シビウ国際演劇祭に参加して(前篇) ― 東欧の文化都市シビウで開かれる国際演劇祭の意義
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世界三大演劇祭の一つに数えられるシビウ国際演劇祭の公式関連イベントである学術プラットフォームに招待されたのは、昨年11月に中国の上海戯劇学院で開催されたAPB(Asia-Pacific Bond of Theatre Schools)総会に出席した時のことだった。京都芸術大学舞台芸術学科が加盟するAPBは、オンライン開催を余儀なくされたコロナ禍を経て4年ぶりの対面開催だったが、別の国際会議で上海を訪れていたシビウ国際演劇祭の主要スタッフの一人であるオクタヴィアン・サイウ(Octavian Saiu)氏が筆者と同じホテルに宿泊しており、偶然にも朝食のテーブルで隣り合わせになった。
サイウ氏とは見知らぬ初対面だったため、朝の挨拶に続いて筆者が「私は日本人で京都芸術大学の舞台芸術学科の教員です」と自己紹介した。するとサイウ氏が「自分はシビウ国際演劇祭に関わっているのでクシダ(串田和美)やノダ(野田秀樹)など多くの日本の演劇人と親交があります」と返してきた。
筆者が「クシダの後任としてまつもと市民芸術館の芸術監督団に就任した木ノ下裕一と倉田翠は京都芸術大学の卒業生です」と話すとサイウ氏はとても興味を示し、その後は朝食の間の短い時間ではあったが演劇祭のことや本学の春秋座のことなどで大いに話が盛り上がった。
別れ際にサイウ氏が「来年のシビウ国際演劇祭・学術プラットフォームにあなたを招待します」と言うので筆者も「是非、出席したい」と応えて朝食の席を立った。リップサービスとばかり思っていたが、実際にその2か月後、シビウ国際演劇祭の関連イベントである学術プラットフォーム(International Platform of Doctoral Research in the Fields of Performing Arts and Cultural Management)への正式な招待状がサイウ氏から送られてきたときは、驚いたのが正直なところだ。招待状に添えられたメールには、「シビウ国際演劇祭の会期中に開催される6月21日、22日の学術プラットフォームを含む5日間の招待」とあった。
故・中村勘三郎が「平成中村座」の公演を行ったことなどで知られるシビウ国際演劇祭には以前から関心を持っていたものの、教員の身で授業期間中である6月に1週間も日本を離れることには躊躇もあったが、コロナ禍を経て世界の舞台芸術がどのように変容したのか、また何より隣国ウクライナの戦争がヨーロッパの舞台芸術、さらには演劇祭そのものにどのような影響を及ぼしているのかをこの目で観てみたいと思い、上海での偶然の出会いに導かれた招待を快く受けることにした。
シビウ国際演劇祭については、「新国立劇場・情報センター」のサイトに掲載されている演劇評論家・七字英輔氏による記事をご一読いただきたい。2016年のシビウ国際演劇祭について書かれた少々古い記事だが、ルーマニアの首都ブカレストの北西に位置する中世都市シビウの歴史や同演劇祭の沿革について知るには十分役立つ。また、国際交流基金のサイトに掲載されている、シビウ国際演劇祭の創設者で現在も総監督を務めるコンスタンティン・キリアック(Constantin Chiriac)氏のインタビュー記事もお薦めしたい。
新国立劇場・情報センター:https://www.nntt.jac.go.jp/centre/library/theatre_w/46.html
国際交流基金:https://performingarts.jpf.go.jp/article/6642/
第31回シビウ国際演劇祭2024は6月21日から30日まで開催されたが、筆者は学術プラットフォームの会期に合せて6月20日から25日までシビウに滞在した。ドイツのミュンヘン経由でシビウ国際空港に降り立った筆者は、演劇祭ボランティア・スタッフに案内されて宿泊先であるホテル・インペラトール・ラマニロールへと車で向かった。シビウ旧市街地の目抜き通り沿いにある18世紀に建造されたというこの由緒あるホテルは、屋外パフォーマンスなどが行われるシビウの観光名所の一つ「大広場」から徒歩1分のところに位置していた。
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目抜き通りは、まだ6月だというに日差しが強く気温は優に30度を超えていたが、演劇祭の会期中とあって常に多くの人で賑わっていた。今年は、人口17万人のシビウに延べ69万人の演劇祭関係者や観客が訪れると予測されていた。1) 猛暑が続くことを見越してのことだろう、車両通行止めの通りには、多くのジェラートの屋台が並んでいた。暑さもさることながらカラフルで見目麗しいジェラートにつられて筆者もシビウ滞在中は一日2スクープほど欠かさず口にしていた。
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これぞヨーロッパと言いたくなるような、絵に描いたような美しい街並みが続いているシビウ旧市街地。シビウは12世紀にドイツ人が築いた中世都市だが、多くのカフェやレストランが軒を並べている「大広場」(Piata Mare)は、イタリアのピアッザを思い起こさせた。違いと言えば、イタリアのピアッザの多くが大聖堂を中心に形成されているの対して、ここシビウの「大広場」は市庁舎の建物や現在は博物館として使われている18世紀に建造されたブルケンタール男爵の邸宅などに囲まれている。「大広場」には、子供用の水遊び場もつくられており、元気にはしゃぐ子供たちの姿が印象的だった。
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何よりイタリアと異なるのは、建物の屋根裏部屋の通気口が「人の目」のような形をしていることだ。これは「大広場」に限ったことではなくシビウでは至る所に「人の目」が付いた建物が建っている。屋根の大きさによって、三つ目だったり五つ目だったりするこの奇妙なシビウ名物は、街を歩いていると常に誰かに見張られているようではじめは少々居心地が悪かったが、慣れればかわいいと思えてきた。
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6月20日に「大広場」を訪れた時には、翌日にパフォーマンスをひかえた野外ダンス公演『FACE T(W)O』の巨大な鏡の壁の舞台装置が設置されていた。翌21日には、ドイツ、ルーマニア、イタリア、チェコ、リトアニア、デンマーク、ポルトガル、ラトビア、ノルウェイ、スペインから集まった104名の若いダンサーたちによる圧巻のスペクタクルを筆者も”目撃”した。
「大広場」の南西に位置するブルケンタール博物館の中にある美術館の屋根裏部屋では、関連企画の一つとしてシビウ出身の現代美術家アレクサンドル・シネアン(Alexandru Cînean)による展覧会『Beautifully Damaged』が開催されていた。会場の屋根裏部屋は、前述の「人の目」にあたる場所である。二次元の絵画とロボティックに動くオブジェを組合わせたこの作品は、サイト・スペシフィックな展示と言えるのではないだろうか。
「大広場」付近には二つの大聖堂がある。
一つ目は、「大広場」の裏手にあるプロテスタントの福音教会(Evangelical Church)。演劇祭関連企画では、先頃修復されたこの教会のパイプオルガンを使用したコンサートも開催された。
二つ目の大聖堂は、「大広場」から徒歩5分ほどのところにあるルーマニア正教会である。正教会と言えば玉ねぎ頭のドームが特徴的だが、シビウの正教会は夜中までライトアップされており荘厳で美しかった。
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ここまでガイドブックよろしくシビウの街について述べてきたが、その率直な印象は「あっけにとられるほど平和で活気に満ちている」ということだった。
ルーマニアの国土は、その北部の大半が戦火にあるウクライナと隣接している。ルーマニア北部では空襲警報が聞こえるというし、今年に入ってからも「ルーマニアに無人機が落下した」2)、「命懸けでルーマニアに逃げてくる徴兵逃れのウクライナ人が後を絶たない」3)といったニュースを目にしていたこともあり、ルーマニア全体がもっと戦々恐々としていると想像していたのだ。筆者はイスラム国などによるテロを警戒して多くの兵士を配置していた2015年前後のヨーロッパの空港や街の重々しい空気を覚えているが、ここルーマニアでは隣国の戦争など気にする様子もなく、国を挙げての一大イベントであるシビウ国際演劇祭を誰もが楽しんでいるように見えた。
ここでは本当に誰も隣国の戦争なんて気にしていないのだろうか? いや、まったくそうではないのだということをシビウ国際演劇祭の創設者であり総監督であるキリアック氏のある行動を目の当たりにして気付かされた。
キリアック氏は、チャウシェスク政権時代に俳優として活動していた演劇人だ。政権崩壊後にドイツなどの協力を得てシビウの劇場の再建に当たったことがきっかけとなり1993年に始めた小さな学生演劇祭を、今ではエディンバラ・フェスティバルやアヴィニョン演劇祭と並ぶ世界三大演劇祭の一つへと導いてきた。ともに1947年に創設されたエディンバラ・フェスティバルとアヴィニョン演劇祭は、「国籍を問わず世界の優れたアーティストやカンパニーを招き、人間的豊かな心を育てる場を提供することを目的」4)として始められた。特に第2次世界大戦跡地で始められたエディンバラ・フェスティバルは、今でも「平和の象徴」であることをその開催理念に掲げている。どこにもそのようなことは謳われていないが、「冷戦」が終結した後に生まれたシビウ国際演劇祭もやはり「平和の象徴」なのではないだろうか。同時にシビウ国際演劇祭は「自由の象徴」でもあるような気がしてならない。なぜなら、コロナ禍で自由な往来が制限される中、東ドイツ出身のメルケル首相(当時)が「私のように、旅行の自由や移動の自由といった権利を苦難の末に勝ち取った者にとって、こうした制限が正当化されるのは、それらが絶対に不可欠な場合だけです」5)とスピーチしたことは記憶に新しいが、キリアック氏もメルケル元首相と同様に「旅行の自由や移動の自由といった権利を苦難の末に勝ち取った者」であるからだ。
6月22日、自らが率いる劇団アクターズ・ギャング(The Actors’ Gang)による『アフロディーテと世界の開放』(Aphrodite and the Liberation of the World)を引っ提げてシビウ国際演劇祭に参加していたティム・ロビンスのトーク・イベントが開催された。
ロビンスがトークの終盤で「世界が混沌としていて皆が大きな不安を感じている今だからこそ、我々俳優は舞台に立って人々に希望を与えなくてはならない。それが俳優にとってどんなに困難なことであってもだ。」と言うと、その言葉に応答するかのようにそれまで客席でトークを聞いていた“俳優”コンスタンティン・キリアックがいきなり舞台に歩み出り、通訳者からマイクを受け取り突如として何らかのモノローグを演じ始めた。それは、終始、物静かで優しいトーンで演じられた。ルーマニア語だったのでキリアック氏が何をリサイトしていたのかは全く分からなかったが、それでもキリアン氏の姿を見て心動かされ涙が出た。筆者には「シビウ国際演劇祭を開催する意義」を代弁してくれたハリウッド・スターの友に感謝の意を伝えたのだと思えてならない。
ちなみに、シビウ国際演劇祭では毎年テーマを設定しているが、今年のそれは〈Friendship 友情〉だった。
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1) “Sibiu International Theater Festival 2024” Predict HQ
https://www.predicthq.com/major-events/top-events/sibiu-international-theater-festival-2024
2) “ウクライナ隣国のNATO加盟国 ルーマニアに無人機落下か”. NHK 国際ニュース. 2024-3-30. https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240330/k10014407601000.html
3) “ルーマニアの「ホットスポット」、毎晩のように徴兵逃れのウクライナ人男性が川泳ぎ不法入国”. 読売新聞オンライン. 2024-2-21. https://www.yomiuri.co.jp/world/20240221-OYT1T50006/
4) ウィリアム・ジェームズ”エディンバラ・フェスティバル Edinburgh Festival”. 新国立劇場. https://www.nntt.jac.go.jp/centre/library/theatre_w/37.html
5) Angela Merkel “An address to the nation by Federal Chancellor Merkel”. Press and Information Office of the Federal Government. https://www.bundesregierung.de/breg-en/service/archive/statement-chancellor-1732302
平井愛子
文学座附属研究所を経て、1988年渡米。ニューヨーク大学演劇学科卒業後、オフ・ブロードウェイやリジョナル・シアターで俳優、演出家として活動する。また大学在学時よりメソッド演技の第一人者、トニー・グレコに師事。メソッド演技の指導法を習得する。アーティストとしての活動の傍ら、日米交流を目的とした舞台芸術を企画制作するStage Media Inc.を設立。主なニューヨーク公演は、日米版同日上演『弥々』など。コーディネート作品には、劇団四季『コンタクト』、『マンマ・ミーア』などがある。15年のNY滞在を経て03年帰国後は、東京都足立区・シアター1010の劇場立ち上げからプロデューサーとして参加。同劇場で『写楽考』をはじめとする10作品以上を制作。