橘 蓮二特別講座「芸を撮る」レポート〈後編〉
前編では、橘氏が演芸写真家として歩んできた道のりや、フィルム時代に身についた写真との向き合い方、「有効な無駄」という考え方についてお伝えしました。
後編では、春秋座ホワイエに展示された写真を囲みながら、学生との質疑応答をお届けします。
撮影の裏側をたどる─学生との対話で見えてきた橘蓮司の演芸写真とは
橘 : なんでも答えます。写真を見て印象に残ったことや、これってなんなのかなって気になったものがあれば、どんどん質問して下さい。

橘 : これは高座(出番)前で、手前にネタ帳があります。落語の世界では、同じような話を同じ日にしないようにします。例えば、花魁(おいらん)が出てくる話を前半でやったら、後半に出てくる人はやっちゃいけない、そういうルールがあるんですね。落語家さんは何を演るかをお客さんの雰囲気を見て決めるんです。「アドリブ」っていうか、それだけ稽古して、自分の中に落語のネタ(演目)をいっぱい持っていて、「今日はこの雰囲気だからこの話をしよう」「今日はちょっと子どもがいつもより多いからこんな話」「女性が多いから」っていう風に客席の雰囲気を見てネタを決めないで上がる。
ネタ帳にその前に(高座に)上がった人たちがこんな話をしましたというのが全部書いてあるので、一之輔師匠はネタ帳を見ながら何にしようかと考えてるんです。考える時に、癖で扇子を手で遊んでるところ、一之輔師匠の全部を撮らないでそこだけ部分的に見せたほうが、師匠のその時の緊張感みたいなのが伝わるかなって。「写ってないところ」が大事っていうのは、僕の中ではずっとあるんですよ。
学生からの質問2:写真の手前はわざとぼかしたのでしょうか?

橘 : 奥行き感を出すために、手前に物を置くことが多いですね。
さっきスチールの写真は間と間を想像させると話したのに近いんですけども、情報量って多ければ多いほど伝わらないんですよ。写真が下手な人は全部撮っちゃうんです。撮る側の心理として、これも見せたいあれも見せたいっていう気持ちがあるので、つい全部入れちゃうんですよ。でも、逆なんです。自分が一番見せたいもの以外はどんどん切っていくと、もっと明確になる。情報量って少ないほうが良いんですよ。それがスチールの強みなので。なるべく余計なものを入れないようにはしています。
袖からアップで撮ると(角度で)背景が黒になって金屏風が写らない、そうすると人物が“立つ”んですね。情報量が少ないから、見る人の目が人物に行きやすい。
学生からの質問3:どの写真にもタイトル(キャプション)が付いてないのはなぜですか?
橘 : タイトルは見た人が付けるのが良いと思っています。「こうですよ」っていうのが見る側は一番困る、タイトルを付けちゃうとそっちに引き込まれちゃう。写真じゃなくて言葉で説明していることになるので、見る人に決めてもらいたい、僕はそう思っています。
大事なことですが、今日橘蓮二が言ったことはほぼ信用しなくて良い。わーっと聞いた中でちょっとでも使えるかもしれない部分があれば、それで十分です。
人間の脳って不思議で、何かを見ると勝手に自分で補強しちゃうんですね。情報が多すぎると伝わらないという話がありましたが、部分的に見せるとどんどん補強する。人間の目は20万画素くらいしかなくて、スマホのカメラの方がよっぽど性能が良いんですけど、脳が補強して見ている。僕らは目で見ているんではなく、脳に映っているものを見ている。人間は何を見ても、文章、写真を見ても、必ず自分の頭の中で想像できるようになっているんですね。
学生からの質問4:この写真に緞帳を入れた意図は?

橘 : これは最後、トリの人なので、緞帳が下りて「終わりですよ」って。緞帳を見せることで最後だっていうのが伝わる。ここ(人物)に寄っても、ここで切っちゃっても良いんですけど、この(一之輔師匠が)頭を丁寧に下げている姿と、先ほど安藤先生も仰っていたように、空間で想像してもらう。「これですよ」「こうなんですよ」って限定してしまうよりも、少し余地を残す癖が付いているんですかね。
ウジウジ考えることも大事
橘 : 最初から言ってる話と今まで喋ってることは共通していますが、考え方、自分の思ってることが写真に反映されます。最終的には人がやることだから、その人(被写体)自体がチャーミングかどうかはすごく大きいと思います。ちょっとしたセンスとかって写真にも絶対出る。人としての魅力が出た写真は人を惹きつけるんですよ。
落語家でも写真家でもそうなんだけど、上手いけど伝わらないものっていっぱいある。どこを見ても間違いなく上手い、だけど、1回見たらいいかなって思うものもある。まだそこまでじゃないんだけど、この人の撮る写真は良いよねとか、この人の落語は良いよねっていうのは、その人のチャーミングさや人柄が出ているんです。だから、最終的にはカメラで撮影する時もちゃんと自分との距離を取って欲しいです。
皆さんは嫌なことや楽しいことがこれからいっぱいあると思いますけど、そういう時に常に自分で考えるようにしてください。十人がダメって言ったって、誰か一人が「すごく良いです」って言ってくれたら、そこを信じるのも大事だし、逆にみんなが良いって言っても「いやいや、そんなことないんじゃない?」って思うのも大事。常に人がどうであるかを自分で考えていくと、この人の撮った写真は素敵だな、また見たいな、この人に撮ってもらいたいな、そういう写真がいっぱい撮れるのかなとは思いますけどね。
橘 :皆さんぐらいの歳の時はやっぱりいろいろ考えるわけですよ、ウジウジ。でも、そのウジウジ考えるのは大事。結構後になってから自分は何が好きか分かりますよ、ずっとウジウジしてると、どうしても手放せないものとか。技術が同じだったら、最終的には執着心の強い方が生き残ります。だから、自分は本当に写真が好き、自分はこれが好きっていうものに対しての執着心はあった方が良いと思います。良いことだけじゃないんでね……。しんどいこともいっぱいありますけど。これからまだまだ時間はあるので、楽しんで色々挑戦してみて下さい。
学生からの質問5: 写真はレタッチされていますか?
橘: レタッチというか色調整ですね。
黒の作品は、僕はフィルムの時からほとんどこの手法で、何も写ってない、後ろ(背景)を消すことはほぼしていない。よっぽど何か後ろに、例えば横にライトが写っちゃったという時は消しますけど、ほぼ撮ったままです。レタッチができないフィルム時代から撮ってるんで、なるだけ黒に締めたい、余計なものを写したくない。だから後ろは消してないです。
学生からの質問6: プリントする時に難しいなと思うんですが。
橘 : 難しいですね。こうやって写真を生で見せるのは好きじゃないんです、本当は、うん。僕自身はなるべく本とか印刷物で手元に置いてもらいたい。
今回は劇場にプリントをお任せして、色のチェックだけして「これでオッケーです」って言っただけです。
例えば、白、余白と言いますね、同じように黒も「余白」じゃないですか。余白、大事です。余白って「真っ白」って意味じゃないんですよ。例えば、西洋絵画だと白は白を塗る。日本の場合、墨絵の白、余白は、さっき言った想像力でものすごく色があるっていう考え方なんですよ。だから、黒とか白っていうのを常に意識して、実は1色じゃないんだって思ってると、いろいろ広がるんですよ。
安藤: 橘さんの作品は非常に余白が多く、雑誌などで誌面にする際、その余白をどう活かすか考えながらデザインを進めました。橘さんの想像力に加えて、演者=被写体の想像力も両方入る、プラスアルファ見る人の想像力も入ってくる。だから、その三者の関係をどう作っていくのか。橘さんの写真はそれらが入っているので、皆さんを惹きつけるのかなと思います。
疑い続けること
橘 : これから皆さんが長く写真を撮っていくなら、自分のことをしっかり疑うことは大事です。これでいいのかと常に自分に問う。これは違う、これは良いと常に疑ってかかんないとダメですよ。
僕も駆け出しの頃にさんざん悩みましたが、芸術かお金か、と大昔からよく言われますが、「どっちも」って思っていれば良いんですよ。正解って不正解だし、不正解って正解なんですよ。自分のファンは自分で、自分に対する批評家は自分だと言ったのと同じで、物事に絶対これっていうのは無いんですよ。良い意味で疑ったほうが良いと思います。
だから、今日聞いたことも適当に聞いてても良いですよって言ったのは本当にそうです。自分の中で、これは使えるな、これは私と違うなって、それで全然構わない、全部真に受けない。それは大事なことだと思います。
安藤: ありがとうございました。この後、皆さんにも高座を見ていただいて、橘さんの想像力が皆さんの間でも広がっていくのかなと思います。
今日は、どうもありがとうございました。
橘 : ありがとうございました。皆さん頑張ってください。落語会も楽しんでいってください。よろしくお願いします。
前編はこちら→橘蓮二「芸を撮る」レポート〈前編〉
橘 蓮二(たちばな・れんじ)
1961年埼玉県生まれ。1995年より演芸を主題に写真制作を行う。高座や楽屋、舞台袖といった演芸の現場に長く寄り添い、噺家や芸人の姿を静かな視線で捉え続けてきた。
著書に『カメラを持った前座さん』(ちくま文庫)、『高座 橘蓮二写真集』『噺家』(全5巻)、『この芸人に会いたい』『夢になるといけねぇ』(以上、河出書房新社)、『本日の高座』(講談社)、『喬太郎のいる場所』(CCCメディアハウス)『演芸写真家』(小学館)などがある。2015年からは、写真家としての活動に加え、落語会の演出やプロデュースにも携わり、演芸の魅力を多角的に伝える試みを続けている。