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京都芸術大学 藝術学舎 春季
京都芸術⼤学舞台芸術研究センター提供連続講座
オンライン講座(講座番号G2315104)
少しだけ深く読み解く「詩劇としての能」03 ―『融』のすべて―

七〇〇年の歴史とともに考える「現代に生きる能」の魅力

本講座では、「春秋座―能と狂言」シリーズで上演されてきた能のなかから1曲をとりあげ、その映像を用いて「能」という舞台芸術の特色と魅力を伝えます。
三回目となる今講座では、光源氏のモデルといわれる左大臣源融(みなもとのとおる)が陸奥松島湾の塩竃(しおがま)の致景を移して風雅な日々を送ったことに取材した世阿弥作の『融』(とおる)をとりあげ、テキスト、典拠、演出、上演史などから、最終的に『融』の主題とそれをささえている趣向について考えたいと思います。用いる映像は、平成二十五年の春秋座における観世銕之丞氏の舞台、恒例のゲストにはシテ方観世流の大槻文藏氏(人間国宝、文化功労者)をお招きします。毎回、あいだに5分の休憩をはさみ、最後に20分ほど質問の時間を予定しています。大学の通信教育部の講座ですが、能に関心をもつ一般の方も受講できます。どうぞお気軽にご参加ください。

担当講師:
天野文雄

1946年、東京生まれ。京都芸術大学舞台芸術研究センター特別教授。大阪大学名誉教授。博士(文学)。専門は能楽研究。著書に、『翁猿楽研究』(平成7年、和泉書院。観世寿夫記念法政大学能楽賞)、『能に憑かれた権力者―秀吉能楽愛好記』(平成9年、講談社選書メチエ)、『現代能楽講義―能と狂言の魅力と歴史についての十講』(平成16年、大阪大学出版会)、『世阿弥がいた場所―大成期の能と能役者をめぐる環境』(平成19年、ぺりかん社、日本演劇学会河竹賞)、『能苑逍遥(上)世阿弥を歩く』『能苑逍遥(中)能という演劇を歩く』『能苑逍遥(下)能の歴史を歩く』(平成21年、22年、大阪大学出版会)、『能楽名作選(上下)』(平成29年、角川書店)、『能楽手帖』(令和元年、角川ソフィア文庫)、共著に、『岩波講座能・狂言Ⅰ〔能楽の歴史〕』(昭和62年、表章氏と)、編著に、『禅からみた日本中世の文化と社会』(平成28年、ぺりかん社)、共編著に『能を読む』全4巻(平成25年、角川学芸出版)、『世阿弥を学び、世阿弥に学ぶ』(平成28年、大阪大学出版会。大槻文蔵氏と)、 『東アジア古典演劇の伝統と近代』(令和元年、勉誠出版。毛利三彌氏と)、共同監修に『伊藤正義中世文華論集』全6巻(平成24年~令和4年。和泉書院。片桐洋一、信多純一氏と)がある。 また、長年、大槻文蔵、福王茂十郎、梅若実桜雪の諸氏、国立能楽堂企画制作課と廃絶曲の復活上演や現行曲の見直しにも数多く参画する。最近では、令和4年の国立能楽堂での『岩船』や『賀茂物狂』の見直し上演がある。

 

2023年4月19日(水)19:00-21:00
第一回 これから『融』を学ぶために
この回では、まず、春秋座で上演された映像をもとに、『融』という作品の概要をみなさんと共有したうえで、世阿弥の芸論にみえる『融』の記事、その典拠や上演史、現代における『融』についての諸家(評論家や研究者)の理解など、『融』についての基本的な事項を紹介します。また、主人公(シテ)源融は実在した人物であり、平安時代の説話集や歌学書などにも比較的よくみえているので、それらの紹介とともに、融が愛した陸奥の歌枕塩竃についても紹介する予定です。なお、この回の受講に先立って、「『融』読解のためのヒント」に目を通しておいてくださると、この講義がどのようなことを問題にし、最終的にどのようなことをお話ししようとしているかが、あるていど理解されると思います。

2023年 5月3日(水・祝)19:00-21:00
第二回 『融』のテキストを読む
この回では『融』のテキスト(詞章)全体を、適宜、コメントを付しつつ読むことにします。能のテキストは「謡曲」とも呼ばれますが、それは詞章が散文ではなく節がついているからで、「謡(うたい)」と呼ばれるのもそのためです。その能のテキストは掛詞、縁語、序詞といったレトリックを多用し、頻繁に古今和漢の詩歌が引かれる韻文、つまり詩的なもので、かつては「綴れの錦(つづれのにしき)」などと揶揄された文体で構成されています。それだけに、現代においてはとかく敬遠されがちなのですが、能の魅力はこのテキストに向き合うことによって倍増するはずです。この回では、とくに『融』のなかでも比較的凝った文句や、『融』理解のポイントになるような部分の説明に時間を割きたいと思っています。

2023年 5月17日(水)19:00-21:00
第三回 『融』の作意を考える
この回では、過去2回の講義を受けて、『融』の「作意」について考えます。「作意」というのは、作者がどのような趣向(工夫)によって何を描こうとしたのかということです。思えば、能については不思議なくらい「作意」ということが考えられてきませんでした。その代わり、常に注目されてきたのが演者の「芸」です。「作意」という「全体」には無関心で、名手の「芸」という「部分」に注目してきたのが、江戸時代以降の能の見方だったと言ってよいでしょう。もちろん、世阿弥時代の能には「主題」があり、世阿弥の能も例外ではありません。現代の能の鑑賞には演者の芸だけでなく作者の意図(作意)にも留意する必要があるのです。世阿弥も「目智相応(舞台を見る目と作品理解のバランス)」を観客に求めています。

2023年5月31日(水)19:00-21:00
第四回 大槻文藏氏が語る『融』
現代の能楽界を牽引するお一人、大槻文藏氏を迎えて、演者からみた『融』についてお聞きします。大槻氏は早くから、大阪の大槻能楽堂の当主として、現代の能はどうあるべきかを考えてきた演者です。それが「よい能を低料金で」という理念のもと、流儀を問わず東西の名手を招聘する自主公演能の誕生となり、能楽研究者との協働によって廃絶して埋もれていた名曲を復活させる活動につながりました。また、かつて「現代の知性」といわれたその舞台は、近年いよいよ円熟の境に入っています。本学との縁としては、平成二十七年の復曲能『菅丞相』の春秋座での再演、平成三十年の公開連続講座「日本芸能史~人間国宝の世界」への登壇があります。

2023年6月14日(水)19:00-21:00
第五回 これまでの補足と『融』が到達した主題
この回では、これまでの補足として、「『融』読解のためのヒント」にかかげた、小書(こがき/特殊演出)を中心とした『融』の演出のこと、ユニークなワキ僧の造形、『塩竃』という本来の曲名が意味すること、『融』と観阿弥が演じたという廃絶した『融の大臣の能』との関係、唐の詩人賈島(かとう)の「推敲」詩が担っているもの、融が月の都の住人であるかのような設定など、十分にふれることがなかったことについて考え、『融』の作意が生前の風流生活への懐旧であること、さらにその懐旧の情が融個人の思いを超えた、一種、普遍的な色彩を帯びていることについてもお話ししてみたいと思っています。


『融』読解のためのヒント

① 源融(みなもとのとおる)は平安時代の実在の貴族だが、どのような経歴の人物なのか。
② 光源氏のモデルは源融だという説が鎌倉時代からあるが、そのような説が生まれたのはなぜか。
③ 『融』の舞台は融が塩竃の致景を移して風流生活を楽しんだ庭園だが、そのことを伝える文献にはどのようなものがあるか。また、その六条河原の院の庭園は『融』にはどのように描かれているか。
④ 世阿弥が融をシテにした能を作ろうと思ったきっかけはなにか。
⑤ 前ジテが塩竃の浦の潮汲みで浦人姿で登場し、現実には荒廃している河原の院をかつての風流を尽くした場と見ているのはなぜか。
⑥ 『融』は本来は『塩竃』という曲名だったが、なぜ『融』に変わったのか。
⑦ 融が愛した陸奥の塩竃はどのような場所だったのか。
⑧ 『融』においては唐の詩人賈島の有名な「推敲」詩はどのように機能しているか。
⑨ 観阿弥は今は散逸している『融の大臣の能』という鬼能を演じているが、その『融の大臣の能』と『融』とは関係があるのか。
⑩ 融は終曲部で月の都に帰ってゆくが、融が月の住人と設定されているのはなぜか。
⑪ 世阿弥は『融』を「老体」としているが、現在の『融』の後ジテは壮年の貴公子である。一方、前ジテは老浦人だから、世阿弥が『融』を「老体」としたのは、あるいは前ジテを基準にしたものか。
⑫ 世阿弥が『融』で描こうとしたものは何か。
⑬ 融が後場で舞う《早舞》にはどのような意味が担わされているか。
⑭ 融が舞う舞はなぜ《早舞》なのか。
⑮ 多くある『融』の小書のほとんどが舞にかかわるものなのはなぜか。
⑯ 旅の僧は夢幻能一般のワキとは違って、一貫して融の心情の同調者として描かれているが、世阿弥がそうした意図はなにか。
⑰ 『融』が詩劇たる最も大きな理由は何か。