『舞台芸術』に読む、宮沢章夫のことば
宮沢章夫は、劇作家・演出家として数々の戯曲・舞台作品を手がけたほか、エッセイや評論、小説などの執筆でも注目を集め、独特の語り口・文体によって多くの読者を魅了してきた。ここでは本学舞台芸術研究センターの機関誌 『舞台芸術』 に掲載された記事の一部を紹介し、追想してみることにしたい。
宮沢章夫インタヴュー
「トーキョー」から見える同時代の地図
『舞台芸術』 第6号 (2004年7月発行) に掲載。 聞き手=森山直人・八角聡仁
2004年4月、京都で行われたインタヴュー。宮沢はこの年の夏まで、京都造形芸術大学 (現名称:京都芸術大学) 映像舞台芸術学科の教員として実践的な教育活動に携わっていた。また当時、原作小説の執筆、その戯曲化・映像化、さらにはドラマリーディング、プレビュー公演を経て、本格的な舞台上演を手がける長期プロジェクト「トーキョー/不在/ハムレット」に取り組んでいる(*)。
インタヴューのなかで、宮沢は時折、ユーモラスな語りを交えながら、ラジカル・ガジベリビンバ・システムを立ち上げた1980年代、遊園地再生事業団で精力的に作品を積み重ねた1990年代、そして3年間の劇団活動の休止を経て、新たな創造へと足を踏み出した2000年代、と続く創作の歩みを縦横に振り返っている。
宮沢作品における「中庭」「砂漠」「架空の町」といった独特のフィクショナルな空間性。作者の同時代観を色濃く反映した登場人物の行動や佇まいのありかた、等々、この演劇人の仕事を再考するにあたって大事なポイントがいくつも浮上している。同時に、当時の宮沢にとって切実だった創作的な関心は、このインタヴューの大きな読みどころの一つである。
「でも、なんかやっぱり古い体質のドラマトゥルギーは強度だなと思ってしまう。ついついその眼ですべてのことを解釈しちゃうじゃないですか。そのドラマトゥルギーからどうやって逃れるか、ということにこそ、いま関心がありますね」。
インタヴュー末尾に配されている宮沢のことばである。時代の動きと人間の営みを見つめ、新たな表現のかたちを追い求め続けた創作の内実。従来のドラマトゥルギー、あるいは〈劇的なるもの〉への疑いを通して演劇を成立させようとした宮沢の演劇論的な姿勢は、今日の視点から改めて顧みられるべきものでもあるだろう。
(*)本格的な舞台上演は、京都造形芸術大学舞台芸術研究センター上演実験シリーズvol.19/遊園地再生事業団#15『トーキョー/不在/ハムレット』(2005年1月、於 京都芸術劇場・春秋座)として実施されている。
宮沢章夫「せぬがところ」
『舞台芸術』 第10号 (2006年6月発行) に掲載
本号の特集テーマ「教科書問題」へ寄せたエッセイ。執筆当時、宮沢は早稲田大学の客員教授として表現芸術・文芸専修の講義を担当し、古典演劇と向き合う二つのプロジェクトに取り組んでいる。一つはシェイクスピアの失われた戯曲への応答を試みる「カルデーニオ・プロジェクト」、もう一つは世田谷パブリックシアターによる公演企画「現代能楽集シリーズ」である(*)。
これらの活動を背景として、著者が本エッセイの冒頭で取り上げているのは、次のような世阿弥の名高い一節である。「見所の批判にいわく、「せぬがところが面白き」などということあり。これは為手の秘するところの安心なり」(「万能綰一心事」『花鏡』)。
世阿弥の能芸論は、いわゆる「教養書」として読まれることも少なくないが、その真価は「現在」を問い直す力を秘めた「演劇知の書」であることに存する。著者は1960年代以降、前衛演劇の実験において能楽が参照されてきたことを踏まえながらも、演劇革新のための性急な〈読み〉ではなく、もっとゆるやかなレクチュールによって、世阿弥の思想の現代的な可能性を汲み出そうとしている。
「せぬがところ(せぬ隙)」という語句には、舞台上で俳優がどのようにふるまうのかという演技の問題とともに、人間の内奥に隠された相貌に迫ろうとする世阿弥の深い洞察が読みとりうる。こうした著者の了解は、演劇の歴史が紡ぎ出してきた知恵(=「演劇知」)を手がかりに、俳優存在、そして日常を生きる人間にまつわる、ひそやかなポテンシャルを探ろうとした劇作家・演出家の姿勢と通い合っているのかもしれない。
(*)前者のプロジェクトは、遊園地再生事業団公演『モーターサイクル・ドン・キホーテ』(2006年5月、於 赤レンガ倉庫)、後者のプロジェクトは(財)せたがや文化財団主催公演『現代能楽集Ⅲ 鵺/NUE』(2006年11月、於 シアタートラム)に結実している。
(演劇研究者)