『奥山の牡丹』果てなき情愛、咲き切る強さ―能や歌舞伎との比較を交え
三好吉彦
耳の奥に、今も旋律が響いている。「京都芸術劇場 春秋座」が2012年から2年ごとに催す琉球芸能の公演。見終わる度に、三線などの地謡に乗せた琉歌が胸を占める。今回(2026年6月13日)の眼目となった沖縄芝居の歌劇『奥山の牡丹』では、このフレーズが余韻となった。
〽︎糸目から針目 ほけるとも我身の のよで思里が 御腰引きゆが
(針の穴をくぐるような辛苦の中でも どうして愛しいあなたの 足手まといになりましょうか)
厳しい身分制度が敷かれた琉球王国時代にあって、最下層とされた門付芸人の娘チラー(伊良波さゆき)は、名門士族の三良(嘉数道彦)と恋に落ち、男の子を授かる。三良や赤ん坊の将来の出世を思えば、身分の低いチラーは身を引いて隠れるしかない。その心情を切々とつづるこの歌は、チラーの「身を引く愛」を象徴するモチーフとして劇中で繰り返される。
『奥山の牡丹』は1914(大正3)年の初演。今回チラー役を務めた伊良波さゆきの祖父・伊良波尹吉(いらはいんきち)が劇作した。これまでの春秋座の琉球公演で上演されてきた『執心鐘入』や『二童敵討』といった組踊が、江戸時代の首里城で演じられてきた士族の芸能だったのに対して、『奥山の牡丹』のような沖縄芝居は、その後に花開いた庶民の芸能だった。組踊と沖縄芝居の関係は、幕府の式楽だった能楽と、大衆の娯楽として発展してきた歌舞伎の関係とも似ているといえるだろう。
大衆にも分かりやすくする工夫として、『奥山の牡丹』では登場人物の動揺や衝撃といった心の揺れを表す太鼓の音や、歌舞伎のツケ打ちのような「バタバタッ」といった音が随所に入り、これまでの組踊とは異なる趣のテンポを生む。幕切れには歌舞伎の柝(き)のような音も入って盛り上げる。
琉球の芸能は、能楽や歌舞伎などの日本の伝統芸能や中国の文化の影響も受け、独特の発展を遂げてきた。本公演を共催する「国立劇場おきなわ」の前芸術監督で今回は三良役に出演した嘉数道彦は、「伝統芸能の盛んな京都で上演することで、能楽や歌舞伎などとの類似点や違いといった、沖縄とは異なる視点で見てもらえる面白さがある」と、春秋座で上演する意義をかつて語っていた。
今回の『奥山の牡丹』で、愛する三良や我が子のためにチラーが奮戦する前半(三景=小湾浜)を見て、思い起こしたのは能楽の『海士(あま)』だった。『海士』では、藤原不比等との間に生まれた我が子の将来のために、海女が命を賭して海底の龍宮から珠を奪い返す。『奥山の牡丹』の前半で、敵役たちに命がけで立ち向かおうとするチラーの動的な強さからは、海女にも劣らぬ心身や愛の強さを感じた。

チラーが愛する三良や我が子と別れる「四景=平良殿内」では、歌舞伎の『葛の葉子別れ』を想起した。ただ、葛の葉が「恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」と書き残して、我が子が将来訪ねてこられるような手がかりや未練を残したのに対して、チラーは「針の穴をくぐるような辛苦の中でも…」と切々と歌うだけで、探されることすら拒絶するように痕跡を一切残さずに姿を消す。三良や我が子を家に残して、門をピシャリと閉じる前半の幕切れは、愛しているからこそ未練をきっぱりと断つチラーの心の内まで表すようだった。

後半(五景以降)は、前半から18年後の物語である。成長した我が子・山戸(金城真次)が、瞼の母であるチラーを島中探して歩き回る。人里遠く道に迷い、山奥の庵に一夜の宿を借りる大詰の設定は、能楽の『安達原(黒塚)』をほうふつさせる。もちろん奥州である『安達原』では枯れススキが一面に広がるのに対して、沖縄の奥山は緑が濃く、深い。

中でも最大の違いは、庵に住まう老女の性根だろう。身分や過去を隠してひっそりと深い山奥で暮らす境遇は同じであっても、『安達原』の老女が実は鬼であるのに対して、『奥山の牡丹』のチラーは、白装束に象徴される聖性を感じさせる。それは自らは「無=白」になって、愛する三良や我が子の幸せを願い続けた純粋な祈りからくる崇高さである。庵の奥には、『安達原』では人の死骸が積まれているのに対して、『奥山の牡丹』では、チラーが我が子と思って育て続けた何輪もの牡丹の花が凜と咲き誇っていた。

〽︎誰頼て咲きやが 奥山の牡丹 人の通わさぬ 所なかい
(誰を頼りに咲いたのか 奥山の牡丹よ 人知れずこのような山奥に)
幕切れに歌われる琉歌は、劇前半のチラーの「動的」な強さから一転し、山奥に身を隠した「静的」な存在になりながらも、我が子への果てなき情愛に生き、自らを犠牲にして強く咲き切ったチラーの魂の気高さを、永遠に匂い立つものにする賛歌に聞こえた。

琉球の芸能は、戦前に進められた日本への同化政策や、沖縄戦の戦禍をくぐり抜け、よくぞ今に伝わったと先人の苦労に感謝したい。もし旋律に乗せる歌が同化政策で標準語になっていたら、その魂の拠り所を失い、地域に息づく芸能としては消滅していたのではないか。ただ、東京一極集中で薄れゆく地方の文化は今後、ネットやAIの加速で、さらに画一化が進む懸念がある。能楽や歌舞伎の発祥地である上方の芸能も、大阪松竹座が先月*閉館したように拠点を失い、上方ならではの柔らかな言葉を話せる演者も減れば、気付かぬうちに先細りしていく危うさをはらんでいる。
そんな中、春秋座で行われている京都芸術大学の公開講座「日本芸能史」が教えてくれるように、民俗芸能を含めて、多様なジャンルから日本の芸能を複眼的にひもとくと、それぞれの良さや特色が鮮明になってくる。琉球芸能を京都の地で多角的に味わう。その公演の意義は深い。『奥山の牡丹』のチラーが強い信念を持ってあの牡丹を咲かせたように、それぞれの土地に息づく芸能の美しさを私たちは胸に刻み、粘り強く伝えていかなければならない。
*本稿は2026年6月執筆。
画像提供:京都芸術大学 舞台芸術研究センター(撮影:桂秀也)
三好吉彦(みよし・よしひこ)
京都新聞記者。劇作家・演出家の水口一夫氏の手ほどきで幼い頃から歌舞伎に親しむ。京都新聞に入社後は滋賀本社や社会部の記者を経て、文化部で歌舞伎評や文楽評、能楽ごよみなどを執筆。現在は報道部長代理・論説委員として、芝居や映画の話題を中心に1面コラム「凡語」などを定期的に書いている。