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京都芸術大学 藝術学舎 2022年度 秋季
舞台芸術研究センター提供連続講座
少しだけ深く読み解く「詩劇としての能」02-『山姥』のすべて-

七〇〇年の歴史と変化を通して学ぶ、
「現代に⽣きる能」の魅⼒

本講座では、「春秋座―能と狂言」シリーズで上演されてきた能のなかから1曲をとりあげ、その映像を用いて「能」という舞台芸術の特色と魅力を考えます。
今回取り上げるのは世阿弥の『山姥』です。本曲は山姥という妖怪の怪異性に関心が集まりがちですが、講座では、テキスト、演出、素材、逸話などから多角的に、作者世阿弥の「作意」を考えます。毎回、最後の20分程度を受講者の質問にあて、第3回の講義には観世銕之丞氏をゲストに迎えます。また、今回も能に関心を持つ多くの方の参加を期待します。

担当講師
天野文雄(京都芸術大学舞台芸術研究センター特別教授)

1946年、東京都に生まれる。早稲田大学第一法学部卒業後、国学院大学大学院文学研究科修了。文学博士。大阪大学名誉教授。専門は能楽研究。著書に、『翁猿楽研究』(平成7年、和泉書院)、『能に憑かれた権力者』(平成9年、講談社選書メチエ)、『現代能楽講義』(平成16年、大阪大学出版会)、『世阿弥がいた場所』(ぺりかん社、平成19年)、『能楽名作選(上下)』(角川書店、平成29年)、『能楽手帖』(角川ソフィア文庫、平成30年)、共著に、『岩波講座能・狂言Ⅰ〔能楽の歴史〕』(昭和62年)、共編著に『能を読む』(全4冊、角川学芸出版、平成25年)など。研究の延長として、大槻文藏、梅若実玄祥、福王茂十郎の諸氏や国立能楽堂企画制作課と協同して、平成初年以来、廃絶曲の復元上演、現行曲の見直しにも数多く参画している。観世寿夫記念法政大学能楽賞、日本演劇学会河竹賞受賞。

  
 
2022年10月12日(水)19:00~21:00 
第1回 『山姥』はどのように理解されてきたか
この回では、まず平成27年1月に本学の春秋座で上演された舞台芸術研究センター主催の『山姥』(シテ、観世銕之丞)の映像によって、越後の深い山中を舞台に展開する『山姥』の概略を紹介します。続いて、『山姥』についての作者世阿弥の言及、現在までの上演状況や山姥についての最古の文献が能の『山姥』であることなどを紹介し、その上で、江戸時代から現代までの『山姥』の主題についての主要な説を紹介します。『山姥』は一休禅師の作という説が江戸時代からあったことが示すように、本曲には仏教的(禅的)な文言や思想がかなり盛られています。それゆえ、『山姥』については仏教的な方面からのアプローチが少なくありません。しかし、もちろん、『山姥』は単に仏教の教義を説いた作品ではなく、一個の舞台芸術作品です。その主題とその背後にある世阿弥の芸道思想についての把握がこの講座の最終目標になります。
 
 
2022年10月26日(水) 19:00~21:00
第2回 山姥が曲中で舞う 『山姥の曲舞(くせまい)』をめぐって

この回では、越後の山中で善光寺に参詣しようとする女流曲舞師一行の前に現われた山姥が舞う『山姥の曲舞』という曲舞について考えます。曲舞というのは、能以前に流行した歌と舞からなる芸能で、その音曲を観阿弥が能に取り入れたことで、能が格段に豊かになったことが知られています(その名残りが多くの能の中心に置かれているクセと呼ばれる部分です)。もっとも、この『山姥の曲舞』は女曲舞師が都で舞って評判をとったもので、その曲舞を本物の山姥が真似て舞うわけです。面白い設定ですが、この『山姥の曲舞』で説かれているのは、「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」「邪正一如(じゃしょういちにょ)」「善悪不二(ぜんあくふに)」という思想です。この『山姥の曲舞』が『山姥』一曲のうちでどういう意味を持っているかは第4回以降で考えることにします。また、この『山姥の曲舞』が謡い物としてまず世阿弥によって作られ、その後、この曲舞を中心にした能『山姥』が作られたという説もありますが、そのことも考えてみたいと思います。

 
 
2022年11月9日(水) 19:00~21:00
第3回 演者と語る『山姥』 ゲスト:観世銕之丞

この回では、平成27年に春秋座で『山姥』を演じられた観世銕之丞氏をゲストにお招きし、演者の立場から『山姥』について縦横に語っていただきます。『山姥』をどのような作品と把握しているか、上演にさいしてはどのような姿勢で臨もうとしているか、『山姥』の謡や舞の魅力、あるいは工夫のしどころ、演出面では小書(こがき)『雪月花(せつげっか)の舞』などについて、映像を見ながらお聞きする予定です。また、能舞台とは異なる春秋座での上演に際しては、どのようなことに留意されているかもお聞きします。

 
 
2022年11月23日(水・祝) 19:00~21:00
第4回 世阿弥が『山姥』で描こうとしたこと

山姥は曲舞(くせまい)(『山姥の曲舞』)において、「邪正一如」の理りを説いているにもかかわらず、終曲部では、輪廻(りんね)妄執を象徴する「山巡り」を見せて消えてゆきます。この点は従来も『山姥』における大きな疑問とされてきました。山姥ははたして悟りを得ることができたのかどうかという疑問です。『山姥』がよく分からない能だという大方の印象もこの点に起因しています。しかし、それはそのような疑問自体が的をはずしているといわざるをえません。なぜなら、山姥はその前の『山姥の曲舞』において、この世のあらゆる現象は「邪正一如」だと説いているからです。このような展開によって、この世のあらゆる現象はすべて真理だとする「諸法実相(しょほうじっそう)」という、当時の思想でもあると同時に、世阿弥の芸道思想にもつながるテ-マが立ち現れてくるのです。

 
 

2022年12月14日(水) 19:00~21:00
第5回 『山姥』の総合的・統一的な把握

この回では、これまでの講義をふまえて、『山姥』を一曲を通して読み解きます。現在の能の鑑賞は型や謡という「部分」への注目にかたよる傾向がありますが、それだけでは作者が作品にこめたテ-マの把握までには届きません。詩劇として作られている能は、一曲を総合的かつ統一的に把握することによって、はじめてその魅力がわたしたちのものになるのです。総合的とは作品におけるすべての設定や表現に留意することであり、統一的とはそれらが一曲においてどのように関連しあっているかということです。