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バンフ・センター(カナダ)のダンスプログラムに参加して|中島 那奈子

特別寄稿
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本研究拠点の運営委員・中島那奈子氏による海外レポートを公開します。
カナダの舞台芸術をめぐる状況や、ダンスの表現者・研究者の思考に触れることのできる記事となっています。ぜひご覧ください。
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編集:共同利用・共同研究拠点事務局

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 2022年の春、カナダの劇場から連絡が入った。12月の2週間、カナダの代表的な劇場施設であるバンフ・センター・フォー・アーツ・アンド・クリエイティヴィティ(https://www.banffcentre.ca)より、ダンスプログラムのファカルティ・メンバー(教員)として招聘したいという依頼であった。バンフ・センターについて私自身はほとんど知らなかったものの、ドラマトゥルクの友人ギー・クールズによると、伝統のある素晴らしい滞在施設であり、この仕事は絶対受けるべきだという。
 2021年カナダでは、先住民の子どもたちを虐待した寄宿学校の過去が明らかになり、大きな問題になっていた。また2007年に国連が採択した「先住民族の権利に関する国際連合宣言」をうけて、日本でも2020年に開館した北海道のアイヌ文化施設のウポポイ民族共生象徴空間が話題にのぼっている。世界的な先住民文化リバイバルのうねりは大きく、2022年には横浜国際舞台芸術ミーティング(YPAM 2022)でも、台湾先住民の歌と儀礼から生まれたコンテンポラリーダンス、ブラレヤン・ダンスカンパニー(布拉瑞揚舞團)が招聘された。先住民のダンスをどう現代に甦らせ、コンテンポラリーダンスなどとどう融合させるかが、大きな問題となっていることは間違いない。そういった問題に対してドラマトゥルクという立場として私には何ができるのかという問いかけが、ここから始まった。

1、カナダのダンスと各都市の舞台芸術状況
 まず、カナダの舞台芸術状況について、歴史を振り返りながら紹介しておきたい。カナダにはモンゴロイド系の先住民がおよそ2万年前頃から、イヌイットと呼ばれる先住民が数千年前から渡って来た。このような先住民は「ファースト・ネーションズ」と呼ばれているが、カナダにおけるフランス人による入植が16世紀から、英国人による入植は18世紀から始まる。1867年に英国領として自治を認められ、1982年にカナダ連邦として独立後も、英語圏とフランス語圏の文化が共存し、国内で唯一仏語を公用語とするケベック州が、フランス語圏の文化を促進してきた。そして、カナダにおけるダンスの一大拠点はケベック州モントリオール市である。カナダでつくられるダンス作品の半分はケベックのアーティストが手がけているとも言われ、ここからカナダを代表するシルク・ドゥ・ソレイユ、ロベール・ルパージュ、ラララ・ヒューマンステップス、カンパニー・マリー・シュイナールなど、日本でもよく知られた振付家や演出家、カンパニーが生まれている。また、多文化主義政策を進めるカナダの国内だけでなく、その魅力的な振付家やカンパニーを、国外にも紹介する流れができている。
 その一つの中心となっているのが、1984年にケベック州モントリオール市に設立された国際舞台芸術見本市CINARS(シナール)である。隣国の米国と比べ、広い国土の割には人口が少ないカナダでは、国内の需要だけでは興行が成り立ちにくい。国内の舞台芸術を生き延びさせるため、海外市場の開拓と需要を生み出す仕組みとしてCINARSは作られ、カンパニーやアーティストの作品がここから海外に招聘されるようになった。その結果として、カナダ国内は新作のためのラボラトリー、そのツアーは国外というモデルが出来上がったという[1]
 トロントやバンクーバーなどの大都市でもダンスは盛んであるが、ケベックに比べて日本に入ってくる情報は極端に少ない。バレエにおいては、1951年設立のカナダ国立バレエ団をはじめ、ロイヤル・ウィニペグ・バレエ団、アルバータ・バレエ団、レ・グラン・バレエ・カナディアン、バレエ・ブリティッシュ・コロンビア、バレエ・ヨーゲンなどのバレエ団が興隆している。

2、ドラマトゥルク/ドラマトゥルギーについて
 私がバンフ・センターで行った業務は、ダンスドラマトゥルクとしての仕事である。ダンスのドラマトゥルクには、劇場や芸術祭、ダンスカンパニーと雇用契約を結んで働く者と、大学に所属する研究者としての肩書をもつ者の、双方が存在する。そして、このダンスドラマトゥルクの仕事を基にしたダンスドラマトゥルギー研究は、1990年代以降、既存の資料分析を中心とする研究⼿法を乗り越える形で⽣まれた、ダンスの実践的研究である。ドラマトゥルクは作品を創作する現場に携わり、かつ研究者として上演を内から分析する。このドラマトゥルクの⼿法と研究は、⽇本の演劇シーンでは導入が進められているが、ダンスにおいてはまだ⼗分に紹介されていない。
 カナダの大学では、ドラマトゥルク養成とドラマトゥルギー研究を担う大学の学位授与機関がいち早く整備された。ダンスでは、北米で初めてとなるドラマトゥルギー芸術学修士(MFA)がトロントのヨーク大学で始まり、カルガリー大学でもドラマトゥルク/研究者がドラマトゥルギーの教鞭をとっている[2]。今回、バンフ・センターで一緒に働いたダンスプログラムのディレクターであるアレハンドロ・ロンセイラはヨーク大学の出身で、もう一人のドラマトゥルクのピル・ハンセンは、カルガリー大学教授としてダンスとパフォーマンスのドラマトゥルギーを教えている。
 筆者がこれまで進めてきた「老いをめぐるダンスドラマトゥルギー」の研究会も、<老いと踊り>の研究の延長線上にあり、「創造」と「研究」の融合として位置づけることができる。また、京都芸術大学舞台芸術研究センターが実施する共同利用・共同研究の劇場実験という枠組みも、創作現場におけるアートマネジメント研究やドラマトゥルク/ドラマトゥルギー研究を背景とする、舞台芸術研究の新しい潮流の一つだと私は捉えている[3]。バンフ・センター・ファカルティ・メンバーとしての私の採用は、能と米国ポストモダンダンスを組み合わせた京都芸術劇場・春秋座での『Trio A』上演が高く評価され、推薦されたと聞いた[4]。この上演が実現した「イヴォンヌ・レイナーを巡るパフォーマティヴ・エクシビジョン」では、当時82歳の喜多流能楽師の参加によって米国ポストモダンダンスが希求した、<老い>のダイバーシティ(多様性)が加わったと考えている。バンフ・センターに携わるダンスカンパニーの幾つかは、先住民の長老や聾唖の制作者が、文化の擁護者(custodian)や文化ドラマトゥルク(cultural dramaturg)という肩書きで、チームに関わる場合もあるようだった。これまでの<老いと踊り>の視点を、<障がい><先住民と伝統><パフォーマンスの創作>をめぐる問題群に広げて何ができるのだろうと、緊張と期待で一杯だった。


バンフ・センターの様子

3、バンフ・センター・フォー・アーツ・アンド・クリエイティビティについて
 バンフ・センターは1933年に設立された教育文化施設で、カナダのロッキー山脈に囲まれたアルバータ州バンフ国立公園に位置している。当初は演劇コースのみで始まったものの、現在は芸術、文化、複数の領域を横断する作品創造を世界的に牽引するグローバルな組織に成長している。現時点では文学、演劇、美術、音楽、オペラ、ダンス、先住民ダンスなどの滞在制作プログラムが年間を通して開催され、劇場公演や美術展も開かれている。宿泊施設を兼ねた大規模な施設を、学会や各種会議に貸し出し、その収益を芸術創造の運営費に回しているようだが、アルバータ州政府やこの地域の石油産業からの助成も多い。バンフ・センターが位置するアルバータ州には、粘り気の強い油を含むオイルサンドが大量に堆積している。埋蔵量で見ると、カナダは2003年にサウジアラビアに次ぐ世界第2位の産油国で、石油産業による文化政策への発言権は大きいようだった。
 近年、北米やオーストラリアといった入植者国家において、これまで抑圧されてきた先住民の文化を評価し、ヨーロッパの入植者文化と和解、共存させていく流れが見られる。公的な催しの冒頭では、その土地がファースト・ネーションズと呼ばれるどの先住民に属していたかに言及し、敬意を示すことが義務付けられている。そしてこのバンフ・センターのある地域も元は先住民の土地であり、すべてのプログラムは先住民の部族による歓迎セレモニーで始まる。配布物にも必ず、以下のような土地承認の記述(Land Aknowledgement)が記されていた。

 私たちの故郷なる聖なるバッファロー守護山脈に、深い敬意と感謝を示します。バンフと呼ばれる地域はミンルパ(ストーニーナコダ語で滝と訳される言葉)として知られ、第七協定の領域で、ベアスパウ、チニキ、グッドストーニー族からなるナコダ族(Îyârhe Nakoda)の口承実践、ツウティーナ族、ブラックフット連合にも敬意を表します。この領域はまた第三地域であるシュスワップ族、クトゥナクサ族、アルバータのメティス族の故郷と認めます。私たちは、ここに住み、働き、行動し、私たちがこの土地を管理することを助け、そしてこの場所を称え、祝福する全ての民族を承認しています[5]

バンフ・センターでの宿舎、食堂、研究室の様子

 バンフ・センターでの仕事は、作品制作の準備段階であるダンスの滞在制作プログラム(ダンス・アーティスト・イン・レジデンス)のドラマトゥルクとしての業務であった。この滞在制作プログラムとは、アーティストがある土地に滞在し、作品の制作やリサーチ活動を行なうこと、またそれらの活動を支援する制度である。日本でもこの10年で城崎国際アートセンターをはじめ、この制度が根付いてきた。これは「アーティストにとっては普段の生活から離れることで制作に集中できるだけでなく、文化の違いを超え、そこでの生活や交流から刺激を受け、新たなインスピレーションを得たり、制作の原動力としたりすることができ、また、人脈のネットワークを広げることができるという特徴もある。一方で招聘する側の自治体や地域にとっては、制作過程におけるアーティストとの交流や、地域の魅力の再発見などのメリットがある。地域文化の振興の点での効果も期待」されるという[6]。バンフ・センターのように、国内外でも評価が高い滞在制作の場合は、招聘されたアーティストのキャリアアップや、次の滞在制作の機会や助成金獲得への足掛かりになる。
 バンフ・センターでは、2022年10月〜12月にわたって、ダンス部門ディレクターのアレハンドロ・ロンセイラさん、カルガリー大学教授のピル・ハンセンさんとともに、中島はプログラムのファカルティ・ドラマトゥルクを務めた。ここでは他の二人のドラマトゥルクと共に、滞在制作を希望する振付家とダンスカンパニーの審査から作業を始めた。バレエやダンス、パフォーマンスアート、民族舞踊、ストリート、先住民舞踊など様々な分野から、六十件近く届いた応募書類のうち、最終的に六組のダンスカンパニーを選び、12月半ばから現地での2週間の滞在制作を行った。各ドラマトゥルクは、二つのグループを主に担当しながら、それぞれの仕事を支え合う、チームでのドラマトゥルギーを行った。応募があった多くのダンスプロジェクトのうちから、「ダンス」という概念にこだわらずに、作品やダンススタイル、振付家のアイデンティティやキャリア、ジェンダーバランスに配慮しながら、ダイバーシティ(多様性)を最大限に尊重する形で、招聘するカンパニーや作品を決めていった。その中には、広島出身でトロントを拠点に活躍するダンサー鵜飼優衣さんと、移民の背景を持つカナダの振付家アシュビニ・スンダラムさんが協働するチームもあった。私が担当した二組は、先住民文化をパフォーマンスにするベテランの振付家マーガレット・グレニアーさんと、いま世界中で多くの賞を受けるコンテンポラリーの若手振付家デイナ・アシェべさんの二人だった。

ピル・ハンセンさん(写真左)、中島、アレハンドロ・ロンセイラさん(写真右)

4、「ダンスは私たちがどう生きるかを教えてくれる」―マーガレット・グレニアー
 バンフ・センターで私がドラマトゥルギーを担当した二組のうち一組は、振付家で芸術監督のマーガレット・グレニアーさん率いるDancers of Damelahamidというカナダ北西部の先住民ダンスカンパニーであった。このダンスカンパニーは、カナダ北西海岸に位置するスキーナ川中流域に居住していた先住民であるギックサン族(The Gitxsan)の伝統を継承していた。ギックサン族を含めたカナダ北西海岸の先住民は、原則として農耕を行わず狩猟採集、わけてもサケなどの漁労活動に依存していたといわれる。豊富な海洋資源のおかげで富裕な生活を営み、動物などのクラン組織と社会階層制を持つこと、またポトラッチとして知られる儀礼や特有の美術様式(動物の身体部位を分解する分割表現)、紋章、ワタリガラスなど神話的概念を継承している。マーガレットさんによると、カナダ政府が先住民の伝統舞踊やポットラッチを禁じた法令(1884−1951年)の解除後、1950年代におきた民族再生の流れの中で、マーガレットさんの祖母と両親がこのダンスカンパニーを設立し、2001年に彼女にカンパニーが託されたという [7]
 マーガレットさんのダンサーの何人かが同じ苗字だということに当初から気づいていたが、蓋を開けてみるとダンサー全員が親戚だった。従兄弟、姪、娘、息子、息子の妻、息子の子供たち、息子の妻の両親といった世代を超えたメンバーに加えて、長年コラボレーションをしているサウンドデザイナーやビジュアルアーティスト、そして新しくニュージーランドのマウリ族のアーティストが創作のサポートに加わっていた。彼らは通常、弁護士や大学生、経営者など他の肩書を持つのだが、滞在制作のために授業や仕事を調整して参加していた。マーガレットさんは1日約8時間の稽古を行い、稽古の始めと終わりは香木による煙を身体に浴びる儀式と祈り、そして皆でのギックサン語の歌の合唱であった。バンフ・センターの人々が驚いたことに、私は家族の一員としてすぐに受け入れてもらい、その儀式から稽古に参加することになった。そして彼らのウォームアップは、ワタリガラスや蛙の踊りだった(!)。
 この滞在制作では、マーガレットさんの亡き母を追悼する「Raven Mother (ワタリガラスの母)」という作品の創作を行っており、初演は2024年になるとのことだった。伝統的なモチーフを使った舞台装置や衣装、楽器、映像も自分たちで作っていた。振付はシンプルな動きが多く、誰にでも踊れそうだが、それにもかかわらず創作のスピードはゆっくりだった。2週間同じシーンをずっと練習していて、見ている私はジリジリすることも多かった反面、彼らは振付について皆で議論を行い皆で決めることを尊重していた。そのやりとりが、ギックサン族のコミュニティ形成には大切なのかもしれないと感じながら、お年寄りが面倒をみる子供達が、休憩中にスタジオを走り回る様子を眺めていた。
 振付家のマーガレットさんは物静かな人だったが、時々発せられる言葉は心に届く力を持っていた。彼女の修士論文も読ませてもらい、舞台作品に限らず、時にそれ以上に幅広く強い言葉を持っていると気づかせてくれた。「ダンスは自分のアイデンティティを気づかせてくれるだけでなく、私の家系へのスピリチュアルなつながりと理解を深めてくれる[8]。」「私たちの教育方法は、先住民としてのアイデンティを証明してくれる。この教育の現場では、必ずお年寄りに敬意を払うような、世代を超えた教育システムが構築されている[9]。」ダンサーには謝金が支払われるようだったが、稽古は必ずしも順調に進んでいたわけではない。若い世代はギックサン族としての強固なアイデンティティがある訳でも、創作意欲が高いという訳でもなく、大学のために滞在制作の途中で帰ってしまうダンサーもいた。ある時食事をしながら、マーガレットさんがふとつぶやいた言葉が心に残っている。「ダンスは私たちがどう生きるかを教えてくれる。」

トレイラー映像
2010 SPIRIT AND TRADITION

カンパニーウェブサイト:https://damelahamid.ca/

 2021年の統計によると約3690万人のカナダ人口のうち、5%にあたる180万人が先住民にあたる。そして1982年カナダ憲法において先住民は、インディアン(現在はファースト・ネーションズ)とイヌイット、メティスと規定されている[10]。カナダの先住民に含まれる多くの部族のうち、ギックサン族については実は膨大な研究資料が残っている。北米北西海岸の諸民族は、方言の違いにより、三つのグループに別れていた。スキーナ川流域のギックサン族、下流および沿岸地域のツィムシアン族、ナス川及びその支流のニスカ族である[11]。彼らはトーテムポールなどの特色ある美術で知られ、その図像がマーガレットさんの舞台装置や衣装にも反映されている。また、この地域の民族に関して、文化人類学者のフランツ・ボアズによる1886年からの膨大な民族調査があり、それをもとにした、クロード・レヴィ=ストロースによる神話分析『アスディワル武勲詩』(1958)なども知られている。

マーガレットさんのリハーサルの様子
Photo by: Rita Taylor, Banff Centre 2022

5、自然とのレゾナンス ―デイナ・アシェベの滞在創作
 私が今回バンフ・センターでドラマトゥルクとして担当したもう一人の振付家が、デイナ・アシェべさんであった。彼女は、その斬新な振付に各国での受賞が続く若手振付家で、現在、カナダが国を挙げてサポートしている振付家の一人と言える。今回はClifford E Lee賞という賞を受け、バンフ・センターでの新作初演を含めた滞在制作のために招聘された。代表作は2017年のソロSerpentine (2017) であるが、次作はグループ作品となる予定である。彼女はメティスという、白人にも先住民にも属さず緊張関係を保つカナダ特有の先住民の出自である。ダンサーは皆オーディションで公募され、彼女のアシスタント数人に加え、20代から30代の若いダンサーが北米、南米から10人集められていた。

トレイラー映像
J’ai pleuré avec les chiens – Time, Creation, Destruction (2021)

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 デイナさんは、カナダ、米国、メキシコなどのアメリカ大陸、ヨーロッパ、オーストラリアにおけるコンテンポラリーダンスのフェスティバル、現代アートのマーケットで大きな成功を収めている。そして、オーディションで各都市のダンサーを公募し、バンフ・センターでは1日約4時間のリハーサルを行っていた。その作品の特徴は、衣装をつけない裸体でのパフォーマンスであり、また、うずくまる、吠える、身体の一部を動かす、相手の身体によじ登る、ポーズしたまま静止するなど、ダンステクニックというより高度な身体能力を要するものだった。喜怒哀楽を超越するような、生き物の根源をつくような叫び。蠢くダンサーを描写する適切な語彙がみつからないような、動物との差異をなくした新たな人の肉体のあり方を提示しており、周囲の自然とのレゾナンスを感じさせる。音響では、人間を超えた時間の流れを感じさせるノイズや、それとは対照的に、スピリチュアルなセラピストの言葉を流したりもする。作品タイトルには大抵動物の名前が入っており、先住民に由来するような独特の感性を、グローバルなスケールで応用、拡張させているとも言えるのだろうか。様々な意味で、その作品を見たら二度と忘れられなくなる振付家である。

デイナ・アシェべさん次作「My Tale On A Fish’s Body」(2023年) クレジット

6、カナダ先住民の歴史と問題
 バンフセンターでの仕事は、カナダの歴史抜きに語ることは難しい。この歴史は、当事者であるファースト・ネーションズにとっても、それを受け止める側にとっても重く苦しい過去となる。私自身も彼らの経験を追体験するため、この一年は胸につかえる苦しさを感じ続けた。ただ忘却は無関心を招く。当事者ではない者がこの歴史を語る限界はありつつも、辛い過去の記憶を癒し、この負の遺産を未来に向けて解決するためには、私たち皆が真実を知り、和解へと共に努力する必要がある。カナダのこの負の遺産について、ダンスを通して考えることを許して頂きたい。またこの章には、人によって強い心的衝撃を感じる記述が含まれることも断っておきたい。
 ファースト・ネーションズ/先住民とは、国家や地域に先住していたものの、後続の入植者の増加によって少数派となり、政治的に支配されている、特定の集団意識を持つ人々を意味している。そして、北米やオーストラリアのような入植者の植民地統治によって成立した国家にとって先住民の政治的存在は、その国家の正当性を揺るがすものとなる。
 カナダは、政府による先住民の土地剥奪という歴史から成り立っている。そしてカナダは、法的枠組みが整備され国として豊かであるにもかかわらず、危機的なほど先住民の人々がさまざまな人権問題に直面している。2004年の国連の報告書によると、貧困、幼児死亡率、失業、疾病率、自殺、刑事施設への収容、児童福祉施設での保護、女性の虐待被害、児童買春などすべてにおいて、カナダ社会のいかなる人々よりも先住民の人々が占める割合が高い[12]。そして、この問題の一つの理由となっているのがインディアン法と呼ばれる法律である。これは、カナダ連邦発足の1876年から制定され、多くの内容が変更されたものの、現在も継続している。このインディアン法では、先住民による選挙権の剥奪、伝統的儀礼のポットラッチの禁止、高等教育への進学制限、土地の所有や相続を禁止し、先住民を禁治産者と位置付けた[13]。このインディアン法によって、1885年から1951年まではカナダの白人社会への同化政策のもと、先住民が公的な場でダンスや儀礼を演じることが禁止され、ダンスの振付の多くが失われたという[14]。マーガレットさんによると、この時期にギックサン族の伝統儀礼に使う衣装や小道具が、レニングラードの文化人類学民族美術館やスミソニアン博物館に収蔵されたという[15]。西洋近代の文化的優位性に基づくカナダの植民地主義とインディアン法によって、先住民の人々は多くのものを失った。
 その後、1960年代に社会格差や人種差別への社会運動が世界的な広がりを見せる。米国で火がついた黒人や障がい者、高齢者、先住民による市民権獲得運動がカナダにも飛び火し、1970年代には先住民運動の原動力となっていった。これが、1973年の最高裁判決を導くカナダ先住民族自治権獲得のきっかけを作ったとされている[16]。第二次世界大戦後から1961年にかけてインディアン法は大幅に改正され、先住民は数々の裁判を通して、先住民としてのタイトル(権原)回復と民族自治への苦難の歴史を辿ってきたが、今も問題は続いている。この法の下に先住民として政府から恩恵を受けることも可能である一方、先住民としての権原に土地の奪還や使用権を含めるかなど、カナダ連邦政府や州政府との裁判、警官との衝突が続いている[17]
 加えて、2021年にはカトリック教会によるカナダの植民地化・先住民文化撲滅の負の歴史が再燃した。カナダでは1870年ら1990年代まで、白人社会への同化を目的に、先住民の子供を家族から引き離し、寄宿学校に入れる政策が取られた。インディアン法の下に政府が資金を拠出した寄宿学校は、少なくとも139校あったとされ、その多くをカトリック教会が運営していた。後に政府と先住民の人々の合意で設立された第三者機関「真実と和解委員会」の調査によると、15万人の子供たちが家族から引き離され、寄宿学校では先住民の言語での会話は禁止され、暴力が横行していたという[18]。カナダ政府とカトリック教会は寄宿学校に関するアーカイブの公表を拒んできたため、寄宿学校内部で起きたことは長く生存者の証言に頼らざるを得なかった。真実と和解委員会の調査では、全体で少なくとも3213人が在学中、過酷な状況下で栄養失調や病気で亡くなったとみられるが、埋葬記録は残されていなかった[19]。そして2021年5月、カナダ西部ブリティッシュ・コロンビア州カムループスの寄宿学校跡地で、215人の子供の遺骨が見つかった[20]。翌月には中部サスカチワン州の寄宿学校跡地でも751の墓標のない墓が見つかった[21]。この痛ましい知らせを受けてカナダ全土では何千人もの人々が、ローマ教皇による正式謝罪とカトリック教会の内部アーカイブの公表を求めて立ち上がった[22]。その動きを受け、フランシスコ・ローマ教皇がカナダ・アルバータ州に謝罪に行ったことは、日本でも大きく報道された[23]
 マーガレットさん達は皆、この寄宿学校の近年の報道に大きなショックをうけたそうで、加えて親戚にはいまだ寄宿学校で受けた体罰で背中が痛む者もいるという。この教皇によるカナダでの式典で、マーガレットさんたちもパフォーマンスをするよう依頼されたが、断ったとのことだった。

7、水のドラマトゥルギー:ドラマトゥルクができること
 ここで私がダンスドラマトゥルクとしてどう働いたかを、ドラマトゥルクの成立経緯とともに考えていきたい。ドラマトゥルクは、18世紀ドイツ・ハンブルク国民劇場でのレッシングの仕事に始まると言われ、その時から継承される三つの指針が今でも多くのドラマトゥルクの主な活動と重なると考えられている。まず、(1)劇場の演目を選定する演目ドラマトゥルギー、そして(2)リハーサルでの作品作りを担う制作ドラマトゥルギー、加えて(3)パンフレットの執筆や公開講座、トークなどを通じての観客ドラマトゥルギーである。これはバンフ・センターでの仕事においても、どのような背景の振付家や作品を招聘して滞在制作を行うかというプログラム作りや、滞在制作中のリハーサル、そして滞在制作後に私たちドラマトゥルクが、振付家やその作品について論文や書籍を執筆することに該当するだろう。
 ダンスにおけるドラマトゥルクの誕生は、ダンサーではなかった身体が、ダンスを作る現場に入ってきたことと深く結びついている。ダンスにおけるドラマトゥルクは、1980年にドイツの振付家ピナ・バウシュのドラマトゥルクを務めたライムント・ホーゲが初めてとされる。彼はバウシュの批評を執筆していたジャーナリストで、身体に障がいを持っていた。そのホーゲがダンスのリハーサルに立ち会うことで、バウシュの作品に新たな視点が加わったと言われる。ライムント・ホーゲは、2014年に「老いを巡るダンスドラマトゥルギー」の劇場実験のために来日し、京都芸術劇場春秋座でも「An Evening with Judy」を上演した。2021年の惜しまれる逝去に心からの哀悼の意を表したい。
 ダンスドラマトゥルギーに関する文献は近年かなり増えているが、ダンスドラマトゥルクの創作プロセスでの具体的な仕事を説明する文献は、未だほとんどない。ただ、ダンスでのドラマトゥルクの力とは、動きを組み立てその重要性を読み取り、一つのパフォーマンスに組み立てていく能力だとされ、それは物を見る技能、眼差しとも表現される。シディ・ラルビ・シェルカウイやアクラム・カーンといった振付家と働いたギー・クールズは、ダンスドラマトゥルクの主な仕事を三つに分けて説明している。まず、(1)稽古でのソマティック(心身の統合的)な立会人としての役割、そして、(2)創作での対話パートナーとしての役割、最後は(3)作品の編集者としての役割である[24]
 私が今回ドラマトゥルクとして何をしていたかというと、非常に雑多な作業であった。まず、担当するグループのリハーサルで何が起こっているのかを把握する。ウォームアップの時間や誰がリハーサルに入って何を進めるかを同時並行で確かめていく。また、劇場スタッフと連携しながら、リハーサルに必要なものを補充し、スタジオの鏡に目隠しをつけたり、極度の乾燥で破裂してしまった太鼓の代わりを買いに、街まで買物に同行したりする。またバンフ・センターの外気は−25度前後で、内部は24時間暖房をつけるので、空気の乾燥が進んでいる。加えて、バンフは標高1600メートルに位置しているため高山病にかかる人が多く、睡眠障害や酸素不足に悩ませられる。そのため、水分補給は命に関わる問題となる。みな、水分を常に取れるように水筒を持ち歩いているが、リハーサル時も適した湿度になるように、スタジオになかった加湿器を様々な部署から借りて設置し、常に水を補充して稼働させる。また、それぞれのリハーサルは様々な人間関係の中で動いており、リハーサルにいる時間をはじめは短く、だんだん長くするなど、グループとの人間関係に寄り添う配慮をしていた。また、裸体でリハーサルをする際には、ダンサー達がトラウマにならないように、いつ誰とスタジオに入るかを皆に事前に知らせるなど、プロトコルに気をつけて動いていた。ドラマトゥルクの役割とされるリハーサルのフィードバックや、伝統的な文化に他者として質問を投げかけることも行ったが、出会ったばかりの振付家にこれらを行うのは、時期尚早という感じも否めなかった。それよりも、各グループがリハーサルをするスタジオにはできる限り行かず、皆が食事をとる食堂に居座って、それぞれのグループやダンサーと仲良くなることを心がけていた。
 このような雑多な作業を理論的にどこに着地させるかが、ドラマトゥルクの腕の見せ所となるのだが、今回は先住民と伝統をどう捉えるかが目の前に突きつけられた。カナダには名だたるバレエ団があるように、ダンスもヨーロッパの伝統が色濃く残る。コンテンポラリーダンスもケベックのアーティストが優勢であるが、バンフでは先住民に由来するダンス、という今まで私に見えていなかった地平に対峙した。そこでは、単に私の価値観で彼らの作り方を面白いものに変えていくことは、ネオリベラルな市場主義原理に迎合することではないか、という疑念が付き纏った。私が面白いと感じるダンスの基準は、グローバルなマーケットで多くの観客を獲得できる、つまり多数派のダンス美学に則ったドラマトゥルギーである。それはかつて、カナダ先住民の文化をヨーロッパ文化に同化させようとした行為とどうちがうのか、という問いを問い続けていた。多数派であるヨーロッパ由来の芸術趣向に合うように、ホワイト・ゲイズ(白人の眼差し)を取り入れるべきかどうか。また、そもそもヨーロッパの制度であるドラマトゥルクとして、どのような対話ができるのか。そうはいうものの、私はバンフ・センターでは外国人であり、アジア系日本人という意味でもマイノリティに属していた。日本の伝統芸能や老いという感性も併せ持つ私が、ここでどのように先住民とさまざまなダンスの伝統を繋ぎ合わせていくか、は難題であった。
 私が今回担当したマーガレットさんとデイナさんは、二つの対照的な伝統のあり方を提示していた。一つは、ローカルな土地に根付いて発展する伝統のあり方である。マーガレットさんらは、スキーナ川というギックソン族の居住地を巡って、今も王立カナダ騎馬警察と衝突しながら、その文化的伝統をダンスという形で伝えている。それとは対照的に、デイナさんはそのグローバルな成功とともに、元々は先住民の多くの部族がそうであったように、国民国家の枠組みにとらわれない、トランスナショナルな伝統を体現している。ただ、デイナさんは欧米の劇場や美術館で、現代の芸術作品として提示される際にも、自分がカナダの先住民の出自であることを隠さない。そしてその作品は、自身の感性とふかく根付いた物語である。それはヨーロッパの演出家ピーター・ブルックやアリアーヌ・ムヌーシュキンが、インドやカナダ先住民の物語を、自分の話として作品化する手法とは大きく異なっている。
 最後に、私がこのバンフ・センターで行った作業をまとめると、水のドラマトゥルギーと呼べるのではないか、という点を加えたい。先述したように、バンフは標高の高さと極度の乾燥のために、さまざまな形態の水が、人体へ多くの影響を与える。まず、12月のバンフは雪で覆われており、外出を含め、寒さへの対処は命に関わる問題になる。時に20%まで下がる湿度によって、肌や鼻は乾燥で出血しないよう、常にクリームを塗る必要がある。水分補給は、高山病の症状を軽くするためにも必要であり、飲み物は持ち歩く必要がある。また、身体への配慮だけでなく、楽器が壊れないよう、加湿器も必需品である。私は、スタジオの加湿器に十分水が入っているかを確認し、起動させ続けることに配慮していた。というのは、スタジオの湿度が十分になると、振付家やダンサーの緊張がふっと揺らぐからである。
 マーガレットさんの作品は、亡くなったマーガレットさんのお母さんを弔うものである。スキーナ川に浮かぶ舟とともに、オールで川の水を漕ぐ動きが、亡き人を思う涙と重なっていく。そのシーンを見ていて、日本の舞踊でも川の水が登場人物の心情を語ることを思い出していた。濡れた着物の袂を絞って別れの辛さを示したり、子を失った悲しみを川の白波に託したり。ギックサン族の伝統的図像や言語は私にはわからないものの、川の水に亡き人への思いを託す踊りは同じでよくわかります、と伝えた時のマーガレットさんのハッとした反応は忘れられない。 
 その一方で、バンフは温泉の街である。バンフ一帯はスパのある高級リゾート地として世界的に知られているだけでなく、公共の天然温泉プールも街には整備されている。熱いバンフ温泉に入りながら、デイナさんから、身体を水に浮かべるリサーチを長く行っていたことを聞いた。デイナさん達の助けを借りて、私もその温泉でぷかぷかと身体を浮かべていると、そこに彼女の作品に感じられる独特な知覚世界が現れてきた。おまけに、皆と一緒に40度を超える温泉の中と−25度の外気との、どちらも過酷な世界を出たり入ったりしているうちに、自然とのレゾナンスという意味が、水を通してもっとも感覚的に迫ってきたのだった。
 自然環境を巡る「サスティナビリティ」(持続可能性)や「リジリエンス」(抵抗力、回復力)といった議論は、実は先住民の文化と切り離せない。何故ならば、近代化以降の急速な産業化、都市化は、自然環境を人間がコントロールする姿勢に基づき、入植者による先住民の土地収奪とその埋蔵資源採掘による環境破壊と重なるからである。おまけに、追いやられた土地でその自然環境の悪化の煽りを受けているのは、その先住民の側である[25]。自然と切り離された文化は、先住民にはない。先住民と入植者文化を融合させるオーストラリアのダンスカンパニー「マルガク」では、作品においてダンサーが何かを動かすのでなく、その周りの土地や環境に耳を傾け、それがダンサーである自らの身体へと入りこむ(enter)よう心がけるという[26]。これまでの人間中心的なダンスの作り方ではなく、そのような受動的な共振性こそ、彼らの先住民文化の感性と繋がるのかもしれない。そして、それは日本人が自然に対して持っているような、人間と自然が束縛されずに一体となったときの直覚、を呼び起こす気がする。京都に住んで、私は山や川と一体になる感覚に襲われる時がある。そして、その感覚こそ私がバンフ・センターで、水を通して、理解できた直覚であるようにも考えている。


[1]

「CINARS四半世紀の歩み創設者アラン・パレの挑戦」アラン・パレ、国際交流基金ウェブサイトhttps://performingarts.jpf.go.jp/J/pre_interview/1005/1.html(アクセス日時2023年4月19日)

[2]

Darcey Callison, “Navigating a Continuum: MFA Dance Dramaturgy Research at York University,” Canadian Theatre Review, 155 summer 2013, doi: 10.3138/ctr.155.006 (アクセス日時2023年3月31日)

[3]

京都芸術大学舞台芸術研究センター共同利用・共同研究拠点の活動理念:http://old.k-pac.org/kyoten/base/ (アクセス日時2023年3月31日)

[4]

「イヴォンヌ・レイナーを巡るパフォーマティヴ・エクシビジョン」(2017年)報告サイト:http://www.nanakonakajima.com/rainer/

[5]

バンフセンターのウェブサイトに原文が掲載されている。https://www.banffcentre.ca

[6]

アートスケープウェブサイト、Artwords「アーティスト・イン・レジデンス」の項目(著者=中山亜美)を参照。https://artscape.jp/artword/index.php/(アクセス日時2023年4月21日)

[7]

Gildedowet, Margaret Grenier, In the Space of Song and Story: Exploring the Adaawk of Hagbegwatku Simgeeget, Sigyidmhana nah Deth when sim Simgeeget, Simon Fraser University, Master Thesis, 2006, p. 112.

[8]

ibid, p. 83.

[9]

ibid, p. 92.

[10]

カナダ政府統計局ウェブサイト参照:https://www150.statcan.gc.ca/n1/daily-quotidien/220921/dq220921a-eng.htm(アクセス日時2023年4月21日)

[11]

D.キュー、P.E.ゴッダード、菊池徹夫・益子待也訳『北西海岸インディアンの美術と文化』六興出版、1990年

[12]

「先住民族の人権と基本的自由に関する国連特別報告者報告 ― カナダの先住民族の状況」(E/CN.4/2005/88/Add.3) ロドルフォ・スタベンハーゲン、角田 猛之訳『ノモス』関西大学法学研究所、第49号、2021年12月、91頁。

[13]

インディアン法(Indian Act,1876)はカナダ政府ウェブサイトを参照:https://laws-lois.justice.gc.ca/eng/acts/i-5/ インディアン法については以下の論文を参照。山田亨「北西海岸の先住民族自治と文化振興:自治権獲得後の民族文化振興政策の一考察」『トーテムの物語~北西海岸インディアンのくらしと美』北海道立北方民族博物館、2008年、31頁。カナダ先住民の人々が今も直面する社会問題を綴った『命を落とした七つの羽根―カナダ先住民とレイシズム、死、そして「真実」―』(タニヤ・タラガ、村上佳代訳、2021年、青土社)では、インディアン法や先住民寄宿学校の過去が、今も世代を超えてカナダ社会にいる先住民の若者に、負の連鎖をもたらしていることを伝える。

[14]

浅井晃『カナダ先住民の世界 インディアン・イヌイット・メティスを知る』彩流社、2004年、43−44頁。インディアン法や先住民演劇の禁令については以下の論文を参照、室淳子「先住民寄宿学校制度に関する真実と和解」―D・H・テイラーの『神とインディアン』」『Artes MUNDI 4』 名古屋外国語大学ワールドリベラルアーツセンター、2019年、83-93頁。

[15]

Gildedowet, Margaret Grenier, p. 73.

[16]

フランク・コルダーを原告とする1973年の最高裁での判決では、ブリティッシュ・コロンビア州で入植以前に先住権が存在したことが初めて認められた。この時点までは、カナダの歴史的な先住民との条約交渉、締結の動きは法的虐殺とみなされるものだったが、これ以降カナダ連邦政府は近代条約交渉に取り組む和解への論争に、舵を切ったとされる。永井文也「カナダ・ブリティッシュ・コロンビア州における先住民族の土地に関する権利をめぐる近年の研究動向」『国立民族学博物館調査報告』156、2022年11月、429−450頁。山田亨「北西海岸の先住民族自治と文化振興:自治権獲得後の民族文化振興政策の一考察」31頁。

[17]

山田亨「北西海岸の先住民族自治と文化振興:自治権獲得後の民族文化振興政策の一考察」30頁。「先住民族とカナダ政府」『第39回特別展 カナダ・アルバータ州先住民族の文化』北海道開拓記念館、アルバータ州立博物館企画・編集、1993年、43−55頁

[18]

真実と和解委員会がまとめた最終報告書要旨3, 37-133頁参照、https://ehprnh2mwo3.exactdn.com/wp-content/uploads/2021/01/Executive_Summary_English_Web.pdf

[19]

これは真実と和解委員会による2014年11月時点での予測人数で、行方不明者は含まれない。(スコット・ハミルトンによる報告書2頁参照。https://ehprnh2mwo3.exactdn.com/wp-content/uploads/2021/05/AAA-Hamilton-cemetery-FInal.pdf

[20]

カナダ放送協会(Canadian Broadcasting Corporation/CBC)記事参照。Courtney Dickson, Bridgette Watson, ”Remains of 215 children found buried at former B.C. residential school, First Nation says,” 2021年5月28日: https://www.cbc.ca/news/canada/british-columbia/tk-eml%C3%BAps-te-secw%C3%A9pemc-215-children-former-kamloops-indian-residential-school-1.6043778(アクセス日時2023年4月21日)

[21]

カナダ放送協会記事参照。Bryan Eneas, “Sask. First Nation announces discovery of 751 unmarked graves near former residential school,” 2021年6月24日: https://www.cbc.ca/news/canada/saskatchewan/cowessess-marieval-indian-residential-school-news-1.6078375 (アクセス日時2023年4月21日)

[22]

1980年代からそれまで沈黙していた寄宿学校の生存者が声をあげ始めた為、カナダ政府も先住民が訴える不正義に取り組む必要性を認め、王立委員会そしてトラウマ修復金が設立された。2008年にはカナダ政府による公式な謝罪がなされ「真実と和解委員会(The Truth and Reconciliation Commission of Canada略してTRC)」が設置された。委員会は、先住民についての文書や証言を収集し、寄宿学校についての真実を明らかにし、先住民の家族と非先住民・コミュニティ・教会・政府、そして他のカナダ人とを和解に導き、そのことで包摂と相互理解・尊敬の新しい関係を作る目的があった。2015年にこの委員会が調査を6冊の最終報告書にまとめ、国立アーカイブに収めた。(窪田幸子「先住民族との和解に向けて:謝罪、補償とトラウマの修復」『アイヌ・先住民研究』第一号、北海道大学、2021年3月、67−82頁参照。 https://doi.org/10.14943/97158.)ただ委員会が政府に要請した寄宿学校跡地調査はなされずにいたため、先住民コミュニティ自らが立ち上がり、アルバータ大学の考古学者らと跡地調査に乗り出した。カナダ・アルバータ大学ワイルドキャット博士による解説参照。”Narratives of Truth and Reconciliation, Dr. Matthew Wildcat, Department of Political Science, The Institute of Prairie and Indigenous Archaeology and the Kule Institute for Advanced Study,” https://www.ualberta.ca/prairie-indigenous-archaeology/news/2021/09/uncoveredepisode1.html (アクセス日時2023年4月21日)

[23]

毎日新聞記事、2022年7月22日ローマ教皇、カナダ先住民に謝罪 聖職者が虐待の過去「悲惨な誤り」国際速報北米https://mainichi.jp/articles/20220726/k00/00m/030/026000c(アクセス日時2023年4月21日)

[24]

ダンスドラマトゥルギーウェブサイトhttp://www.dancedramaturgy.org/articles/E1-J.html(アクセス日時2023年4月21日)

[25]

石山徳子は環境運動と米国の先住民族のアイデンティティについて論じ、土地と空間に根ざした先住民の視点では、故郷の空間には能動性が内在するという。人間と自然は、二項対立や支配/被支配といった関係ではなく、対等な相互関係の中で捉えるものであり、そこからCo-Becomingの概念が生じると述べている。「『犠牲区域』から拡がる環境危機―先住民研究の知見と、紡がれる関係性のなかでー」『思想』1184、2022年12月、164-183頁。

[26]

Rachael Swain, Dance in Contested Land: New Intercultural Dramaturgies, London: Palgrave Macmillan, 2020, p. 130.

中島那奈子 Nanako NAKAJIMA
老いと踊りの研究分野を切り拓きドラマトゥルクとして国内外で活躍。著作は6ヶ国語に訳され、近作に「イヴォンヌ・レイナーを巡るパフォーマティヴ・エクシビジョン」(春秋座2017)、「ダンスアーカイブボックスベルリン」(ベルリン芸術アカデミー2020)、能楽師や合唱による「型の向こうへ −声のレゾナンス−」(京都府庁2023)がある。2019/20年ベルリン自由大学ヴァレスカ・ゲルト記念招聘教授。共編著『老いと踊り』、2017年アメリカドラマトゥルク協会エリオットヘイズ賞特別賞。
http://www.dancedramaturgy.org