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「琉球舞踊と組踊 春秋座特別公演」金城真次さんインタビュー

インタビュー

「沖縄でも観られない」「春秋座でしか観られない琉球芸能の公演」というキャッチフレーズのもと開催してきた「琉球舞踊と組踊 春秋座特別公演」。毎回、演目、出演者の層の厚さはもとより、時には沖縄から出たことのない舞台美術をお持ちいただくなど、共催である国立劇場おきなわの皆様に協力をいただき開催してきました。6回目となる今回は、金城真次さんが新芸術監督に就任してから初となる春秋座公演であり、さらなる沖縄芸能の魅力を伝えるべく今回は喜歌劇、舞踊に加え組踊は『花売の縁』を上演いたします。
『花売の縁』のお話、また芸術監督就任の思いなど、金城真次さんにお話を伺いました。
場所:春秋座楽屋にて 聞き手:舞台芸術研究センター

 

古い沖縄の風景や香りを伝えたい

―― 金城さんには今までに2回、春秋座公演にお越しくださっていますよね。


金城 はい。春秋座はいい舞台ですよね。組踊では幕引きの時、柝の音(きのおと)が入ってお客様から拍手をいただくのですが、その時、なにか言葉にできない良い空気が満ちるんです。また来たいなと思わせてくれる舞台ですね。そしてお客様があたたかいんですよ。とても嬉しいですね。
※柝の音…四角い2本の拍子木。役者にきっかけを伝え、効果音、幕引きを知らせる役割を担う

―― 春秋座のお客様皆様が毎回、舞台を楽しみにしてくださっているんです。ご出演された組踊は2019年の『孝行の巻』と2020年の『二童敵討』でした。

 

2019年2月23日 組踊上演 300 周年 記念事業 琉球舞踊と組踊 春秋座特別公演 組踊 「孝行の巻」 撮影:桂秀也

 

金城 どれも私にとって良い思い出ですし、両方とも沖縄でもなかなかない配役でした。特に『二童敵討』は何度も出演させていただいておりますが、宮城能鳳先生が母親役で私が亀千代役をしたのは初めてでした。また『孝行の巻』では金城清一先生と共演させていただけ、すごく良い思い出になりました。

―― 今回、上演する高宮城親雲上(たかなーぐしくぺーちん)作の組踊『花売の縁』は、宮城能鳳先生から大好きな演目だと伺っておりまして『舞台芸術』24号にて宮城能鳳さんのインタビューを収録)、それならみんなが大好きに違いない、何より私たちも観たいと思い、上演をお願いしました。この作品は、すごくシンプルなストーリーですが、人間関係において心の豊かさがどんなに大事かを洗練されたスタイルで私たちに伝えてくれますね。

 

『花売の縁』提供:国立劇場おきなわ

 

金城 仇討ち物のような派手な作品ではないですが非常に奥深い作品で、組踊の中でも世話物の名作かと思います。私も宮城能鳳先生と同じく、大変、好きな作品です。
たった6人の登場人物で1時間強の内容を進行させるのですが、夫婦の在り方、家族の在り方、親子の在り方について考えさせられ、さらに沖縄らしい情けがあちらこちらに織り込まれた良い作品です。

―― 沖縄らしい情けというのは、どのような場面でお感じになられますか?

金城 例えば、夫を探して旅する妻子が、途中で出会った猿引きに夫の消息を尋ねる場面があるのですが、ちょっと尋ねただけなのに猿引きが親子に猿の芸を見せてくれてくれるのです。一方、子供は良い芸を見せてくれたご褒美に、と猿にお金をあげます。そういうところが沖縄らしくていいなあと思うのです。組踊の中には今は使われなくなった言葉や、あの当時の沖縄に生きていた方ならではの風習、情けなどが残っていると思います。

―― 金城さんはお芝居が書かれた時代の香りや空気感を大事にされる感じがします。

 

『花売の縁』提供:国立劇場おきなわ

 

金城 そうですね。沖縄は随分、近代化して赤瓦の家もだいぶ減り、「日本」という感じになってきました。ですが芸能の中には、まだ古い沖縄の風景や香りが残っているのがいいなと思います。ですから皆様にもそういう沖縄の香りを紹介したいと思っているんです。ですが当時の人ではなく、今を生きる私たちが表現するわけなので、余計にそういった香りや空気感を大切にしながら演じないとお客様に伝わらないと思うので、常に意識しています。

―― そういった積み重ねにより、私たちも舞台上に当時の景色が見えてくるわけですね。

金城 そうですね。そういったものを大切にしていきたいですね。
ラストに家族の再開という感動の場面がありますが、西江喜春先生らの音楽がその場面を盛り上げ、それはそれは涙を誘います。私の中ではハンカチではなくバスタオルを準備してご覧いただきたい作品だと思います。

 

沖縄返還50年目に上演する『花売の縁』

―― 今年は沖縄が返還されて50年という節目の年ですね。

金城 第二次世界大戦の沖縄戦で沖縄はいろいろなものを失われました。その一つに芸能があります。1945年、第二次世界大戦終戦の年のクリスマスに沖縄の石川市(現:うるま市)で戦後初めて上演された組踊が、この『花売の縁』だったのだそうです。


小学校のグランドに特設ステージを組み、島袋光裕さんという組踊、芝居、舞踊とオールマイティにこなされる役者さんが演じられ、大勢のお客様が観にこられたといわれています。
『花売の縁』は離れ離れになった家族が再会する物語ですが、作品のストーリーと沖縄戦で家族がバラバラになってしまった現在とを重ね合わせ、涙するお客さまが多かったそうです。この作品がきっと沖縄の人の心の寄り所になったのではないかと思っております。

 

琉球芸能大好き少年が組踊の舞台に立つ

―― 金城さんご自身についてのお話を伺いたいと思うのですが、子供の頃から琉球舞踊を習っておられるんですね。当時、男の子が琉球舞踊をするのは珍しかったのではないでしょうか。

金城 運よくといいますか、家に趣味で三線を弾いている祖父がおりまして、日常的に祖父が弾く三線を耳にしていたんです。その頃はNHKをはじめ沖縄のどのテレビ局でも必ず週1回、沖縄の芸能を紹介する番組がありまして、そういったものも観る機会が多かったんですね。


また、親戚に琉球舞踊を趣味で習っている人もおりましたし、姉も師匠に付いて琉球舞踊を習っていたので、なんとなく環境が整っていたといいますか。それで私も踊りが好きになって勝手に音楽に合わせて踊ったり、沖縄の音楽のレコードを聴いたり。そのレコードプレイヤーはあまりにも私が聴き過ぎて壊してしまったのですが(笑)。それで4歳の頃、姉が付いていた師匠の元に正式に入門しました。
おっしゃられる通り、当時、男の子で踊りをやっているのが珍しかったこともあり、子供の頃は沖縄局のテレビCMに出たり、今でいう子供タレントのようなこともしておりまして、そのうち沖縄芝居の子役に呼ばれて出るようになりました。ですから組踊よりも芝居の方が先だったんです。組踊の子役には一度も出演したことがないので、まさか将来、自分がやるようになるとは思っていませんでした。
というのも私の師匠は女性なのですが、私が子供の頃は女性の方も沢山、組踊に出演されていた時代でして。ですから師匠の組踊を観て育ったところがあります。私が組踊に携わるようになったのは高校生からなんです。

―― それはどういった経緯で?

金城 ちょうど国立劇場おきなわが開場することになり、その開場記念公演として『万歳敵討(まんざいてきうち)』を上演するからと劇場の方から出演のお声がけをいただいたんです。それで、きやうちやこ(チョーチャク=身分の高い人用の椅子)持ちの役で出演したのが最初です。


まあその時の稽古が楽しかったこと、楽しかったこと(笑)。出演されているのが大御所の先生方や先輩方で、その方々がひとつずつ、あーでもない、こうでもないと議論を重ねて稽古を積み上げていくのをそばで見ることができて、とっても楽しかったんです。そこから、少しずつ組踊の役が付くようになりました。役といっても台詞のないお供の役とか、何かを持って運ぶ役とかですよ。そうこうしているうちに『花売の縁』の鶴松ぐらいができるようになってきたんです。
それで高校2年生の時、劇場に「組踊研修生募集(一期生)」のポスターが貼られているのを見て「面白そう、これは良いチャンスだからさらに勉強してみたい」と応募することにしたんです。試験は面接、琉球舞踊、それから初めて渡される『執心鐘入(しゅうしんかねいり)』の台本から「はい、ここを唱えてください」というもので、難易度が高かったのですが、私は舞台で素晴らしい先生方のお供役などをさせていただいていたので演技を間近に観ていたんですね。ですから運が良かったんです。本当に。

―― 一期生は何人ぐらいいらっしゃったのですか?

金城 10人です。立方(演者)3名、地謡(演奏者)7名。地謡のうち三線が4名、笛1人、箏2人でした。立方3人のうち、私以外のお二人は先輩なんですよ。お二方はすでに沖縄県立芸術大学で色々なことを学んでいらっしゃったので、お二人が色々と教えてくれたんです。ツイていましたね。ここでも運が良かったですね。

―― なかには昼間は会社員をして夜に養成所で勉強される方もいらっしゃいましたが、金城さんは高校生の時に養成所に入り、その後、沖縄県立芸術大学、大学院を出て今にいたるわけですね。

金城 そうなんです。昼間は学校で夜に養成所で研修を受けるんですが、楽しかったですね。ですから恥ずかしながら、国立劇場おきなわの芸術監督というのが初めてのお勤めなんです(笑)。

 

国立劇場おきなわの新芸術監督として

―― この4月から国立劇場おきなわの芸術監督に就任されたわけですが、ご自身に白羽の矢が立ったことについて、どう思われていますか?

金城 自分ではよく分からないのですが、劇場からのお話では組踊、沖縄芝居と全ての舞台活動をしていることプラス、演出に回ることができるからということでした。というのもそれまで外部作品で何本か演出を担当したことがありましたので。それでだとは思いますが、なぜ私なのか。

―― 色々なポジションから琉球芸能に関わることができる方、ということで選ばれたのでしょうね。

金城 実は最初、劇場の管理課から「話があります」と電話がありまして、「なんですか?」と伺うと「電話では話せません」というので私、何かしちゃったかなと(笑)。劇場の備品を壊したとかなあ、怒られるのかなあ…と思って行きましたら、常務や管理課長さんらがおられて「実は…」と話されまして。でも、すぐにはお返事できませんでした。


ですが昨年度、その前の年もコロナ禍で公演中止が続きまして、私の仕事はまず元通りの公演数に近づけること。そこから次の年、その次の年と発展していけたらと思います。そして何か起きた時にすぐに対処できる準備をいつもしておかないといけないと思っています。

―― まずは公演回数を元に戻す、ということですが、今後はこういうのをやっていきたい! というのはありますか。

金城 いっぱい、あります! 春秋座も、春秋座だからできるキャスティングというのがあるように、やはり「国立劇場おきなわだからできるもの」というのがないといけないと思っています。今回、沖縄芝居の地謡に西江喜春先生が出られますが、組踊の人間国宝として認定されてからは、沖縄で沖縄芝居に出られることはありませんしね。

―― 西江先生にお話しを伺ったら「昔はやっていたんだよ」とおっしゃっていました。

金城 そうなんです。ですから今回は西江先生が劇場にいらした時に「『夜半参』の独唱は先生じゃないといけないですから」と直接、交渉したんです(笑)。

―― そうだったのですか! ありがとうございます。

金城 やはり私たちも沖縄でやる時は沖縄ならではのもの、沖縄のお客さんが喜んでくださるものは何か、そういうことを考えてキャスティングを練っていきたいなと思います。
特に劇場に来られるお客様は年齢の高い方が多いのでそういう方に喜んでいただきつつ、若い方をどうひきつけるか。そこを徹底して考えて、より良いものを皆様に提供していきたいと思います。

 

金城真次(きんじょう・しんじ)
国立劇場おきなわ芸術監督。玉城流扇寿会教師。谷田嘉子・金城美枝子に師事。沖縄県指定無形文化財「琉球歌劇」保持者。国立劇場おきなわ組踊研修修了生(第1期生)。2022年4月に国立劇場おきなわ芸術監督に就任。34歳。