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春秋座―能と狂言

歌舞伎劇場の空間で、伝統的な能・狂言の演目をお楽しみいただく
春秋座恒例企画

究極の「選択」と純化された「思い」ー『川上』と『井筒』ー

十年前から目がみえなくなった男が、参籠した吉野の川上地蔵の霊験によって目を明くが、それには悪縁の妻との離縁という条件がついていた。離縁しなければ、再び目がみえなくなるというのである。迎えにきた妻はそれを聞いて怒り、夫はせっかく明いた目にはかえられないと言うが、妻は頑として離縁はいやだと言い張る。そこで夫は地蔵のお告げに従って離縁するかどうかという選択を迫られる。はたして夫の決断は、そして一曲の結末はーー。江戸初期頃に作られた狂言で、かつては大蔵流も廃絶した鷺流でも演じていた。近代では和泉流の専有曲のようになっているが、この『川上』をとりわけ評価し、演出を練り上げて多くの名舞台を残してきたのが、野村万作氏である。こういう狂言もあるのかという驚き、そして狂言ならではの夫婦像。

能の『井筒』も夫婦の物語である。場所も『川上』と同じ大和だが、こちらは現在の天理市のあたりの石上(いそのかみ)。そこの在原寺(ありわらでら)が舞台である。在原寺は明治の廃仏毀釈で廃絶したようで、現在はその鎮守社だった在原神社が残るばかりだが、その在原寺を通りかかった旅の僧に、すでにこの世になき在原業平の妻紀有常(きのありつね)の娘が、前半では無名の里女として、夫が一時他の女になびいたこと、夫婦が幼い頃、寺の井戸の周りで遊んだこと、やがて成長した二人が将来を誓いあったことを語り、後半では里女は紀有常の娘の亡霊として現われ、夫業平への「思い」を吐露する。その「思い」は「恋慕」と「懐旧」だが、それが「思い」の象徴である井筒と〈序ノ舞〉によって、濃密な抽象度をもって純化されたかたちで描かれる。作者は世阿弥。すでに終わっている出来事を主人公の心の問題として描く夢幻能の名作だが、意外なことに、『井筒』が高い評価を受けるようになったのは戦後からで、それには世阿弥の再来といわれた観世寿夫の存在が少なからず与かっているようである。いうまでもなく、シテの観世銕之丞氏はその寿夫の甥である。(天野 文雄)

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プレトーク(約30分予定)
片山九郎右衛門(観世流シテ方)
渡邊守章(演出家、東京大学名誉教授)
天野文雄(能楽研究、京都造形芸術大学舞台芸術研究センター所長)

狂言 川上
シテ 盲目の夫 野村万作
アド 妻    野村萬斎

後見 深田博治

〈休憩約15分〉

能 井筒
前シテ 里女
後シテ 紀有常ノ娘
観世銕之丞

ワキ 旅僧 森常好

アイ 里人 野村萬斎

笛  竹市学
小鼓 吉阪一郎
大鼓 亀井広忠

後見
青木道喜
河村博重

地謡
片山九郎右衛門
古橋正邦
味方玄
片山伸吾
分林道治
梅田嘉宏
安藤貴康
観世淳夫

【企画・監修】 渡邊守章
【照明デザイン】服部基
【舞台監督】  小坂部恵次
【協力】 銕仙会、万作の会、空中庭園

助成:文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能強化推進事業)|独立行政法人日本芸術文化振興会

『井筒』詞章(画像をクリックするとPDFが開きます)