1. HOME
  2. 読みもの
  3. ここさえ押さえれば面白い! 『卒都婆小町』見どころ・聞きどころ

ここさえ押さえれば面白い!
『卒都婆小町』見どころ・聞きどころ

2023年度の「春秋座—能と狂言」の能の演目は『卒都婆小町』。『卒都婆小町』は文学にも取り上げられ、また演劇やダンス作品にされるなど多くの人々を魅了してきた作品です。ですが初めて観る人にはちょっと難解な部分もあるかも?  特に見どころとされる「卒都婆問答」は難しい印象があります。そこで舞台芸術研究センター前所長であり大阪大学名誉教授の天野文雄先生に、「卒都婆問答」ではいったい何を話しているのか、その内容を教えてもらいました。
聞き手:佐藤和佳子(舞台芸術研究センター)

『卒都婆小町(そとわこまち)』のあらすじ
作者は観阿弥。話の舞台は摂津の阿倍野です。都から (たぶん) 紀州玉津島明神に参詣しようとしている老残の小野小町が、高野山から上洛しようとする僧たちに出合います。小町が長旅に疲れて路傍に倒れている卒都婆に腰かけていると、僧から叱責されます。それが小町と僧との、いわゆる「卒都婆問答」のはじまりです。問答の後、小町が自身の素性を語ると、かつてソデにした四位の少将(深草の少将)の霊が憑依し、小町のもとに通って百日目に亡くなったことを再現します。そして憑依から覚めた小町は悟りの道に入ることを決意するのでした。小野小町についてもっと知りたいなら、こちらを ➡「永遠の小町」

 

善も悪も変わらない

-  『卒都婆小町』 の最大の見どころの一つに、前半の 「卒都婆問答 (そとわもんどう) 」と呼ばれる場面があり、ここは物語の中でもかなりの部分をさいていますね。

天野 そうですね。ここは老女(小野小町) と僧がやりあう場面ですが、この場面で観阿弥が何を言わんとしているかが重要なのです。

-  二人の会話を見ると金剛薩埵 (こんごうさった) や観音、文殊など仏様が出てくるので、宗教の話をしているのは分かります。

天野 そうですね。注目すべきは、「高野山での修行を終えてきた」 と言う僧が、宗教者でもなんでもない普通の老女とやりあう点です。ごく常識的な仏教の考え方を持つ僧が山から下りてきたら、卒都婆 (ふつうは卒塔婆と書く) に腰かけている老女がいた。そこから話が始まるわけです。

-  私たちが思い浮かべる卒都婆とは、お墓の後ろに立ててある縦長の木片ですが、これに座ることができるんですか?

天野 この卒都婆は、恐らくこれは角材みたいな形だったのだと思います。今もそのような形態のものを時々、見かけますよ。

-  それなら腰掛けられそうですね。

天野 卒都婆とは元々、サンスクリット語で 「ストゥーパ」 と言って、お釈迦さまの遺骨を納めた塔なのですね。ですから僧にしたら仏の象徴のようなもの。そう考えると卒都婆に腰掛けている老女に 「けしからん!」 と言いたくなる気持ちもわかりますよね。ですが、「けしからん」 と言ってくる僧に対して、この老女が堂々とやり合うんですよ。
これは私の考えですが、僧は高野山で修業をしたので“真言宗的”な発想で話をしてきますが、小町は“禅的”な発想で返しているのです。一般的に真言宗は平安時代に日本に入ってきたと言われ、禅は『卒都婆小町』が作られた少し前、鎌倉時代に入ってきたと言われています。ですから、ここには旧仏教と新仏教の争いのようなものも含まれているのではないかなと思っているんです。
その老女が主張するのは何なのか。
簡単に言うと 「善も悪も変わらないものだ」 ということです。善悪は別々のものと思われがちですが、そうではなく、一つものだということです。仏教に 「煩悩即菩提」 という言葉があるのですが、これは “煩悩はそのまま悟りの縁である”  という意味です。煩悩や悪は価値のない物ではない、菩提(悟りを求める心)や善だけが価値のあるものではないと老女は言ってるんですね。

堂々と僧をやり込める

—  それを言うために、いくつもの例を重ねていくんですね。

天野 そうです。問答の真ん中あたりで 「順縁」 と 「逆縁」 ということが出てきます。

僧  それは順縁に外れたり
小町 逆縁なりと浮かむべし

天野 というところですね。 「順縁」 というのは、  “仏道に入るための善行”  という意味です。ですから卒都婆は大事にしなくてはいけない。 「だからあなたの行為は順縁から外れています」 と僧は言うわけです。けれど小町は 「逆縁 (仏の教えを素直に信じないこと) だって往生できますよ」 と言い返しているのです。つまり一見、仏法に反する行為だったとしても、それが成仏のきっかけになると言っているんですね。

従僧  提婆が悪も
小町 観音の慈悲
僧  槃特の愚痴も
小町 文殊の知恵
従僧 悪と云ふも
小町 善なり
僧  煩悩と云ふも
小町 菩提なり

そうすると従僧が、 「釈迦の弟子の提婆 (だいば=提婆達多・だいばさった) のような悪人でもか」 と問います。それに対し老女が 「提婆も観音様と同じように往生できる」 と答えれば、僧は 「槃特 (はんどく=周利槃特・しゅりはんどく) のような愚かな人でもか」と問う。それに対し老女が「慈悲深い観音様と同じ様に」と答える。そして 「愚かなことも文殊のように知恵を持っていることも変わらない」 「では煩悩とは?」 「煩悩も菩提も変わらない」 と続いていくわけです。
僧はいたって常識的で形式的な仏教の論理で攻めてくるわけですが、老女がそれに対してことごとく論破するんですね。そして言っていることは全て同じ。悪とはすなわち善だということなのです。

宗教対決の勝敗はいかに

縦僧 菩提もと
小町 植木にあらず
僧  明鏡また
小町 台になし

天野 ここで有名な禅語(偈・ゲ)が出てきます。これは元々、 「身は是れ菩提樹、心は明鏡の台のごとし (身は悟りを宿す樹、心は曇りのない澄んだ鏡のよう) 」という禅語があり、それを受けて作られた 「菩提はもとより樹無し、明鏡も亦た台に非ず。本来無一物 (むいちもつ) 何れの処にか塵埃有らん」 という禅語の一節です。
「菩提はもとより樹無し」 というのは、菩提 (悟り) とは樹 (形) では無い。明鏡をのせる台ではない。みんな菩提や明鏡を大事にするけれど、本来、実体としての物もないのだから、そんなことには一切、こだわる必要が無いという意味です。
老女と僧が、この菩提と明鏡でやりあった後、続く地謡で (ここも小町のコトバです) 、 「本来無一物何れの処にか塵埃有らん」 の部分に触れ、人間や万物は何も持ってないところから生まれたのだから、どこに塵や垢が付くのだと言っているのです。これは地謡ですが老女の言葉ですね。

-  すごい話をしていたのですね。

天野 そして地謡が続きます。ここもやっぱり小町のコトバです。
そう考えれば、仏も我々も隔てはない。元より諸仏のありがたい請願は、愚かなものを救う方便で作られたのだから、逆縁だろうがなんだろうが成仏できないことがあろうか。だから私がこうやって卒都婆にかける逆縁をしても浮かばれるんです。 ここまでが小町のセリフなんですね。
そして僧は降参して頭を三度、床に付けて礼拝したので、いよいよ得意になって小町は、 「なお戯れの歌を詠む」 と戯れに今言ったことと同じことを歌に詠むのです。
ただ、これも単なる創作でなく当時、流行っていた歌です。極楽の内と外が対になっていて、仮にこれが極楽の内であれば卒都婆に腰をかけるのは問題だけれど、極楽の外であれば文句はないはず。どこが悪いのだという意味ですね。ここでは小町がソトワと発音していることに注意してください。当時の発音はソトワだったので、みごとな掛詞 (かけことば=1つの言葉に2つの意味をもたせる技法) になっています。

-  当時、新しかった禅的な考え、流行った歌など、当時の空気感が分からないと面白味が半減しますね。そしてこの時代には、やはり宗教というものが教養、文化としても大事だったわけですね。

天野 そうですね。僧をやりこめるという話の背後には、旧仏教と新仏教の違いがあり、この場合は完全に禅の勝ちですね。
特に禅は武士階級に広まりましたし、能のパトロンでもあった室町将軍は始めから禅僧と親しかったので禅の知識がすごくあるわけです。作者の意図として、そういった時代に合わせたということもあるのでしょうね。能は、芸能の部分ばかりが前面に出がちですが、当時の 「宗教こそが正しい道なのだ」 という主張が、この 『卒都婆小町』 には入れ込まれているわけです。

―― なるほど。老女と僧が何を言おうとしているのかが分かり、舞台がより面白く拝見できそうです! ありがとうございました。

 

天野文雄(あまの・ふみお)

1946年、東京生まれ。大阪大学名誉教授。舞台芸術研究センター前所長。著書に、『翁猿楽研究』(和泉書院/観世寿夫記念法政大学能楽賞)、『能に憑かれた権力者―秀吉能楽愛好記』(講談社選書メチエ)、『現代能楽講義』(大阪大学出版会、『世阿弥がいた場所―大成期の能と能役者をめぐる環境』(ぺりかん社/日本演劇学会河竹賞)、『能苑逍遥(上中下)』(大阪大学出版会)、『能楽名作選(上下)』(角川書店)、『能楽手帖』(角川ソフィア文庫)、共著に、『岩波講座能・狂言Ⅰ〔能楽の歴史〕』(表章氏と)、共編著に『能を読む』全4巻(角川学芸出版)、『世阿弥を学び、世阿弥に学ぶ』(大槻文蔵氏と)など。