2つの「真の悪人はいない」噺に込めた社会風刺とは
吉永美和子
ある噺家さんが落語の魅力について、こんな風に語ってくれた記憶がある。
「落語の世界はとても平和。誰も断絶しないし、みんなが同じ所で生きていると感じられる。」
落語の中にも怖い話、恐ろしい話は少なからずあるけれど、普段高座にかかる噺のほとんどは、確かに故意に人を傷つけようとする悪人はほとんど出てこない。出たとしてもたいていは、何らかの報いを受けている。落語というシンプルな話芸が、何百年にもわたって変わらずに愛され続けているのは、日々報じられる辛い事件や紛争……それこそ人間そのものに絶望するような出来事が多い現実の中で、「ああ、やっぱり人間って愛すべき生き物だ」ということを、今一度思い出させてくれるからだろう。そしてこの日、春秋座恒例の「立川志の輔独演会」に集まった老若男女もまた、人間の愚かさを毒や皮肉ではなく、温かな笑いに変えてきた志の輔の話芸で、人間の再発見に来たのかもしれない。
1本目は、古典落語『猫の皿』。地方で掘り出し物の骨董品を見つけては安く買い上げ、都市で高く売りつける旗師(はたし)は、帰宅途中に茶屋に立ち寄る。店の猫の食事用の皿が、三百両は下らないお宝だと気づいた男は、猫を三両で買って、皿ごと自分のものにしようとする。最初は猫を憎々しげに追い払う男が、皿に気づいた途端猫や主人への態度をくるっと変えてしまう様が、なんとも滑稽だ。そしてサゲは、主人はこの皿が高級品と知っていて、ときどき三両で猫を買おうとする者がいるから、あえて猫の皿にしている……というもの。一見強欲者同士のだまし合いだけど、皿をこっそり持ち去るのではなく、猫を口実にして正当な取引をしようとする旗師も、この皿を手っ取り早く三百両(猫100匹分!)で売るのではなく、三両をちまちま稼ぎ続ける主人も、どこか抜けているというか、お金以上に大事にしている何かがあることを想像させる。やはりここにも、本当の悪人はいないのだ。
もう1本は、志の輔が2003年に発表した新作落語『メルシーひな祭り』。古い商店街に、この日の夜に帰国するフランス大使夫人と娘が、外務省職員に連れられてやってくる。商店街にいる、人形職人の雛人形を見たいと希望したのだ。しかし、職人が作るのは頭(かしら)だけで、人形自体はここにはないと判明。うろたえる職員、泣き出す大使の娘。彼らを悲しい思いをしたまま帰すわけにはいかないと、商店街の人たちは様々なアイディアを出していく……。海外の人に日本文化を楽しんでもらう心意気は高いけど、やり方がどこかズレている商店街の人たちが、ことごとく落語の「八っつぁん・熊さん」が現代に蘇ったようなキャラクターだ。そんな江戸時代から変わらない人情があふれる一方で、外務省職員はマニュアル的な対応を押し付け、トラブルが起こると責任の所在や自分のメンツについて突っかかってくる。悪い人ではないけれど、現代の「お役所」のマイナスな部分を象徴するような困ったちゃんだ。
志の輔は、フランス大使夫人と娘以外の全登場人物を、巧みな声色と表情の変化であざやかに演じ分けていく。かつて神田伯山の講談を聞いた時は、声だけで人物の姿や光景が映像のように浮かんでくることに驚かされたものだが、志の輔の落語は、さらに一人ひとりの登場人物の性格や心情にスポットを当て、その場に浮かび上がらせるという印象。だから、この騒ぎを俯瞰で見るというより、商店街の一員となって、一緒に巻き込まれたような気持ちになってくる。同じ口演の芸でも、そんな違いがあることに気付かされた。
結局、予定通り帰路に就いた大使夫人一行だが、その途中で思いがけない光景を見る。商店街の人々が神社の石段に緋毛氈を敷き、雛人形のコスプレをして彼らを見送ったのだ。もちろん夫人も娘も大喜びだけど、その理由が「まるで生きているみたい」……と、やはり最後まで認識のズレの面白さを味わえるサゲだった。
『メルシーひな祭り』は、古典落語の温かな世界を現代に当てはめたような噺ではあるけれど、そこに訳ありの外務省職員を入れることで、お役所の方針がいかに「人情」と相性が悪いかを、さり気なく風刺する狙いもあったように思える。実際、職員の言い訳のシーンでは、客席はほとんど笑いが起きず、「はあ、これだから役人ってものは……」という呆れムードに包まれていたように感じた。
近年のトクリュウ騒ぎのように、お金のために手段を選ばない事件が絶えることのない浮世で、悪人でも案外抜けていたり、捨てられない良心があることを示唆した『猫の皿』。何かと分断や、異文化への不寛容が問題となる中、「人情」と「おもてなし」の一点突破で事態を好転するたくましい庶民たちを描いた『メルシーひな祭り』。2026年5月の独演会に、志の輔がこの2作を選んだ意図は何だったのかを、終演後からずっと考え続けている。たとえ何百年も前の噺でも、送り出すタイミングや組み合わせる噺によって、現代を照らす大きな鏡となる。これこそが落語ならではの社会風刺のやり方なのかと、やはり気付かされたのだった。

写真:京都芸術大学 舞台芸術研究センター
公演情報
立川志の輔独演会
主催:京都芸術大学 舞台芸術研究センター
上演日時:2026年5月27日(水) 16:00開演
会場:京都芸術劇場 春秋座
吉永美和子(よしなが・みわこ)
大阪在住のフリーライター/エディター。「演劇情報誌JAMCi(じゃむち)」「エルマガジン」演劇担当を経て、1999年よりフリーに。関西の雑誌・WEB媒体を中心に、関西の演劇シーンを紹介する記事を多数執筆。関西以外のエリアの演劇や、映画や音楽など他ジャンルの記事も手掛けるほか、維新派などの公演パンフレットの編集も行っている。執筆した主な媒体に「朝日新聞」「えんぶ」「悲劇喜劇」「SPICE」など。現在「SAVVY」「Meets Regional」などで演劇の連載コラムを執筆している。