杉原邦生×藤田貴大 対談
── 藤田さんは『A-S』の公演が近づいておりますが、どのような公演になりそうですか。
藤田 「アーティスト・学生・地域の方で創る演劇公演」と銘打った市民参加型の公演でして、5月にオーディションをして参加者は中学生から81歳までいます。
── 集めたのは出演者だけじゃないんですよね。
藤田 出演者だけでなく、スタッフも一般募集しました。
京都造形芸術大学(当時)の学生や関西に住んでいて言葉に興味がある人、服を作りたいという人などらと一緒にプロジェクトチームを作ってやっています。
一般参加型の舞台だと、演出家の仕事のメインって、役者とのコミュニケーションをとることばかりを求められますが、演出家の仕事って実は稽古だけではないじゃないですか。スタッフとやり取りしたり、
杉原 あぁ
藤田 その作業をしないで作ることに違和感があったので、制作担当の方にスタッフも募集できないかと相談して募集したんです。上手くいくか挑戦なんですけれど、今までより、もうちょっと踏み込んだところで創作できないかなと思って。
── 杉原さんは、11月に春秋座で上演する木ノ下歌舞伎『勧進帳』の演出・美術をされていますね。
杉原 今年、木ノ下歌舞伎は10周年でして、「木ノ下“大”歌舞伎」と銘打って、今まで木ノ下歌舞伎で作品を作ってきた僕を含めた5人の演出家全員の作品を2年間かけて連続上演していこうという企画の2作目です。
『勧進帳』は2010年に横浜のSTスポットと京都のアトリエ劇研で初演したのですが、今回は再演というかリクリエイションして上演しようと思っています。『勧進帳』はずっと木ノ下君(木ノ下歌舞伎主宰・木ノ下裕一)と「再演したいね」と言っていた作品なのですが、初演時の弁慶役のアメリカ人が本国に帰ってしまったりと色々あったもので、いつかできないかなあと機会を探っていたのです。
そんなある日、朝ドラの『マッサン』を見ていたら英会話教師役でリー5世さん(アメリカ出身のお笑い芸人)さんが出ているのを見て「あっ、弁慶を見つけた!」って思って。ちょうど、まつもと市民芸術館から木ノ下歌舞伎を呼んでいただいたこととも重なって、この機会にやろうと。
キャストも初演では5人だったのですが、7人に増やして、振付家が入ったり、音楽家が入ったり、美術も初演とは変わります。初演からもう6年も経っているので、だいぶ印象も変わると思いますね。
木ノ下歌舞伎的にも2010年の『勧進帳』から、今や木ノ下歌舞伎の恒例になっている「完コピ稽古」という歌舞伎の舞台映像を観て作品を完全にコピーする稽古を始めたので、エポックメイキングな作品なんです。
その作品にもう一度挑戦できるので、とても楽しみですし、気合も入っている作品です。
── 杉原さんも藤田さんも各地で参加型の企画をやっておられますが、演劇をやったことのない一般参加者を交えて演劇をやるということについて、いかがですか?
藤田 僕は全部で何回ぐらいやってるんだろうなあ。北九州とこの間、福島と…、
僕は参加者の年齢制限や性別を限定しないで、経験も不問でずっとフリーにしているんです。そこに関しては経験者がどうのというのはなくて、フラットなんですよね。
── そういう意味では杉原さんも
杉原 そうですね。僕はオーディションすらもしない。出たい人は全員受け入れる。ただ、これだけ稽古するから覚悟してね、という条件に同意してくれた人だけ取るという。
僕が始めた「文化祭」いう企画もそうですね。ただ、一昨年、春秋座でやった市民参加型の〈演じるシニア企画〉『レジェンド・オブ・LIVE』(2014年)は春秋座に観客として多く集まってくるシニア世代の人たちと学生とを巻き込んで一緒に舞台を作りたいということだったので、その時は初めて年齢制限をつけました。
でも、僕も一般参加型の作品の時はバリアフリーというか(笑) 誰でも来ていいよ、という感じで作ってます。
藤田 邦生さんの「演じるシニア」企画にも出演していた、中田さん
杉原 ああ、中田さんね!
藤田 僕の企画にも出演してくれるんですが履歴書に「人生、最後だと思って」って書いていて、そういう変なプレッシャーを(笑)
杉原 アハハハ。分かる分かる。
藤田 そういうのって、なんか可愛いですよね。
可愛いっていうか、違う緊張感が生まれるじゃないですか。81歳の中田さんとは、本当に今しかできないですよね。東京でマームとジプシーでやっているだけだと、そういう体験はできないですよね。
── 俳優という意味で中田さんは最高年齢ですか?
藤田 もちろん。邦生さんの舞台の時は中田さん、おいくつだったんですか?
杉原 79歳だったんです。でも、さらに上、84歳の方もいらっしゃいました。
藤田 それは結構、高齢。
杉原 でも、その方が本番前に骨折されちゃってね。
あ、僕の稽古の時にじゃないですよ。ただ「骨折していますけれど歩けます。出たいです」っていうから出てもらったんですよ。
一般公募の人たちとやる時って、僕も普段の作品作りとはテンションが違っていて、最初の入り口とか、なんていうのか敷居を下げるじゃないけれど
藤田 はいはい。
杉原 でも、どこかでいつもの作品を作る時と同じラインになる時ってあるじゃない。
藤田 ええ、あります。
杉原 それって藤田君の場合どの辺で変わるの?
藤田 僕、結構、最近、丸くなってきたんでマジで怒んないですね。シビアな事はマームとジプシーでできるから、
杉原 ああ
藤田 マームとジプシーでできることを良い意味でかわしていくっていう仕事が今、好きなんですよ、多分。だから本当に怒らないですね。まわりにはすごく善人になったねっていわれます(笑)
杉原 それはマームとジプシー以外の仕事が全部そうなってきたの? それとも一般公募の場合だけ?
藤田 一般公募はそうなってきていますね。最初、こういう企画をやり始めた時は、邦生さんがおっしゃったみたいに、どこからスイッチを入れていいのか、というのは結構、探り探りでしたね。
杉原 でも入場料も取るし、とか考えちゃう。
藤田 そうですね。
杉原 例えば入場料が3000円なら、どこで3000円のラインを提示するかとかあるでしょ。
藤田 その考え方って、邦生さんと僕、結構、近いんじゃないかなと思っていて。
僕、邦生さんと出会ったのは24とか3歳の頃で東京のこまばアゴラ劇場で〈サミット〉のディレクターをされていた時ですね。だから、そういうことは意識しているというか、3000円の内訳を考えていくかというか、何にその3000円を使ってもらえるかってことですよね。
杉原 そうそう
藤田 でも、お金をもらうから稽古を厳しくしよう、とかじゃなくて、3000円で観る価値のあるものが、その作品の中にあればいい話で。
市民参加型の場合は、もう少し違う設定をその3000円の中にしていかないといけないですよね。
杉原 一般参加型だとマームとジプシーの公演の時とは、お客さんの層が変わるじゃない。そういうの、どう?
藤田 そういうのも楽しくて。
自分の名前って不思議だなって最近、思うんです。お客さんは、「マームとジプシー」とか「藤田貴大」とか、そういう名前で舞台を観に来るじゃないですか。
でも、こういう一般参加企画の作品だと観客は、参加者のお父さんお母さんとか関係者がほとんどじゃないですか。おじいちゃんなんて僕のこと知らないわけです。名前が無い状態になれるって、すごく良い経験だなって。だからSTスポットでやっていた時代に戻ったような気持ちになれるんです。中田さんの旦那さんと息子さんにとっても、僕なんて一ミリも知らなくていい人じゃないですか。そういう人と偶然、出会ってやるって、経験としていいなと思って。
僕、邦生さんにお聞きたかったんですが、ある程度、本筋でがんばってからじゃないと、こういう企画って本当に楽しめなくないですか?
杉原 分かる、分かる。
藤田 ある程度の劇場でやったり、ある程度、自分のことをがんばった後で、ご褒美として楽しかったりするじゃないですか。
杉原 うんうん。
自分の活動だけだと出会えない人と作品を作ったり、新しいお客さんと出会えたり。そうするとリセットじゃないけれど、いろんなことを一回、考え直せるんだよね。普段、俳優さんに使っている言葉が通じないとか。
藤田 あー分かる、分かる、分かる!
杉原 こちらの伝えたいことを一から説明しなくてはいけない面倒くささと面白さと発見っていうか。それは毎回思うんだよね。
藤田 本当、修行になるんですよね。通じると思っていた言葉が通じないって、結構、ショックなんですよね。
セリフを言うプロセスとか、いちいちは言わないけれど、ここではやっぱり言わなくてはいけないとか伝える時、改めて自分の演出の言葉と向き合う時間になるというか、そもそもこういう企画で自分の言葉に慣れちゃうとダメじゃないですか。感動がなくなっちゃうじゃないですか。
杉原 自分の中で確立しているものとか、確立されてきたものを崩された時に起こる感覚だよね、大切なのは。そういう経験をするとアーティストとして太くなる気がする。
── そういう意味では、お二方の参加者との付き合い方って、すごく丁寧だなと思いますね。
参加者とじっくり話をして、その人のエピソードを拾って舞台に活かしたり。そういうやりとりにすごく時間をかけていて、それは作品作りに必要な作業なのだと思いますが、でも普段も、そんなに丁寧にされるのですか?
杉原 やらないやらない。 別に俳優さんの私生活エピソードなんてどうでもいい(笑)
一般参加のときにそういう作り方をするのは、作品作りの手がかりというのが1つあるけれど、丁寧に付き合うことで、なんていうのかな…
作品に参加している自覚を持ってもらったり、舞台に出演することに責任を持ったり、作品を好きになってもらったり、そういう意識形成のためのプロセスでもあるのかなって。
最初はただ、作品のネタ探しのためにやっていたけれど、やっているうちに、そういう要素側面って結構あるなと思いました。
藤田 わかります。
それにエッジを効かせていく作業だけやっていると、表現として、そればっかりが強くなっていっちゃうけれど、それができない人の体と向き合った時、やっぱり、ここからだったんだっていうことを気が付かされたりするから、自分を確認する作業でもあるんですよね。
── 先ほど、実際、名前を無くすことに対する憧れという話がありましたが、お二人にとって名前ってどういう役割がありますか?
藤田 『A-S』というタイトルは、「あやか」と「さやか」でもあるし、アシンメトリー(asymmetry)のASでもあるんです。
でも、実は名前にまつわることをやりたいなと思っていたので、この質問ってこの作品にとって鋭いですね。うちの母親が云っていたことなんですが、僕は、本当は藤田さやかだったんです。
いや、女子だったらね。というか、女子だったらというレベルじゃなくて、本当に女子として生まれて欲しかったらしいんです。だから、生まれてから数カ月、さやかと呼び続けられたと最近、酔っぱらった母親が笑い話にして言ってきて(笑)。
僕は「女子に対する事」「女性に対する事」が強い作家だと思うのですが、それは、母親が笑い話にして言ってきたことが、すごく影響しているんじゃないかと思っていて、そして、名前って何だろうなって思っていたんです。
東京で演劇作っている藤田貴大って、名前もあるかもしれないけれど、この名前で生まれてきたって、すごく偶然で、違う名前で生まれてきたかもしれなくって、もしかしたら名前ってものすら関係ないかもしれないって、考えてたんです。
── 藤田さんが名前について改めて作るのは面白いですね。
『勧進帳』にしても名前ではないけれど、何かを越境すると言う部分で、名前って重要な部分になってくると思うんですけれど。
杉原 義経一行は、変装しないと、自分を偽らないと主人を守ることができないというのが面白いなと思って。主人の命を守るために自分を偽って通過しようとするって、現代の感覚からすると分かるようで分からないというか。
でも、誰でも自分を偽って生きている部分ってあって、むしろ本当の自分ってなんだっていうこともあると思うんだけど、この作品を作っていて、この人たちは、ここで自分を偽ることに命を懸けないと守れないものがあるという切実さというのが、面白いなとは思いますね。
── 今回、「越境」という言葉の意味がいろいろな所にかかっているような気がしたので、それを含めてどんな風にイメージが重なっていくのか楽しみですね。
杉原 キャスティングもある意味で、「境界線」がテーマになっているんです。リー5世さんは、アメリカ人だけれど日本に20年近く住んでいて日本語べらべらだから、国とか言語の境界線を内包している。高山のえみちゃんはニューハーフで、性別の境界線を内包している。
そういう俳優をあえてキャスティングすることで物語の中で見えてくる「境界線」だけではない、いろいろな読み解き方のできる作品にしたいんです。だって、そもそも弁慶がアメリカ人っておかしいもんね。義経がなんでニューハーフなんだ?って話ですよね。でもこうやって、ある意味で暴力的に既存のイメージを飛び越えながら作品を作っていくと新しいことになっていくかな、新しいものが見られるんじゃないかなと思っています。まだ稽古も始まったばかりなので、どうなるか分からないですけど。
藤田 普段、東京で作っていても、やっぱりスタッフさんとのコミュニケーションと役者さんとのコミュニケーションをいかにフラットにしていくかということで、仕事の質というか舞台の感じが変わってくると思うんです。
ですから、『A-S』でも役者さんとコミュニケーションをするようにプロジェクトメンバーともコミュニケーションを取っています。その子たちから出てきた言葉を使ってみたり、メンバーの中には京都造形芸術大学(当時)の学生がいるから、写真を撮る子ととか、何か造形物を作れるとか、色々作ることができる。その子たちから出てきたものを採用していきたい気持ちがあって、そういう意味で積極的な人たちが揃ったと思っています。
演劇に必要な技術スタッフも僕がオファーしたのではなく、やりたいって言った子に「照明をやってみない?」と配置しているので。そういう子たちと話す中で彼らが抱えている問題を聞くと、作品を作っている間、「演出家と一言もしゃべらなかった」みたいなことを言うんです。照明も音響も技術があれば、会話がなくてもできちゃうじゃないですか。そのことに違和感があって、「コミュニケーションの中から照明を作っていきたい」と言っている子がいて、おお~っ!て。その問題に今、ぶち当たっているのはすごいなあって。
日本の演劇って形式が強い部分があって、スタッフさんとはそういうミーティングのプロセスをやれば、プラモデルみたいにできるという定型がある。それは良い部分でもあるんだけれど、それだけをやっていては、なんだろう、違う質感は生まれてこないって部分があると思うので、そのこと自体を考えていければなと考えています。
── 劇作家・演出家の太田省吾さんは生前、作るプロセスを変えれば結果、違う作品ができるとおっしゃっていたと思うのですが、そいういう意味で歌舞伎は型があるような気がするのですがそれに対して木ノ下歌舞伎はいかがですか?
杉原 僕ら、そもそも歌舞伎を作っているという意識はなくて、現代劇を作っているという意識なんです。だから、現代劇を作るというプロセスから考えると、かなり異質なことをやっていると思います。
木ノ下歌舞伎が稽古期間の前半にやる「完コピ稽古」って、ただただ歌舞伎版の映像をひたすら繰り返し見て、それをコピー(真似)していく。そして、この完コピ稽古で出来上がった演技をベースに、現代劇として立ち上げていく。つまり、歌舞伎の型を現代劇の俳優が出来ないなりにインストールして、そこから現代劇を作っていくプロセスになるんですけど、そんなことやっている劇団は他にないだろうし、だからこそ、これまでになかった質感を持つ現代劇を作れているんじゃないかとは思いますね。
冷静に考えていると変なことをやっているなって。何やっているんだろうこの時間って思ったりするんだけど(笑)
藤田 プロセスを見直して新しい質感を生むみたいなことって、これから基本的なことになっていくんじゃないかなと思うんです。そういうことを学校教育でやってほしいなって(笑)。
そもそも作品というのはプロジェクトなわけだから、プロセスを組み替えただけで、同じ『ピーターパン』をやっても違う『ピーターパン』が生まれちゃったりするわけじゃないですか。工作する時間、演劇工作の授業をしてみたいですね。
── 先ほど、若手の話も出ましたけれど、そろそろ下も上もいるという、だんだん、世代として変わっていく節目の時期だと思うのですが、どのような展開をしていこうか考えてますか。
藤田 30代になって、20代より、もう少し余裕を持って考えられてきたなというのと、このまま歳をとっていくことに対する危機感があります。去年、多分、このままやっていけるなとを思ったんです。
でも、演劇でそういうレールに乗ってしまうと、ただただチケット料金が上がっていって、いい感じのキャスティングで、いい感じのチラシになっていくみたいな。
杉原 笑
藤田 そして、気がついたら40代になっていっちゃっている気がしたんです。
でも今の段階で、10歳ぐらい年下の人達に目を向けてやっていけたらなということが、あって。
僕、監視されたい欲があるんです。上の人たちからも下の人達からも。
邦生さんとか木ノ下君とか、僕、遠目から見ていて、いいなと思うのは、色々な目が入っているじゃないですか。意識的に色々な目を入れるから、よどんでいない。風通しがいいですよね。マームもそうありたいと思っています。そういうのってコラボレーションだけじゃないと思っていて、今、そのことをすごく悩みたいなと思います。
今、この夏の企画を引き受けているのも、ある意味監視されたいというか、なんとなく自分を試すじゃないけれど、さっきの邦生さんが言ったように、言葉が試されていく状態に身を置いてみるのは、必要なことなんじゃないかなと思います。通じる人にだけ通じる言葉でしゃべっていくことは表現をシャープにしていく時には必要だと思いますが。
杉原 僕はなんだろう、なんか良い歳になってきたなと思って。
やっと自由になれてきたというか、経済的な面でも、一緒に活動する人にしても、場とか環境にしても、いろいろある程度自由に選択できる所までやっときたなと思って。それを今後どこまで広げていけるかなと考えてます。こういうこと考えている時間がいま楽しいですね