教育者猿之助 ― 「文化芸術は人を作る」
「週に3回行くのは無理なので私のかわりに京都造形芸術大学 (現:京都芸術大学) に行ってほしい」 と三代目市川猿之助にいわれた。京都芸術劇場春秋座完成の1年前のことである。
魅力的な人たちと仕事ができる喜びを力説するところから始まった。大学創立者の徳山詳直理事長、芳賀徹学長、山折哲雄大学院長がいかに魅力的な人物であるかを話してくれた。とりわけ印象に残っているのは徳山理事長をお茶の水博士にたとえて、次から次へとアトムを作る人なのだと紹介したこと。猿之助は徳山理事長を大尊敬していた。
そして、大学を紹介するパンフレットのうち、 「京都文芸復興」(理事長)、「保守から前衛へ」(芳賀先生)、 「新しい芸術大学院をめざして」(山折先生)を選び、これを特に熟読し、大学がある瓜生山の歴史的意味、大学のめざすもの、建学精神をよく理解してほしい。猿之助の大学に対する思い入れの深さが伝わってきた。
3時間に及ぶ説明のなかで、いかにも猿之助らしいと思ったのが、 「教師のための必見映画」を紹介してくれたことである。 『勇気ある者』(ペニー・マーシャル監督、1994年)と 『陽のあたる教室』(スティーブン・へレク監督、1995年) の二作品だ。
これらの映画よろしく、すでに猿之助は本学の学生のために教育者を実践していた。
伝統芸術演習「歌舞伎」(1992年5月26日~6月3日)
講義「歌舞伎とオペラ」(1992年11月16日)
伝統芸術演習「歌舞伎」(1993年9月20日~25日)
集中講座(1994年6月6日~13日)
一期生卒業前夜祭歌舞伎公演(1995年3月16日~17日)
特殊演習「歌舞伎」(1995年9月18日~25日・1996年9月17日~21日)
三期生卒業歌舞伎公演(1997年3月28日)
集中講義(1997年7月29日~8月2日)
特殊演習「歌舞伎」(1998年7月30日~8月3日)
伝統芸術演習「歌舞伎」(1999年7月31日~8月4日)
集中講座(2000年7月31日~8月4日)
夏季スク―リング(2001年9月4日・7日)
大学院特別授業(2002年1月7日)
歌舞伎舞踊講座(2002年5月27日)
舞台芸術論・歌舞伎演習(2002年8月5日~10日)
日本芸能史「歌舞伎」(2003年1月7日)
集中講義(2003年8月4日~6日)
は、いずれも弟子、衣裳、床山、地方(じかた)を引きつれての真剣授業。多忙きわまるスケジュールの合間を縫い、10年以上教壇に立ち、全力で学生と向き合ってきた。
芸話・実技演習・学生発表の三部構成で開講する授業は、 「芸術に感動する心を学ぶ」 を目標に組み立てられたもので、その内容はまさに世界一受けたい授業そのものである。 「いつまでも感動する心を忘れないで、どんなに小さい事でもいいから周りの人に感動を与えなさい」 という猿之助のメッセージを学生たちは全身で受け取り、 「天翔ける心」 を胸に刻み羽ばたいていった。
教授、副学長、春秋座芸術監督として本学にかかわった猿之助から、2016年、構想段階からかかわり監修した春秋座開場15周年の節目を迎える記念として、自身の舞台や自主公演を収めた映像、写真、台本、公演パンフレット、書籍など2万点におよぶ歌舞伎関係の資料が寄贈された。
―― 今回寄贈しましたものは、私の歌舞伎人生そのものです。今後これらの資料が歌舞伎の世界だけではなく、広く舞台芸術の歴史の一部として後世の参考になりましたら、大変嬉しく思います。(2016年5月29日)
猿之助が 「私の歌舞伎人生そのもの」 といって寄贈したこれらの資料は 「猿翁アーカイブ」 として収蔵、寄贈を受けた年から毎年映像を主役にした公開フォーラム「猿翁アーカイブにみる三代目市川猿之助の世界」を開催し、猿之助と猿之助歌舞伎から多くの学びを得ている。猿之助のすべてが 「猿翁アーカイブ」 として本学にあることは幸せだ。私たちはこれからも学び続けることができる。
「政治経済は人が作り、文化芸術は人を作る」 といっていた猿之助。私たちは猿之助の思いを受けとめ、受け継いでいかなくてはならない。
(京都芸術大学教授)