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渡邊守章記念 春秋座―能と狂言

「春秋座―能と狂言」シリーズは、2009年度にフランス文学者・演出家の渡邊守章当センター所長(当時)の企画・監修により始まりました。今回で14回目を数えます。


プレトーク 
片山九郎右衛門(観世流シテ方)
天野文雄(舞台芸術研究センター特別教授)

狂言 『花盗人』
シテ(男):野村万作、アド(何某):野村萬斎、後見:中村修一

〈休憩約15分〉

『隅田川』
シテ (狂女):観世銕之丞、子方(梅若丸):安藤継之助
ワキ(渡守):森常好 ワキツレ(旅人):舘田善博
笛:竹市学、小鼓:大倉源次郎、大鼓:亀井広忠
後見:青木道喜安藤貴康(発表当初より変更となりました)
地謡:片山九郎右衛門味方玄浦田保親片山伸吾橋本光史観世淳夫深野貴彦橋本忠樹

照明デザイン|服部基
舞台監督|小坂部恵次、大田和司(京都芸術大学舞台芸術研究センター)
協力|銕仙会、万作の会

花の都の「桜づくし」、東の果ての春の「哀傷」
―『花盗人』と『隅田川』―

 『花盗人』は、花の枝を手折って稚児に進上しようとした男が屋敷の亭主に捕まって交わす、おおらかでのどかな詩歌問答の狂言です。「春風は花のあたりをよぎて吹け心づから移ろふと見ん(春風は花のあたりを避けてくれ)」と亭主が言えば、男は「見てのみや人に語らん桜花手ごとに折りて家づとにせん(花の美しさは見ただけで人には語れない)」などとやり返します。やがて男が捕らわれの身を花に寄せた歌を即興で詠むと、亭主も意気投合して桜下での酒宴となり、男は天女が一枝の花を盗み取る能の『泰山府(たいさん)君(ぷくん)』の一節を謡って舞う。狂言ならではの風雅なひととき。室町時代には作られていた狂言です。

 『隅田川』は、季節は同じ春でも『花盗人』とはまったく対照的な女物狂能です。人買いに連れ去られたわが子梅若丸を捜して、都北白川(春秋座がある地域です)の女が物狂いとなって東国武蔵の隅田川までやってきて、大念仏が行われている対岸の下総に渡ろうとする。その船中、船頭によって、大念仏は一年前に亡くなった少年の弔いであること、少年の名は梅若丸であることが語られます。舟から降りた女が鉦鼓(しょうご)を打って南無阿弥陀仏の大合唱に加わると、塚から少年の念仏の声が聞こえ、梅若丸の亡霊が現われますが、それもつかのま、梅若丸は塚に消え、あとには明け方の浅茅が原が広がっているばかり。冒頭には業平の「東下り」をふまえた狂女と船頭の風雅な問答がありますが、以後はたたみかけるような悲劇的場面の連続です。梅若丸の塚を前に、「さても無残や死の縁とて、生所(しょうじょ)を去つて東(あずま)の果ての、道のほとりの草となつて」と嘆くあたりは、救いのない「哀傷」そのものですが、そのあとの南無阿弥陀仏の大合唱による「祈り」という要素も見逃すべきではないでしょう。作者は世阿弥の嫡男元雅。父世阿弥が梅若丸は母の幻覚なのだから出す必要はないと言ったのに対して、「それではこの能は成り立たない」と反論した「隅田川子方論争」は著名ですが、その後の上演史は元雅の主張に正当性を認めているようです。(天野 文雄)

 

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能『隅田川』詞章(画像をクリックするとPDFが開きます)

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公演アーカイブ

舞台写真

撮影:井上 嘉和 
©京都芸術大学舞台芸術研究センター 
撮影日:2023年2月4日
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