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森山開次さんに聞く『ダンスの作り方』インタビュー 後編〈2015年〉

前列左より:近藤千紘(舞台芸術学科3回生)、森山開次、岡村果林(舞台芸術学科3回生)、富松悠(ダンサー) 後列左より:室田敬介(舞台芸術学科3回生)、原田佳名子(舞台芸術学科3回生)、御厨亮(俳優/夕暮れ社弱男ユニット)


個性(キャラクター)豊かな 「こどもBONEズ 京都」10名を加え 新たな<春秋座バージョン>として上演する、 「LIVE BONE in 春秋座」。 こどもBONEズ 京都を指導するのが 京都造形芸術大学の舞台芸術学科現役の学生、 若手ダンサーとして活動する卒業生の アシスタントダンサーたち。 森山開次さんの背中を追う彼らが、 稽古の後森山さんに色々質問をしました!

場所:春秋座楽屋にて

 

出会うことで色々な輝きを増す芸術

御厨 前編 では作品や振付の生まれるポイントなどを伺ってきましたが、さらに原点にもどって身体をつかって表現することに目覚めたきっかけと、その時、どんな努力をしたのですか?

森山 色々なきっかけがあるんですけれど、 最初は、体操かな。 ロサンゼルス・オリンピックをテレビで見ていて、 体操競技で森末慎二がダッと三回転宙返りを決めて、 手を上げる瞬間に惹かれて「あぁ~、これやりたい~!」って オリンピック目指したの。 身体表現をすることに目覚めたのはあの瞬間かな。 その次は・・・僕、交通事故に合って。 体操を続けられなくなったきっかけだったんだけれどね。

全員 えっ!?

御厨 いくつぐらいの時ですか?

森山 小学校6 年ぐらいの時。 体操を始めて1年で事故にあって、少し歩けなくなって 体操を辞めるきっかけになったの。 事故にあった時、宙返りをして壁にドンって当って落っこちて。 その衝撃の瞬間に幽体離脱して死後の白い世界に飛んで、 白い世界をさまよった体験があって。

全員 うわー

森山 僕は白い世界をずっと歩いていて、ドン! という衝撃で起きたら 車がブワンって走っていって、工事現場のおじさんが「まて~!」って追っかけていく瞬間で。 瞬間的なことだったんだけれど、 感覚的には30 分以上さまよったあの時間は 何だったんだろうというのが記憶に残っていて。 この瞬間のことをずっと引きずっていて。 霊が見えるわけでも、そういう感覚もないんだけれど、 その瞬間のケガで動けなくなったこと、 死後の世界をさまよった不思議な感覚がきっかけ。

御厨 なかなかない体験ですよね。

森山 その後、大学在学中にみた舞台に衝撃を受けて ミュージカル劇団の研修所にいって、 いろんなジャンルのダンスを習い始めたんだけれど、 それから、今のダンスにいったきっかけというのは幽体離脱(笑)。

大きな風邪をひいて歯ぐきが真黒になるぐらい腫れてね。 寝込んでいた時、幽体離脱して 壁をすり抜けて隣の家まで泳いで出て行っちゃったんだよ。 マズイマズイと思いながら、身体に飛び込んで戻ったという体験があるんだよね。 それも夢だと言ったら夢なんだけれど。それが残っていて。

次の日、目が覚めたら身体が楽になっていてミュージカルの稽古場に行ったんだよね。 フラフラで踊れなかったんだけれど、 身体がふわふわしてたの。 この、ふわふわしてる身体の感覚とあの体験が妙に不思議で、 ダンスって不思議なのかもしれないって思って。

僕が、なめらかに体重がないように、ふわっとした動きをするのは、 そこを追っかけている部分があって、 体重がまるでないかのような、あの体験を体現させたいというのが。 それがだんだん、自分の実際の重みと軽さと、 存在と不在と行き来するみたいな。 精霊と人間、悪魔と実在と、って そこをいったりきたりすることに目覚めたというのは、 そこがきっかけかな。ちょっと変な話ですけれど。

原田 いつも開次さんの振りを見る時、浮いてるって思っていて。 どうやったらあんなに、ふわふわ動けるのだろうと思ったら、 幽体離脱がイメージとして、モチーフとしてあったんですね。

森山 あとは、うちの父は音に敏感なので 家の中で、あまり音を立てないように生きてきて、 襖を閉める時も1 本指を挟んでから 最後の1センチを閉めるようなクセがついていて(笑) 2階に上がるのにも、真ん中を歩くと音がするので、 端っこを忍び足で歩くとかね、小さい時からやっていたの。 その感覚があるから、僕が床を使って! 音を立てないで! っていうのは、 育った環境でもあって音を立てないようにすることの方が得意なんです。

御厨 その1センチの感覚が身体に備わっているんですね。 そしていま、“森山開次”としてソロ活動されているわけですが、 『ソロでやっていて良いところ、カンパニーに所属しないことの大変な面』 を教えていただけますか? 今後、ソロなのか、グループなのかを悩んでいる学生もいると思うので、 メッセージを含めてお願いいたします。

森山 僕がソロになった理由はミュージカルでユニゾンなどをやったりする時、 自分だったらこうしたい、 人と合わせるよりは自分でっていう考えがあったので、ソロの方がいいんだろうなというのと、 性格的に一人の方がいいなって。自分の世界をやりたいからね。 人を扱う余裕もなかったし、 自分のことを考えていた時期だったというのもあって。 結局、一人がいいやって、やっていたんだけれど、 一人だと広がっていかなくて。 自分の踊りを深めていけるけれど、 深めていくということが僕のなかでよく分からなくなって。

「自分の世界」をとやっていても 「自分の世界」を過剰評価しすぎていて、 結局、そんな世界ねえよみたいな(笑) 。 一人で作業していると、そんな深いところないよというところにぶちあたっちゃうのね。 そういう意味でソロをやっていくなら、がんばっていかないと。 掘り下げていく時、浅いところでストップしちゃうから。

さっきの音楽の話じゃないけれど、 ダンスっていうのは何かと繋がっていかざるを得ない芸術 という宿命があるように思うんだよね。 それはコスチュームデザイナーもそうだし、音楽家もそうだけれど、 そういう人たちと繋がることで 色々な輝きを増してくる芸術なんだなとソロ活動をやって気が付いて・・・。

カンパニーを主宰するのか、所属メンバーの一人なのかにもよってちがうし、 カンパニーで活動していても音楽家やいろんな人との出会いは当然あるわけなんだけど、 ソロには出会わざるを得ないという良さもあるんだなと。

もちろん出会わない思考をすると出会わないんだけれど、 一人で何かをしようとすると出会わないと先には進まないから。 自分から動いていかないと何も始まらない。カンパニーに所属しているのとはその切羽詰まった感がちがうというか。 そうして出会っていくようになると、 どんどん人と出会っていけるようになる。

富松 そうですね。

森山 カンパニーでは身近にダンサーがいて、 その中で切磋琢磨する良さはあると思うけれど、 逆に狭い部分でもあるから一長一短だよね。 そういう意味でソロは、自分を掘り下げる時間が持てるということより、 一人になることで 人との出会いを繋げていく始まりになるのが 良いところだと思う。 悟ったようなことを言いたくないけれど(笑)。

自分を見ようと思っても見えないから、人と出会って初めて自分が見えるようになる。 ただ大変なことはソロで出会って行くと、それらに対して自分一人で責任を負っていかなくてはならないこと。他のメンバーがカバーしてくれるわけではないので大変といったら大変だけれど。 でも、それは自分に繋がっていくところだから、 良いところだと思うけれど。

全員 (うなずく)

森山 ただ、パフォーマンスとして ダンスはチケットを売るのが大変じゃないですか。

 

 

全員 うーん。そうですねえ(笑)

森山 実際、僕がパフォーマンスをやっていく時も どれだけ人を集められるかということが勝負なんですよね。 カンパニーだったらその人数分見込める部分があるけれど、 ソロは自分にシビアにかかってくる。 そこは覚悟を決めていかないといけないと。

僕はもともとバレエ団とかダンススタジオとか、 バックが何もなかったこともあってコンテンポラリーダンスの中ではかなり集客や宣伝、 お客さんの反応といったことにシビアに向き合って来たほうだと思うけど。それは続けて行く上で必要なことだったし、良かったと思っています。

富松 カンパニーを作ろうと思ったことはあるんですか?

森山 「なんで作らないんですか?」「そろそろ作ったらどう?」 「開次もこれからどうなるの?」とか言われるからカンパニーを作るということも頭をよぎるんだけれど、 いきなり作ろうという気持ちはない。

軽い気持ちでカンパニーを作ると自分の作品性を追求するためにカンパニーをつくったはずが、カンパニーとして成果を残すこと、存続させること、メンバーの生活を成り立たせることみたいな、主宰したがゆえに生まれた責任を遂行することが目的みたいになっちゃって、その時、その時でやりたいことをシンプルにやれなくなってしまうリスクもある。そうなるのだけは嫌で。

僕はこれをやったら次はこっちをやりたいという、 ある意味、無責任なタイプの人だから。そこは自分らしさだと思っているけどね。この世界で生きていく中で自分の身体表現としてすごく入り込んだものを極めたいと言いながらも、それだけをやっていたのでは 20 歳からのダンススタートでは間に合わないと思っていた。 だから他に違うアプローチも同時にしていて、 商業的な舞台にでたり、CM やミュージックビデオの仕事、アシスタントの仕事も含めて色々な仕事をやってきた面があって。それは自分が特殊だった部分とラッキーだった部分でもある。

NHK 教育テレビの「からだであそぼ」っていう、 ちょっとマニアックな場をもらえたから、それをやっていくことで活動の幅を広げていくことができて。そういう意味ではひとつにとどまらない、多面的なやり方を続けていきたいんだけれど。ソロだけでなく時々は人を集めてやったりね。ただ、決まったメンバーでカンパニーでやろうっていうのは、どうかな・・・ あっていないかな(笑)と、思うんだけれど。

あと、人を育てていかなくてはいけないと思うのね。 その育て方も弟子として抱えて手取り足取り教えていくより、俺はこっちに行くけれどお前はお前でまあ勝手に行ったらって、やる方が 僕の育てる方法になるのかなと。責任は負えないけど参考例は指し示す、みたいな。

富松 抱え込むよりは、放って、 行って帰ってきてくれたらいいな、ぐらいな?

森山 切磋琢磨したらいいと思っているの。 時間は限られているし、時代はどんどん変化する。 狭い世界の中であれこれ悩んでいるよりも、 飛び出して自分で生身で戦っていくことで 広がる世界を体感してほしいというような。 ただ作品で、こういう世界を作りたいってなったら、 もっと密にカンパニーになった方がいいっていうのは事実。

全員 うーん。

森山 ちゃんと意識して作品性を高めるための身体表現を習得していければ、自分一人では行き着けない、もっと高い所に行けるから。そこが課題なんだよね。難しいところだよね。

だからキムさん(伊藤キム)みたいにカンパニーを作るというのは、 そこが絶対あると思う。 ただ一回だけのプロジェクトとして人を集めてってそれだけでいいなら、 そういうのは誰でもわりとできるんだけれど、 もっと色々なことを積み上げていきたいということがあるんだと思う。 Noism とかもそうだけれど。

全員 うーん。

森山 僕はそういうタイプじゃないんだね(笑)。

御厨 まだしばらくはソロでやっていく方がイメージとしてあると。

森山 ダンスをやっていく上でいろいろなやり方があっていいと思っていて。 まだ自分はソロでできることをやりきった、ってとこまでいってなくて、まだまだ可能性が無限にあると思っているし。ソロでここまでやってきた以上、 自分がそこを追求しないといけないっていう使命感みたいなものもあります(笑)。

それにカンパニーを作るほどまだ色々経験してないよ。まあ50 歳すぎになってからかな。でも若い皆に言いたいのは悩んでいるよりもソロでもカンパニーでもなんでもいいからまずやってみてほしい、ということ。 昔に比べて今は情報も多いから始める前に調べすぎて動けなくなってしまう人が多い気がするし、 どうやったらいちばん効率的に世にでれるか? みたいなことを考えすぎている気がする。 僕がソロ活動を始めた頃は無我夢中で、今思えば無謀なこともいろいろやったし、 失敗もたくさんしました。その中でたくさんの人と出会って、いろいろな広がりが生まれたの。もともとそれを狙ってソロでやったわけではなかったからね。だからとにかくまずやってみて、自分で体験してみてほしいって思います。

御厨 先ほど「からだであそぼ」をやってゆくことで広げることができたと。 そして「LIVE BONE」に繋がって、 さらに今回ここ京都では子どもたちと出会いましたね。 次の質問は
『こどもBONE ズと初めて稽古してみて、どうでしたか?』

森山 みんなが感じたことと同じだと思うけれどね。 子供たちがみんなすげーなって。 本当にいい子たちが集まってよかったなって思っているし、 子供たちを稽古場の鏡越しに見ると みんなキラキラしながら一生懸命で。それを見ると頑張ろうって思うし。 一番は楽しかったということかな。 一人一人それぞれステキだなって思ったので、 それを活かせるようにしてあげたいですね。

御厨 そして、 『LIVE BONE は、京都ではどのようになりそうですか?』

森山 いい感じになるんじゃないかなあ。 子ども達に入ってもらうというのもあるし、今回は「未来を見て」というようなメッセージを いつもより強くもってやれたらいいなと思います。

この作品はいつも応援賛歌でありたいと思っています。

御厨 なるほど、ぼくらもアシストしていきます!
では最後に全員意気込みをぼくらも一言ずつ。

僕はダンスをそんなに長くやっているわけではないので、 子供たちとはライバルぐらいの感じでやる感覚がいいなと思っていて、 こっちも動きとして新鮮だし、 開次さんと作品を作れるチャンスをいただいたのも すごくいいことだと思っているので、 楽しみながらアシスタントのみんな、 スタッフの人達と感動できる作品づくりというものを ちゃんとできればいいなと思っています。

岡村 子供たちと一緒に自分たちも成長できたらいいなと、 同じ立場で進んでいきたいなというのがあります。

 

近藤 私は15 歳ぐらいからダンスをやっているのですが、 その時、大人たちに「舞台って楽しいな」っていうのを教えてもらって今も続けているので、 そういう存在になれたらいいなと思うし、 自分もまだまだ勉強しないといけないので、子供からも、スタッフさんからも、開次さんからもアシスタントのみなさんからもいろんなものを受けて、私からも返せるようになればいいなと思っています。

室田 この場にいれることもそうだし、 元々、人みしりだった自分がダンス、もとい身体表現を得て色々な人と出会えることができたことに感謝しています。 今回、子供たちと一緒にできるということは 自分なりに感謝を示したいと思うのもありますし 表現にすごく関わっていきたいと思っています。

原田 子供だからサポートしなくてはいけないという部分はあるんですけれど、 出演者としては彼らを子供とは思ってなくて。私は出演しないし、サポートがメインだけれど子供に負けないぐらい楽しむし、なんなら子供たちが、なんであんなに楽しんでいるんだろう、負けてられないなって思うぐらいに楽しく、 顔だけじゃなくて毛穴全部から「楽しい」が出ているみたいな感じに やっていきたいと思います。

富松 アシスタントの中では一番、年上なので子供たちからも、あのお姉さん怖いなぐらいの感じになって、彼らと開次さんたちが自由に稽古できるような環境を作りたいです。子供たちと触れ合うのも初めてなので良い空気を作っていけたら。私の中でもよい目標だと思います。自分は出ないけれど開次さんの振り付けをもらって勉強になるし、学生とアシスタントをやること自体は私のよい経験になると思うので、 子供たちの縁の下の力持ちになっていきたいなと思っています。

森山 みんなの力を借りないと今回は成立しないと思うで、子供たちをサポートすることで何かを見つけたり得たりしてほしいと思う。 れぞれの活動に活かしていけたり、大学と地域をつなぐきっかけづくりになっていったり、 色々な役割になれたらいいなと思っています。

まず、みんなに楽しんでもらって。子供たちをよろしくお願いいたします。

御厨 こちらこそ、よろしくお願いいたします。

全員 お願いいたします! 御厨本日はありがとうございました。

 

 
 

 

森山開次(もりやま・かいじ) 振付・出演

ダンサー・振付家。1973年神奈川県生まれ。21歳でダンスを始める。1999年以降、多くのダンス公演・TVCFなど幅広いジャンルで振付を担当。しなやかながら直線的で、空間を切り裂くような表現に定評があり、2001年エジンバラフェスティバルにて「今年最も才能あるダンサーの1人。彼1人のために観にいく価値あり」(英・Scotsman誌)と評される。2001年ソロ活動開始。初ソロ公演『夕鶴』以降、和の素材を用いた独自の表現世界で知られ、2005年ソロ作品『KATANA』にて「驚異のダンサーによる驚くべきダンス」(米・New York Times紙)と評される。2007年ヴェネチアビエンナーレ招聘など国内海外での作品発表のほか、映画・テレビ・写真作品への参加、個展開催など幅広い媒体での表現活動に積極的に挑戦している。2010年日本ユニセフ協会「世界手洗いダンス」振付、以降こどもへの手洗い普及活動に取り組む。主な出演作品に、映画『茶の味』『カムイ外伝』NHK教育テレビ『からだであそぼ』レギュラー、『トップランナー』『情熱大陸』『課外授業・ようこそ先輩』『空海 至宝と人生 第三集:曼荼羅の宇宙』ナビゲーター、『旅のチカラ』、『日曜美術館』他多数。2012年発表の新作『曼荼羅の宇宙』にて平成24年度第63回芸術選舞踊部門新人賞および優れた舞踊作品を発表した作者に贈られる第30回江口隆哉賞受賞。2013年5月出雲大社遷宮記念奉納公演出演、9月―10月『スポーツ祭東京2013』(国体+全国障害者スポーツ大会)開会記念式典内「未来からきた手紙」メインパフォーマーのほか、日本の芸術文化を海外へ広める文化庁文化交流使に伝統舞踊以外のダンサーとして初めて任命をうけ、ASEAN交流年を記念して本年度インドネシア・ベトナム・シンガポール他訪問。
公式サイト:http://kaijimoriyama.com