希望と真実
我が師、三代目・猿之助と最後に創った作品である『新水滸伝』を、奇しくも京都南座で上演しているさなかに、師は逝かれた。九月十三日の朝、眠ったまま目覚めることなく、生涯の幕を下ろされたと聞く。苦しまれなかったことが救いだ。
今、私の机の前には師から頂いた色紙が飾ってある。そこにはこう書かれている。
教えるとは共に希望を語ること
学ぶとは真実を胸に刻むこと
ルイ・アラゴンの言葉より 猿之助書
私の記憶が正しければ、師が京都芸術大学に通われるようになってから、好んで語られるようになった言葉だ。
私はまさに三十三年前に出会って以来、師と共に希望を語り、そこで真実を胸に刻む体験を幾度もさせて貰って、芸術と創造の神髄に触れる深遠な旅に導かれたと思う。正式に言えば、私は弟子ではない。脚本家として依頼されたスタッフである。三代目からも先生と呼ばれる立場でのスタートだった。
けれど今、私は勝手に弟子と名乗り、この人を師と呼んでいる。師が亡くなってその思いはますます深くなった。
師から学んだことが余りにもたくさんある。
仕事に向かう姿勢や、厳しさ、奔放で自由な発想、幅広い知識、経験に裏付けされた高度な技術などはもちろんのこと、そもそも創造とは如何なる行為なのか、その行為を突き詰め極めれば、人はどこまで崇高な境地に辿り着けるのか。どんな景色を見ることが叶うのか。
師と出会っていなかったら、私は、芝居というものが如何に素晴らしいものであり、創造という行為がどれほど神聖にして尊いものであるか、知ることはなかっただろう。
例えば、誰かが今、宇宙船に乗せて地球を眺めさせてくれると言っても、一方で三代目・猿之助と新たな作品作りのチャンスがあるのなら、私は迷わず師との仕事の方を選ぶだろう。妥協のない師との創造活動はきっと苦しいものとなろうが、その先に待ち受ける完成の喜び、そこで見る景色の素晴らしさに勝るものはないと確信するからだ。
師と行けば、奇跡に辿り着く。
芸術を学ぶ学校の人たちならば、この感覚は説明しなくても分かってくれると信じたい。真のクリエイトを超える美はない。感動もない。この世で奇跡との出会いを求めると言う、ある意味、禁断の果実のような危険な欲望、その喜びを知り、生涯追い続けてしまうことがクリエイターというものの性であろう。
とは言え、師は私に創造の奥義を手取り足取り指導してくれたわけではない。師と私はあくまでも一つの作品を生み出す仲間として、ともに苦しみ、悩み、無心に創造に打ち込んでいた。師は、ないものをこの世に生み出す創造活動の、その格闘の姿を有りのままに晒して見せてくれただけだ。しかしそこに希望があり、真実があったと思うのである。私だけではなく、師の周りにいた者たち、弟子もスタッフも皆、そうして育てられた。
師は、教育者としても、アラゴンの言葉を実践する、超一流の人だった。
そんな弟子の端くれとして、私が是非、伝えたいことがある。
それは三代目・猿之助は、単に歌舞伎界の反逆児、歌舞伎の改革者であったばかりでなく、もっと広く大きく、我が国を代表するクリエイターであったということだ。
師の才能を語る時、それを伝統的な歌舞伎の世界に留めることは認識不足である。
師はかつて世界的な指揮者に乞われて、二か月歌舞伎を休み、ドイツの国立歌劇場でオペラの演出をした。その際、超一流の歌い手、演奏家、スタッフたちが「あなたは完璧な演出家であった」という寄せ書きを贈呈している。
世界に通じる演出家だったのだ。
その更なる証が、大学に託された膨大な資料によって研究、考察され、打ち立てられてゆくことを願ってやまない。
私は小劇場からキャリアをスタートし、今も自分の劇団扉座を主宰している。その出自が歌舞伎ではなく現代劇で、本籍は今尚そこにあるから、更に強く思う。師の才能は演劇界なら蜷川幸雄、それを超えて黒澤明や、宮崎駿と並べて語られるべきものである。
師は常に、自分の発想や演出の根本はすべて歌舞伎にあり、歌舞伎の知恵や技術の応用だと語っていた。だがその応用で生まれた表現は、のべつ他ジャンルの表現に興味を持ち、また現代社会に向けて眼を見開いていた、師の知性、鋭い感性と結びついて、想定外の化学反応を引き起こし極めてオリジナリティの高い斬新な表現に昇華していた。
例えばスーパー歌舞伎『新三国志』で見せ場とした大滝の演出がある。
広い新橋演舞場の間口一杯に、数十トンの本水が一気に流れ落ちる大滝の舞台セットを出現させて、そこで十人以上の大立ち回りを繰り広げるという大スペクタクルシーンである。
出演者全員、ずぶ濡れの水浸し。前方席には本水がバシャバシャとかかるために、あらかじめ水除けのビニールシートが配られている。
ほんの数分のシーンだが、劇場中が歓声に湧き、揺れた。
ただしこれは発想と大きな予算があれば出来る演出だ。天才の真骨頂は、まだその先にある。
三代目は、単なるスペクタクルでシーンを終わらせない。
大滝の中で一同、ずぶ濡れで見得をすると、そこで大滝を消す幕が下がるが、新三国志では、関平という若武者が一人、退場せず幕外に残る。そして花道七・三と呼ばれる、歌舞伎小屋で最も目立つおいしいポイントに立つ。
関平役ももちろん、寸前まで滝の中で暴れまわって全身ずぶ濡れである。少し動くだけで、水しぶきが辺りに飛ぶ。そこに照明が当てられ、きらめく飛沫はキラキラ輝く。全身から滴り落ちる水。それは尊き聖水と化す。
そんな姿で関平は、ひとり思いの丈を切々とセリフに語るのである。スペクタクルシーンから一変し、BGMに甘く穏やかなアダージョが響く。畢竟、そのセリフにもひと際、情感が籠る。
荒い息もそのままに、ずぶ濡れで語る俳優は、それだけで哀しく美しい。
その動から静への鮮やかなコントラスト。ロングショットから、クローズアップへの変化。圧倒的なアクションから心理、心情表現へのダイナミックな深まり。
黒澤明やスピルバーグたちの巧みな映像表現に重なる見事さに感嘆する。しかも師は、それを生身の俳優たちを操って、毎日のライブでやってのけるのだ。
ちなみに四代目が継いだスーパー歌舞伎Ⅱ 『ワンピース』では、大監獄インペルダウンの大乱闘のシーンで、この大滝の演出を踏襲した。そこでは主人公ルフィの友ボンクレーが花道に残って、大スペクタクルからクローズアップの、その眩しい光線の中にずぶ濡れで立って居た。
それはもはや歌舞伎の型ではなく、天才演出家・三代目猿之助の生み出したオリジナルの様式である。
そんな師の才能がもっともっと発揮されるべきであった。
世界中がその凄さに気づく前に、幕が下りてしまった。師には作品を創造するのみならず、それを俳優として演じ続けなくてはならないという宿命があった。そのために生み出す作品数に限りがあった。この偉大な才能に比して、人生の時間はあまりに短すぎた。
だからこそ、残された私たちの責任は重いのだ。師の魂を継いで、創り続けなくてはならない。その教えを、後の世に語り継ぎ、伝えてゆかなくてはならない。
(劇作家・演出家・扉座主宰)