春秋座―能と狂言
「芸尽くし」と「婿入り」
すっかり定着した感のある「春秋座―能と狂言」ですが、第10回の今回は、狂言は『二人袴』、能は『自然居士』です。『自然居士』は主人公の名で、ジネンコジと読みます。南禅寺開山の大明(だいみょう)国師(こくし)の弟子と伝えられる、実在した鎌倉後期の禅僧です。この「自然」は「即座(の悟り)」という意味で、修行を経たうえでの悟り(漸(ぜん)悟(ご))より、即座の悟り(頓悟(とんご))を理想とする禅の思想を象徴する言葉です。そのジネンを名に持つ実在の自然居士は、そうした禅の思想をつきつめて、あえて破戒ともみえる芸能者まがいの言動をとる僧だったのですが、その自然居士をモデルにした能『自然居士』のシテも、身を売った子を人買いから取り返すために、琵琶湖畔で曲舞、ササラ、羯鼓と芸尽くしを披露します。『自然居士』はその「芸尽くし」が見所の能とされていますが、その底には、「法のためには身を捨てる」という禅僧の信念が流れているのです。娯楽性と思想性がみごとに融合した能、それが『自然居士』といえるでしょう。
この『自然居士』の作者は世阿弥の父観阿弥です。そのため、世阿弥の遺著には、観阿弥が演じた『自然居士』についての逸話がいくつかみえています。その一つは、将軍義満が観阿弥演じる『自然居士』を絶賛したこと。当時の義満は禅の思想に惹かれていたのです。もう一つは、観阿弥が演じた『自然居士』が、十二、三歳とも十六、七歳ともみえたこと。これは世阿弥の絶賛です。シテ自然居士は少年僧という設定だからです。その自然居士を壮年以上だったはずの観阿弥が少年のように演じたのに、世阿弥は驚嘆したのです。
聟入り狂言の『二人袴』は、終曲部の酒宴の場面で「七つ子」などの小舞が舞われるところが、囃子が入る「三段之舞」になる演出で、いっそう華やかな雰囲気になります。かつての「聟入り」は、結婚後、聟がはじめて妻の実家に挨拶に行く儀式ですが、そこに人間誰にもある「見栄」と「親子の情」が、狂言らしい「よき人のよき笑い」のなかに交差します。
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【企画監修】渡邊守章(演出家)
【照明デザイン】服部基
【舞台監督】小坂部恵次
【協力】銕仙会、万作の会、空中庭園