がその時に発したアドリブでさらに客席が盛り上がっていた。ルーマニア語なので何を言ったのかわからなかったが、ルーマニア演劇恐るべしだ。
終演後のロビーで学術プラットフォームで知り合った中国人の演劇翻訳者マ・ホイさんと出会った。めでたく二人でタクシーをつかまえて帰る道すがら、マ・ホイさんが「テネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』をコメディにしたような良い作品でしたね」と言った。言い得て妙である。
もう一つ、シビウで観た作品の中で忘れられないのは、EU後援によるPPP(PEOPLE POWER PARTNERSHIP)プロジェクトの 『FACE T(W)O』だ。ドイツ、ルーマニア、イタリア、チェコ、リトアニア、デンマーク、ポルトガル、ラトビア、ノルウェイ、スペインのEU諸国から集まった104名の若いダンサーたちによるこの作品は、宿泊していたホテルからほど近い「大広場」で行われた野外ダンス公演である。昼間に「大広場」を通った際、ステージのホリゾントに少々ステージ面へと傾いた巨大な鏡が設置されたセットを観て興味をひかれていた。開演時間の5分くらい前に「大広場」に行くと、すでに大勢の観客でうまっており、ステージよりかなり後方で観ることになった。もちろん立ち見である。
パフォーマンスは、始めから終わりまで圧倒的だった。ステージ上には棺を思わせる箱がいくつも設置されていて、104名のダンサーたちが時にその箱を動かしながら次々と様々にフォーメーションを変化させながら踊る。筆者は、かなり後方に立っていたため実際のステージ上のダンサーたちの動きはほとんど見えず、ホリゾントの鏡に映るリフレクション越しに観ていた。「大広場」に集まる多くの観客を想定したスマートな装置である。途中からは、ステージの床に投影される映像を駆使したパフォーマンスへと変化する。映像は、美しい花畑や四方が巨大な壁で囲まれた部屋の中へと変化していく。パフォーマンスがクライマックスに差し掛かかったその時、数十名のダンサーが観客の中へと走り出し、広場の数か所に設置されたいくつかの小島(小さなステージ)へとたどり着く。小島にも透明の棺とおぼしき箱が置いてあり、何人かのダンサーはその箱に入って身動きが取れなくなる。鏡のある大きなステージへ向かって助けを求めるが、帰ることはできない。
『FACE T(W)O』 というタイトルは、動詞の「~に直面する」と「二つの世界」を掛け合わせているのだろう。鏡を使ったセットは、機能性だけでなく作品のテーマと見事に直結しているのだ。作品の紹介文には次のように記されている。
So what happens when we humans create a different world for ourselves – a better one? A freer one? But better for whom and free for whom? Do we still decide for ourselves? Do we choose our own bubble or are we assigned to a bubble via cookies and other tracking methods?
私たち人間が自分たちのために別の世界、より良い世界、より自由な世界を創ったら何が起こるのだろうか?しかし、誰にとってより良いのだろうか?誰にとってより自由なのだろうか? それでも自分たち自身で決めるのだろうか? 私たちは、独自のバブルを選ぶのだろうか?それとも、Cookieやその他の追跡方法によってバブルに割り当てられるのだろうか?
(シビウ国際演劇祭公式サイトより。筆者訳)
野外で立って観ていたからだろうか、筆者はこの作品を通してヨーロッパの今、世界の今を”目撃“したように感じた。
平井愛子
文学座附属研究所を経て、1988年渡米。ニューヨーク大学演劇学科卒業後、オフ・ブロードウェイやリジョナル・シアターで俳優、演出家として活動する。また大学在学時よりメソッド演技の第一人者、トニー・グレコに師事。メソッド演技の指導法を習得する。アーティストとしての活動の傍ら、日米交流を目的とした舞台芸術を企画制作するStage Media Inc.を設立。主なニューヨーク公演は、日米版同日上演『弥々』など。コーディネート作品には、劇団四季『コンタクト』、『マンマ・ミーア』などがある。15年のNY滞在を経て03年帰国後は、東京都足立区・シアター1010の劇場立ち上げからプロデューサーとして参加。同劇場で『写楽考』をはじめとする10作品以上を制作。