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京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター主催  企画・監修 渡邊守章 春秋座ー能と狂言

春秋座の歌舞伎舞台を活かして行う能・狂言も、お蔭様で毎年一回は行う「恒例」となりました。今年度は、京都に因んだ世阿弥作の(とおる)』と、騙すほうが騙されるという喜劇の手法の見本の一つ狂言磁石(じしゃく)』を上演します。

の『』は、嵯峨天皇の皇子でありながら源の姓を賜って臣籍に下った源融(822-895)が、京都六条に造営した「六条河原の院」の廃墟を舞台に、融の造営させた庭園において展開された極めて特殊な「風流(ふりゅう)」を主題に構成されています。それは、古代以来、塩田法が普及するまで行われた製塩法、「汐汲み・藻塩焼き」で、和歌の主題としても好まれたものです。なにが風流かと言うと、ある種の海草を干してそこに海水を汲んでそれを掛け――「汐汲み」です――それを繰り返した上で焼いて出来た塩分の多い灰を、海水を煮詰めた大釜でさらに煮詰めて塩を作るというものです。その時に出る特殊に白い煙が美しいとして歌に読まれると同時に、「汐汲み」の作業も、たとえば中秋の名月の磯辺で、若い海女が行うのが、美的な情景として、和歌に持て囃されたのです。

源融の選んだ「風流」とは、まさにこの「汐汲み・汐焼き」だったのですが、そのために、彼は難波の入り江(大阪湾)から、淀川を遡って、毎日海水を運ばせ、それで、陸奥(みちのく)の「千賀(ちか)の塩釜」の風景を再現した六条河原院の池を満たし、その海水を用いて、今述べた古代的製塩法を行い、その「詩的な情緒」つまり「風流」を楽しんだとされます。
中世には、広く知られていた故事であり、既に世阿弥の父観阿弥が、「融ノ大臣(おとど)」が鬼になって出現するという能を演じたことが、世阿弥の伝書から分かります。

世阿弥はそれを、「廃墟となり、池の水も干上がった河原院」を、中秋名月の夜に訪れた旅の僧の前に、「汐汲みの老人」を登場させ、融の興じた「汐汲み」のゆらいを語らせ、やがて海水の満ちた池を背景に、昇る月の光の下に広がる京都の名所・旧跡を教え、やがて消える・・・。そこまでが前段で、後段は、月光の中に再臨した「融の大臣(おとど)の霊」が、満々と海水を湛えた池の上で、過去の栄華を舞い、やがて「月の都」へ帰るという、文字通り「宇宙的な風流(ふりゅう)」が舞台の詩として展開する能です。

狂言の『磁石』は、狡猾なはずの「人買い」が、騙そうとした「田舎者」に逆に身代金を盗まれて逃げられるが、それを追いかけて取り返そうとすると、田舎者は「磁石の精」になりすまして、人買いを手玉にとるという話です。

能『融』は、観世銕之丞師をシテに、春秋座能ではお馴染みになった、現代の能狂言を代表するワキ、間(あい)、地謡、囃子で、月光の下の「宇宙的幽玄」が演じられると思います。併せて、狂言『磁石』は、万作、萬斎両師によって、まさに「狂言の骨法」が分かるような演戯になることが期待されます。

(舞台芸術研究センター所長・演出家 渡邊守章)

企画・監修:渡邊守章(京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター所長)
照明プラン:服部基(ライティングカンパニーあかり組)
照明オペレーター:林悟(ライティングカンパニーあかり組)
舞台監督:小坂部恵次
協力:銕仙会、万作の会、空中庭園