春秋座—能と狂言『卒都婆小町』特集 「永遠の小町」| 玉岡かおる
2023年度 「春秋座‐能と狂言」の能の演目は『卒都婆小町』。ヒロインの小野小町は美貌の歌人と呼ばれ、深草少将に百夜通(ももよがよい)をさせた女性です。小野小町とはいったいどのような人物だったのでしょうか。小町が詠んだ数々の歌を通して作家の玉岡かおるさんが小町像に触れていきます。
公演情報はこちら- 渡邊守章記念 春秋座―能と狂言
●
古今、日本で美女といえばすぐに名前が上がるのが小野小町。「世界三大美女」に数えられるほどで、残る二人はクレオパトラに楊貴妃だそうな。
もっとも、「世界三大英雄」というのもあって、カエサル、ナポレオン、織田信長というから、そのスケールから推測すると、日本もえらく大きく出たなと思わずにいられない。
それもそのはず、どちらの「三大」も明治中期頃に言われ始めたもので、日本が世界の一等国の仲間入りをしようとあがいていた時代、ナショナリズムの高まりにより、日本人を世界の偉人の内に入れたものらしい。
それでも世界に並べようとするからには国内で一番の人物を出してきたはずで、信長も小町も、当時の日本人にとっては誰もケチをつけない代表選手だったわけだ。
たしかに信長も小町も、代わりになる人物を思いつかないが、特に男性ばかりが登場する歴史の中では女性は希少で、よくぞ小町がいてくれたものだと言いたくなる。
では日本代表、小野小町とはどんな女性だったのか。歴史のページをひもといてみよう。
小町を美女と決定づけたのは
重ねて言うが、他の二人はクレオパトラに楊貴妃である。どちらも女性としての魅力で最高権力を握る男性をとりこにし、国を滅ぼすほどの人物だった。では日本代表の小野小町は、いったいこの国の誰に何をしたのか。
実は、知られている事実はあっけないほど静かなものだ。平安時代の宮廷に生き、六歌仙(ろっかせん)※1の一人として卓抜した和歌を多数残したことは記録にあるが、たいして高い身分だったわけでもなく、さほど強い男を惑わしたり破滅させた形跡もなく、また、それほど歴史にインパクトを与えた事実もない。
出自についても小野氏出身ということ以外、生誕地や生年月日など、何もわかっておらず、本名さえもわかっていない。この時代の女性の扱いなんてそんなもので、結婚したのかしなかったのか、いつどこで亡くなったのかもわからず、小町の生涯は謎だらけだ。
かろうじて、小町の作とされる和歌が『古今和歌集(こきんわかしゅう)』や『後撰和歌集(ごせんわかしゅう)』などに収められ、実在したのはまぎれもない。そしてその作品からは、彼女が漢文にも詳しく、教養の深い女性だったことが推しはかれる。それでも、肖像画が残っているわけでもないのに、美女というと○○小町などと、代名詞のように持ち出されるのはどういうわけだろう。
それは、平安時代に書かれた書物に根拠がある。そもそも彼女に「美女」という不滅のレッテルを貼ったのは紀貫之(きのつらゆき)なのだ。
『古今和歌集』の序文では、彼は小町のことを「衣通姫(そとおりひめ)の流なり」と評している。衣通姫とは、衣を通しても輝くほどの美しさであったという伝説的な美女で、允恭(いんぎょう)天皇の妃をさす。なるほどこんな証言があれば決定打だ。
もっとも、平安時代の美女といえば下ぶくれの顔に「引目(ひきめ)、鉤鼻(かぎばな)」と言われる細い目に小さい鼻が条件だったそうだから、さて小町の美貌も現代人の目にはどう映るやら。
それはさておき、平安時代のモテ度は、顔より、教養こそが決め手だったことを特筆しておかねばならない。
なにしろ貴族の女性は、ある年齢になれば、身内であっても男性に顔を見せてはならなかった。しかし顔を見せられないまま自分の価値をアピールするなんてどうすりゃいいの? とても恋にたどりつくなんて無理、と思えるが、そこで和歌の出番である。当時は和歌を手紙にしたためることが、自分を表現するだけでなく、外に発信する唯一の方法だった。ゆえに、センスのいい歌をひねり、美しい文字を書き、きれいな色の紙や焚きしめた香などで差をつけようと切磋琢磨した。
貴族の男性たちは、噂や評判などを頼りに手紙を送り、返された和歌で、顔を見たことのない相手に妄想の恋をしていたわけだ。
ということは、美人の条件も、見た目ではなく、教養で測られることになるのである。
この一点で、和歌の名手であった小町は他を圧倒したことになる。先述の『古今和歌集』序文において紀貫之は、彼女の容貌についてだけでなく、作風のことも激賞している。すなわち、『万葉集』の頃の清純さを保ちながら、なよやかな王朝浪漫性を漂わせている、などという絶賛だ。これを聞いただけで世の男性は小町に心を奪われたことだろう。
実際、在原業平(ありわらのなりひら)や文屋康秀(ふんやのやすひで)、良岑宗貞(よしみねのむねさだ)といった実在の男性たちと和歌の贈答を交わしており、そこにロマンスはなかったか、想像の余地も広がるというもの。
そして注目すべきは、華やかな恋の歌を詠んだ王朝の女流歌人は他にもいるのに、小町だけがただ一人、六歌仙に数えられていることだ。ジェンダーバランスなど考慮外だったこの時代、小町が、才能のある男性歌人たちと肩を並べて文句も出ない存在だったことは間違いない。つまり小町は、男性中心の社会にあって、女性でありながらも対等に競い合って時代を代表するべき人物だったのだ。
そんな彼女を男性目線で見たなら、まさに衣通姫。身は衣に包まれて見えないが、衣を通して歌という美が輝きを放ちやまない。それが、小町が美女と評される理由であろう。
恋の歌人・小町
小野小町の残した和歌には、恋を歌ったものが多い。美女として聞こえた女性なのだから当然だろう。それらの和歌が実際に彼女が身をやつした恋を歌ったものなら、そこから彼女の実像も窺える。
人に逢はむつきのなきには思ひおきて
胸走り火に心やけをり
恋人に会えない夜は思いの火が燃え盛り、心が焼けるようです。
電灯などない時代、夜に恋人の家にたどりつくためには月明りがたより。だが闇夜には会えないばかりに恋しい気持ちだけが炎のように赤々と燃える。掛詞(かけことば)※2を駆使し技巧を凝らした歌でありながら、なんとも鮮やかな光や色彩が浮かぶ歌ではないか。
いとせめて 恋ひしきときは むばたまの
夜の衣を 返してぞ着る
とてもあなたが恋しく思われる夜は、〝衣を裏返してきて寝れば夢に好きな人がてくる〟というおまじないどおり、夜着を裏返して寝るのです。
小町ほどの才女でもそんなおまじないを信じるのかと、彼女を純真な少女にしてしまう恋の力。ほほえましくもいちずな恋に身を焼く一人の女性の姿が浮かび上がり、どこか小町を身近に感じる歌だ。
だが、そんな恋も、いつかは終わる。
秋風にあふたのみこそ悲しけれ
わが身むなしくなりぬと思へば
秋風に吹かれる田の実と同じ、会いたいと願う気持ちは悲しいもの。もうあの人に飽きられてむなしくなってしまったかと思えば。
いかな美女の小町といえど、人の心を永遠には留められない。あれほど燃えた恋の情熱もいつか冷め、人の心も移ろいゆく。彼女はいくつ、こんな恋を乗り越えただろうか。
そして彼女の恋が終わったことが伝わりフリーになったと知られるや、まるで順番を待っていたかのように、あまたの男たちが言い寄ってきたことだろう。
だが小町にとって、次の恋にはなかなか燃え上がらず、心を閉ざし続けたようだ。
海人のすむ里のしるべのあらなくに
うらみむとのみ人のいふらむ
海人の住む里の標でもないのに、どうして人は私に恨むだろうとだけ言うのでしょう。
これまでのせつない恋の歌とは違って、乾いた空気が流れている。次の恋の誘いは来ているのに、どうもなびく気配のない彼女。それを、頑なだ、と恨む男の姿が見えるようだ。
恋多き女と言われ、次から次に恋に身を焼く歌人もいるのに、小町の場合、終わっていった恋の痛手が大きすぎたか、新しい恋に飛び込む準備ができずにいるのだろう。だから時間をかけたくて誘いを拒んだら、ふられた男に恨まれる、といった状況だろうか。
見るめなき我が身をうらと知らねばや
かれなで海人の足たゆく来る
会おうという気持ちが私にないのを知らないで、あきらめないで足が痛くても通ってくるのですね。
縁語 ※3 の技法を使ったこんな巧みな歌を返されたら、察しのいい男なら脈がないと悟って引き下がってもよさそうだが、それでも食い下がる男は少なからずいたのだろう。アタックされるたびに、その気がないと歌い返す。
こんなところから、小町は、簡単には恋の誘いになびかない女、というイメージがついたのかもしれない。顔が見えないだけに、人々の想像もふくらんでいく。彼女の歌が厭世観(えんせいかん)を帯び、醒めたものになるにつれ、そのキャラはいっそう固定していったのだろう。
わびぬれば身を浮草の根を絶えて
誘ふ水あらば往なむとぞ思ふ
この世がいやになってしまったし、浮き草が根もなく流れるように、誘う水があるならばどこへでも行ってしまおうと思うわ。
同じ六歌仙の文屋康秀が三河掾(みかわのじょう、国司)として赴任する際に、小町に、一緒に行かないかと誘ったのに対する返しの歌だという。
行ってもいいわ、行っちゃおうかしら。そんな承諾を匂わせながら、無常の世に漂う自分自身を根無しの浮き草にたとえ、自棄ともとれる深い内面の屈折が覗く。
さりながら、彼女ほどの美貌と才能があれば、世の幸せな人生も手に入れられただろうし、明るく暮らせたはずなのに、どうしてこうなる?
そして決定打が、代表作とされるこの歌だ。
花のいろはうつりにけりないたづらに
我が身世にふるながめせしまに
ただでさえ短い桜の花の盛りもむなしく色褪せてしまった。春の長雨が降っている間に。私の容貌もすっかり褪せてしまったわ。生きてることの物思いにふけっている間に。
この世の非情な真理をまじろぎもせず受け入れる冷静な目。闇を見つめながらも、光る言葉を浮き出させる感性と技法に、後世の文学者たちはハッと心を捕まれた。違う時代を生きているというのに、彼女の歌に魂を共鳴させずにはいられなかったのだ。
そして彼女の実像を探ろうと想像をかきたてていった。ここに、小町の衣をはがそうと、ドラマティックな伝説が生まれていく。
百夜通いの伝説とは
伝説は言う。深草少将(ふかくさのしょうしょう)という男が、小町にたびたびと文を送り、恋の成就を願うラブコールを続けた。しかし彼女の側から言わせてもらえば、よく知らない相手であったり、たいして好きでもない男性ならば、そっけなくなるのはあたりまえ。それでもあからさまに突き返すのは気の毒だから、多少の憐憫(れんびん)をこめて、小町はこう返す。
――そこまで言うなら、私のところに百夜、通ってみてよ。それなら考えてもいいわ。
察しのいい男なら、それは彼女の優しさとわかったはず。私のことよく知らないくせに、どうせ浮かれた気持ちで言ってるだけでしょ。三日も通えばきっと熱も冷めるわ。と。
ところが彼は、なんと、雨の日も寒い日も、毎夜、小町のもとに通ってきた。
芍薬(しゃくやく)の花を持ってきたとか、榧(かや)の実を一個ずつ残していったとか、悲恋には小道具も脚色される。そして九十九夜目、ついに彼は小町の屋敷の前で倒れ、息絶えてしまうのだ。
当初は毎夜飽きもせず訪ねてくる男を御簾(みす)の陰から覗いては、またあの男が来ているわ、と溜め息をついていた小町なのに、三十夜、五十夜、日を追うごとに、彼の姿が立ち現れるのを待つようになっていたのではないだろうか。そして七十夜、八十夜。小町の心は動き始め、彼の姿が見えない宵には、もう来ないのでは、と落ち着かず、あと何日で百日になる、と数えながら、約束の日が来たならもう自分の方から彼を迎え入れようと、衣装を選ぶ心地にまでなっていたかもしれない。
なのに、彼は倒れた。
小町の衝撃はいかばかりか。言わば自分が彼を殺したようなものなのだ。感受性の鋭い小町だから、自分の罪深さを呪っただろう。
よひよひの夢のたましひあしたゆく
ありてもまたむとぶらひにこそ
宵々の夢にみた君の魂も朝には消えて行く。どこに移っても訪ねて来てよ弔いに来てよ、待っているわ。
そして物語の続きは、小町の落魄へとつながっていくのだ。あたかも衣をはがすかのように、残酷に。
人生の川の清濁を越えて
人物の詳細が明かでないのは、逆に、後世の者がどうとでも創作できる余地を持つ。能楽では、観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)がこれを恰好の素材とした。
それは、小町の末路を描いたもので、あれほどの才能と美貌を謳われた彼女も、いつか宮廷を去り、一人、市井で粗末な庵を結び、やせさらばえた体で乞食になって生計をたてていた、というあまりな設定。しかも、宮廷で歌を交わした男性たちは年も取らず地位も失わず、寸分変わらぬ姿で、落ちぶれた小町を訪ねてくるというのだから、ひどすぎる話だ。それでも老いた小町にみじめさはなく、むしろ、凜と生き透徹した人生観が見える。
美と衰え、若さと老い、生と病。小町は、相反する極地の一歩手前で、なお生きねばならない人間の業を表現し尽くす。美女のままあざやかに死ぬことのできたクレオパトラや楊貴妃と異なり、彼女は生きるという現象を受け入れ、全うしなければならなかった。衣をはがされてなお、死ぬまで生きる課程のすべての景色を見せながら。
つまるところ、彼女は歴史を変えたわけでもなく、強大な権力や財宝を持っていたわけでもなく、むしろ思い通りにならない人生を生きて年を重ねた非力な女性にすぎない。なのに、連綿と続く時間の中で、小町は、能に限らずいくつもの文学作品のテーマとなったばかりか、特に能楽では奥の秘曲として尊ばれるなど、日本人の感性の奥深くに君臨し、いまだ褪せない。それはこの国の感性の総体が、小町を通し、男女を限らずやがて衰え死ぬ存在である人の定めを受け止め、どう生きるかを問われるからではないだろうか。
老いにたどりつくには人生という川の流れは長く遠く、小町の境地に達する時間もまたはるかだ。だからこそ文学は、時代を超えていくたびも、清濁の淵をよぎりながら人間の生の真価を問い続けるのかもしれない。
玉岡かおる(たまおか・かおる)
作家。大阪芸術大学教授。平成元年、神戸文学賞受賞作『夢食い魚のブルー・グッドバイ』(新潮社)で文壇デビュー、15万部のベストセラーとなる。TV ドラマ化・舞台化された話題作『お家さん』(新潮社)で、第 25 回織田作之助賞を受賞。『帆神〜北前船を馳せさせた男・工楽松右衛門』(新潮社)で第 41 回新田次郎賞、第16回舟橋聖一賞を受賞。最新作は今秋2冊連続出版した『われ去りしとも美は朽ちず』(潮出版)、『春いちばん 〜賀川豊彦の妻ハルのはるかな旅路』(家の光協会)。
【注】
※1六歌仙 …『古今和歌集』の序文で、紀貫之によって論評された六人の歌人の称。僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主。
※2 掛詞…ひとつの言葉にふたつの意味をもたせることで情趣を倍増させる手法。
※3 縁語…縁のある言葉。ひとつの言葉と別の言葉の関係を文脈を超えて持たせる手法。