京都芸術劇場15周年 さらなる実験と冒険へ 笠井叡×山田せつ子
笠井叡さんには今年15周年をむかえる京都芸術劇場春秋座・studio21に複数回ご出演いただいております。2003年独舞公演『花粉革命』、2011年『血は特別のジュースだ。』、2015年『今晩は荒れ模様』、そして2003年に川村毅演出現代能楽集I「AOI / KOMACHI」にもご出演されています。
京都には文化庁も来ることですし、文化の東京一極集中を解消すべく、本劇場だけでなく、京都芸術センターやロームシアター、そして今年7回目を迎えるKYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭などを開催し、それぞれの劇場や組織が繋がり発展し、良質の舞台芸術を発信していこうとしているところです。その中でこの『燃え上がる耳』は象徴的な作品になると思っております。
― 今まで春秋座の舞台に立ってみて、京都で上演することについて、どのような印象がありますか?
笠井 一言でいえば、だんだんと京都の力が増してきましたね。
春秋座に関していえば、この力を止めないでほしいという感じだね。この勢いを止めないで、もうひとつガッと行きたい、行けばいいなと今、思っています。
― ありがとうございます。
ところで今作品の『燃え上がる耳』というタイトルは何かの引用ではなく、笠井さんのオリジナルタイトルということで、とても衝撃的なタイトルだと思うのですが、どのような経緯でこのタイトルを?
笠井 直感で決めたものですから、それ以上は無いのですが、後で考えてみると「燃える」というのは、今の時代の一つの象徴的な出来事ではないかなと思います。色々な意味でね。
それに「耳」と言うのは人間の体の一部ですから、だから単に「燃える」ということだけでなく、耳だけでなく人体を含めて「燃える」ということですね。それを今の時代をテーマとしました。女性と男性のどこが違うかというと、戦争を考えた時に戦争をしかけるのは男性で被害をこうむるのは女性。そういう意味でも、男性より立派な人間という意味でつけました。それともう一つ、この作品は山田せつ子さんをイメージして作ったものなので、女性的な存在が「燃えていく」ということでもあります。
― この作品は、山田せつ子さんを振り付ける、というところから始まったのですが、昨年、『今晩は荒れ模様』でご一緒されて、今回、もう一度、せつ子さんを振り付けたいと思われたのは、なぜでしょう。
笠井 せつ子さんの全作品を観ているわけではないのですが、天使館にいた時からとぎれとぎれで観てはいます。せつ子さんのダンス、ダンスというか身体というか、ムーブメントというのは、他の人にはないものがあるんです。いわゆるバレリーナとかダンサーが持っているようなダンス的な動きでは絶対に出せない、そういう運動性というか身体制があって、別の言い方をすれば、バレエなんか踊れる体じゃないんですよね。また、いわゆる踊り的なものでもない。では、どこに山田せつ子さんらしい部分があるかというと、踊りじゃなくて踊りの根源に迫る側面があるということ。
踊りだけだと、ハッキリ言うと上手いとか器用とかじゃないんだよね。ただ、踊りじゃなくて、動き自体が何なのか、そういう動きの根源に立ち戻らせてくれる何かがある、珍しいダンサーだよね。
山田 初めて伺いました。大変に嬉しいです。
私は元々、ダンサーになりたいとか、なれると思って笠井さんの天使館に行ったのではないんです。ですから天使館で募集があった時の面接で、笠井さんが「ここに来てもダンスは上手くならないよ」って「舞踊家にもなれないよ」っておっしゃったから、私、「十分、承知しています。」って言いました。
スタートの時点で私はダンサーやアーティストになれると思って始めたのではないので。足が上がらない、回ることもできないのに天使館に行ったのは、たった一個の欲望「自分の体を見つけ出したい」ということ。
私としてはそれがずっと続いて、ある意味、踊ることでお金をいただけるようになるなんて。
外から見れば仕事って言うんですか? そういう風になったのは偶然としか言いようがないですね。
― 天使館には何年いらっしゃったんですか?
山田 8年です。最初から最後までいました
― その時は、まさか何十年か後に一緒に舞台で踊るなんて思われなかった。
山田 ええ。まさか、もう。天使館は非常に厳しい場所でした。常に問い続けられる場所、問われちゃう場所。それは笠井さんからもそうですし、一緒に踊っている仲間からもそうで。厳しい場所でした。あそこが無かったら、その後、どう生きていたか想像できないです。
そして、まさかその後、笠井さんとデュエットすることがありえるなんて。
― 今回の舞台は、笠井さんとせつ子さんのデュエットがあって、それぞれのソロ、そして関西の若手の女性ダンサー4人のダンスですね。
若手ダンサーの稽古は、京都で行っているのですが、このところ稽古を拝見していて振り付けのすさまじさとハードさ、どんどん振り付けをされていくスピードに驚いたのですが、笠井さんはどうやって振り付けを生み出していらっしゃるのですか? 前もって?
笠井 いや、前もっては全然決まっていないんです。その時々で生まれるんです。
せつ子さんの場合もそうなんですが、稽古場でその人と同じ空間を共有するでしょ。同じ空間を共有するということは、体のどこかを共有するということなんです。個人の体であってもね。だからそういう空間に行くと、いや、そういう空間じゃないと生まれない部分があるんだよね。
だから一人で振り付けを作って「これやってください」って、どうしてもいかないの。
振り付けのスピードが速いのは、止まれないから。止まっちゃうと上手くいかないんだよ。止めずに行くから、どうしても速くなっちゃうんだよね、そこがちょっと難しいところなんだよね。
ダンサーは大変だと思いますよ。
― 稽古では、休憩に入ると、ダンサーのみなさんは倒れてしまう。そのぐらいハードですね。
素人目線で見ていて、まず、この振り付けを体で覚えるということが、とても大変だなと思ったのと、振り付けられた後今度は「踊る」ということに時間がかかるので、体力も気力も必要。
ダンサーのみなさんが舞台に立つまでの労力というのは凄まじいなと思いました。
笠井 どうして、そういう風にするのかというと、体の中にあるものを出そうとすると、限界状況までもっていかないと、なかなか体の中のものが出てこないんですよ。
私はサディストだから(笑)、とにかく限界までもっていって、苦し紛れになって本音が出るところまで持っていかないと納得しないもんだから、みんな大変なんだよね(笑)
山田 本当に。モダンダンスなどは、ダンスのコードを組み合わせて作りますけれど、そういうものじゃないので。
この動きからどうやってこの動きに繋がるんだろうって。笠井さんの体の独自性を見付け出せないと、なかなか難しい。動きを覚えることはできても、体がそういう風に動いていかないんですよね。
動きには、動きと動きの「間」の動きがあるわけだから、例えば、その時、どういう風に手を回すの? とか、その振り全部をダンサーの体でやらなくてはいけないわけです。
『今晩は荒れ模様』の時もそうでしたけれど、笠井さんの振りは、振りの「手数」が異常に多いんです。
それをあの速度の中で体に活かしていかないと、ただ、動きを踊るだけになってしまうので。
そうしないためには、まず自分の体でその動きの中に入っていかないと、とても、いい振りにならないというか。それは厳しいですね。
まず、体力が厳しいです私。最初の時なんか、稽古が終わった後、歩けませんでした(笑)。
笠井 例えばさ、日本の横笛ってピーって吹いて、ピュピュピュピュピューって音だすじゃない。かたやベートーベンのソナタの十何番って、ものすごく速いんだけど譜面でいうと16分音符や32分音符の細かいのがずらーっと並んでいる。それを弾くっていうのは、すごく難しいことだよね。だけれど、聴き方によっては、この横笛と同じでピューと聴こえるわけですよ。
ダンスの場合も同じで、こう振り付けるのと、32分音符全部を振り付けるのとの違いで、
私の中では横笛でピューというように聴かせたくないという思いがあるんです。
観る人にはピューでも良いんだけれど、踊る方には32分音符16小節でやってほしい。その16小節がたった30秒であっても、振り付けるのに何日もかかっちゃうの。笛だったらピューって吹いたらお終いになる。そういう違いでもあるんだよね。
山田 ですから、この公演のための稽古のスタートは去年の12月ですよ(本番は7月)。大体、コンテンポラリーの舞台だったら2カ月ですから普通、ダンサーはみんなびっくりしますよね。
笠井 どうして、それをするかというとね、そうすることでね、ダンサー自身が気が付いていない、自分でも分からない、体の中の未知のものを出すための、手法といえば手法なんですが。人間って自分の思いを実現させるために自分を殺すってことがあるんです。それの一番、顕著なのがテロリストですよね。
歴史の中で生じてきた事柄を違う歴史の方に持って行こうとした時、テロリストは自分の体を壊して――ようするに生きているものをあえて自分で殺すことで歴史を変える力にする。
人間がそうしたから変わるでもないし、そうしなくても歴史は変わっていくのかもしれないけれど。
例えばね、第二次世界大戦という戦争があって、今の日本があることは確かでしょ。200万の人達が亡くならないと今の状況がないという事は、人間がやっているのじゃない、歴史の力みたいなのがあるんじゃないかと思うんですね。
現在ならアラブやシリアの出来事。
あの場所で一体何が起こっているのかというのは、今、私たちにはよくわからないんです。300年後たってみると、あの時起きたことは、こうだったろうと分かる。
でもダンスをやっている人間というのは、それでは遅すぎて、今、あそこで起こっていることを自分の体で確認しないと収まらないところがある。300年後に分かったってダメなんだよね。それは不可能ではあるけれど、踊るということで自分の体の中には歴史が流れているから、その歴史をあぶり出したい。できるか分からないけれど、そういう思いがなければできないですね。
振り付けるっていうのは、ただそこにダンサーがいるから動きが生まれるんじゃなくて、そういう歴史の上に立っている体があるから振り付けられるのであって、私は振り付けの機械でもなんでもないから自動的に振り付けられるわけじゃないからね。そこが、上手く舞台にまで持っていけるかというのが難しところですけれどね。
― 振り付けられたものを踊るだけではなく、理解をするというのは、どういうことですか?
山田 以前にも笠井さんに振り付けしていただいたこともあるのですが、私がぼんやりしていたのか、去年から始まったその作業では、自分で作品を作って自分の踊りを踊るっていうやり方に慣れていて、いただいた振りを自分流で解釈してやってしまうというクセが出てしまうのね。そうするとすぐチェックが入って、「それ違う!」って言われる。それは「何をみてダメだと言われるのかな」「何が違うのかな」って一人で稽古しながら体でずっと考えていたのね。
笠井さんの振り付けには、例えば、俳優がこの役はどんな役なんだろうって考えるというような余地はないんです。なんの説明もないんですから。動きだけをもらうわけですよ。そうすると自分流に解釈するのではなく、動きそのものの中に徹底して入っていくことで、つい出てしまう間とかあるんです。それが「あ、これが、私が理解しているってことなんだな」ってわかったです。それは自分の踊り手としての身体性とか、自分がどういうものだとかを知っていく作業という感じでもあります。
― 最後に、この公演をご覧になる方へ
笠井 舞台だから、舞台でなされていることを、一切前提なしに子供みたいな目で観て、面白かったら、面白い、つまらないものはつまらないでいいと思いますよ。
ただ観るとこうのは作品を作るのと同じだけ創造的なものがあるわけ。そういう意味でいうと、観る側も作る側も同じなんだけれど、同じ場所に立てるためにはゼロの状態で観た時に初めて、そこで起きている事が見えてくる。
だから観る側も前提を作らないで観る練習をしていくというのか、例えば有名なダンサーだからこうだ、これはこうだという前提を外して観ることで初めてそこで行われている事が見えると思います。