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構成・演出 ジゼル・ヴィエンヌ
作 デニス・クーパー(出演者との共作)
ジゼル・ヴィエンヌ『腹話術師たち、口角泡を飛ばす』 英語上演/日本語字幕

本音とタテマエがせめぎ合い、会議はカオスへと沸騰する―。
実在する腹話術師の国際会議をモデルに、9人の腹話術師たちが個性豊かな相棒片手に息をもつかせぬトークをくりひろげる。
表向き社交的な会話は、ブラックな笑いをふりまきエスカレート。かくれた本音が思わぬ瞬間に顔を出し、しだいに一人一人の孤独の淵があらわになっていく。
人形を介し人間のダークサイドをえぐる衝撃作を次々に発表し、ヨーロッパ演劇界で異彩を放つジゼル・ヴィエンヌが、ドイツ屈指の人形劇団「パペットシアター・ハレ」とかつてない会話劇を生み出した。
驚愕のテクニックで命を吹き込まれた人形たちが、あなたを白昼夢へとさそう。
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【構成・演出・舞台美術】
ジゼル・ヴィエンヌ Gisèle Vienne
1976生まれ。哲学科を卒業後、フランス国立高等人形劇芸術学院で学ぶ。振付家、演出家として活躍。2004年以降作家デニス・クーパーとのコラボレーションにより数多くの作品を生み出し、日本では『こうしておまえは消え去る』春秋座公演(KYOTO EXPERIMENT 2010京都国際舞台芸術祭公式プログラム)のほか、『Jerk』『マネキンに恋して―ショールーム・ダミーズ―』を上演。腹話術師やダンサー、さらにはアイススケート選手との共同製作も行う。05年以降は自身による写真やインスタレーションも発表。07年にはヴィラ九条山の招聘芸術家として5ヶ月間京都に滞在。

【作】
デニス・クーパー Dennis Cooper
作家、詩人、批評家。同性愛や暴力、サディズム、ドラッグなど、過激な題材の作品で多いことで知られている。和訳されている主な著書に、『クローサー』(Closer 1989年)、『フリスク』(Frisk 1991年)、『その澄んだ狂気に』(Wrong 1992年)、『ジャーク(Jerk 1994年)がある。

レビュー
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本作品は、1時間40分にわたって終始リアルで、孤独、屈辱、死を描きだすと同時に、愛(少なくともその存在の可能性)についても言及している。(・・・)腹話術という妙技を通し、オリジナルかつ感動的なやり方で、多くの真実をあぶり出すヴィエンヌとクーパーの手腕は見事である。―――Hector Pascual Alvarez

『腹話術師たち、口角泡を飛ばす』は、つまるところ、腹話術師たちの抱えるトラウマ、孤独、絶望をテーマにしている。(・・・)また、作品には消せない記憶や喪失が渦巻いている。聞こえてくる声は、結局のところ自分の声以外の何者でもない。人形の人格は、腹話術師が設定したものであり、常に創造者の影から逃れることはできない。腹話術師が手を差し込むことで、人形に命が吹き込まれるが、その体が一つの生として自立することはない。
これは喜劇ではない(だからと言って悲劇でもない)。むしろ、自分の分身を使って、ナルシスティックに近い形で、自らの内的な葛藤を模索する人々を描いた実存的演劇作品である。人形が話す言葉は、そのまま自分に返ってくる。―――Michael J. Kramer

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[構成・演出]ジゼル・ヴィエンヌ
[作]デニス・クーパー(出演者との共作)
[出演・共同創作]ジョナタン・カプドゥヴィエル、ケルスティン・ダレイ=バラデル、ウタ・ゲーベルト、ヴィンツェント・ゲーレ/<パペットシアター・ハレ>パフォーマー:ニルス・ドレシュケ、ゼバスティアン・フォルタク、ラース・フランク、イネス・ハインリッヒ=フランク、カタリーナ・クンマー
[照明]パトリック・リウ
[サウンドデザイン]KTL (スティーヴン・オマリー&ピーター・レーバーグ)
[製作]パペットシアター・ハレ(ハレ/ザーレ)、DACM(ストラスブール)

[共同製作]ナンテール-アマンディエ国立演劇センター、フェスティバル・ドートンヌ・パリ、レ・スペクタクル・ヴィヴァン-ポンピドゥ・センター、オルレアン=ロワレ=サントル国立演劇センター、 TJP アルザス国立演劇センター(ストラスブール)、ル・マイヨンストラスブール劇場 、ラ・バティジュネーヴ・フェスティバル、カンプナーゲル-ハンブルク国際サマーフェスティバル、カゼルネバーゼル、ル・パルビスタルブ国立舞台(ピレネー)、フライブルク劇場、ボンリユーアヌシー国立舞台、hTh モンペリエ国立演劇センター、フィデナ・フェスティバル(ボーフム)

[助成]ドイツ連邦政府文化財団、一 般社団法人プロ・ハレ、ザーレ・シュパーカッセ銀行、バーゼル=シュタット准州/バーゼル=ラント准州ダンス演劇専門委員会、アンスティチュ・フランセ [Théâtre Export]、アンスティチュ・フランセ・ドイツ-演劇・ダンス部門、SACDボーマルシェ協会、在ニューヨーク・フランス大使館文化部

[助成(ジゼル・ヴィエンヌカンパニーに対して)]文化コミュニケーション省、Drac アルザス=シャンパーニュ=アルデンヌ=ロレーヌ グラン・テスト地域圏、ストラスブール市、バーゼル=シュタット州文化部
ジゼル・ヴィエンヌは2014年よりナンテール-マンディエ国立演劇センターのアソシエイト・アーティストです。
本ツアーはアンスティチュ・フランセより助成をうけています。

[協力]SPAC-静岡県舞台芸術センター、東京ドイツ文化センター


表層の下に闇がにじんでくる
「人形劇」を遥かに超えたジゼル・ヴィエンヌの世界
石井達朗

 ジゼル・ヴィエンヌの作品を初めて見たのは、2010 年のフェスティバル/トーキョー(F/T)で招聘された国際共同作品『こうしておまえは消え去る』だった。
 舞台一面が、演技する場所もないほど「林」になっているのには驚いたが、それ以上にその作風に心奪われた。演劇でもなくダンスでもない。登場する人物たちの佇まいに漂う異様なまでの緊張感。時間の流れは何かが起こりそうな予兆を孕む。そして何かが起こる。血を見たかもしれない。あとあとまでも尾を引く戦慄・・・。
 ロマンティック・バレエの代表作のタイトルロール、ジゼルは美しく純粋、けなげで儚いけれど、同じ名をもつジゼル・ヴィエンヌがつくる世界は、あまりにその対極にある。作品から判断すると、インスタレーションを主に展開するアーティストかと想像したが、人形作家としての背景があることは意外だった。そういえば舞台に人形もあった、というぐらいの印象しかないのだ。「人形劇」などというものを遥かに超えている。パフォーマンスアートというのでもない。とてもひとつのジャンルに収まりきれない。
 過剰にはならずに、説得力のあるインスタレーションがある。そこに人形がいて、人物が行動し、照明がゆっくりと変容し、言葉や声が飛び、サウンドがかぶさる・・・。それらがトータルに働きかける。ジゼル・ヴィエンヌの舞台では、どんな人形であっても、そのリアルな存在感は不気味なほどだ。しかし、不思議なことに人形そのもののイメージは次第に後退してゆく。形容しがたい暗雲のようなものが舞台に充満してきて、観客席にまで漂い始める。そんな異物感が人形も人間も包み込んでゆく。
 2014 年に SPAC-静岡県舞台芸術センターが招聘した二作品『Jerk』と『マネキンに恋して』は、一筋縄では捉えられない特異なアーティスト、ジゼルを再確認するのに充分だった。前者は 27 人の青年を強姦殺人したという実際に起きた事件を下敷きにした人形劇。ひとりのパフォーマーがグローブ(手袋)人形を使い分けながら演じてゆく。子供に腹話術を見せるような偽りのエンターテインメントを装いつつ語られる残酷と暴力。このおぞましさはどうだろう。後者はマネキンたちとダンサーたちが同じ舞台に共存し、ジェンダーイメージを撹乱する。スペクタクル性のなかに官能と戦慄を漂わせる傑作だった。
 『腹話術師たち、口角泡を飛ばす』は、『Jerk』の原作者でもあるデニス・クーパーが出演者との共同脚本で参加し、9 名の腹話術師たちが一年に一度集まる会議というのが背景である。これは空想の物語ではなく、アメリカのケンタッキー州で毎年開催される国際的な腹話術師たちの会議から発想を得たという。かなり濃いキャラの腹話術師たちと、さらに輪をかけて強い個性を見せる人形たちがいる。
 「腹話術」と言えば身近なところでは、いっこく堂の唇を動かさずに何体もの人形を使い分ける素晴らしいテクニックに親しんでいるし、アメリカには歴史に残る腹話術師エドガー・バーゲンがいる。バーゲンの魅力的な腹話術は、幸いにも銀幕のなかに残っている(とくに当時の有名なコメディアン、W・C・フィールズと共演した『あきれたサーカス』(1939 年)がいい)。いっこく堂でもバーゲンでも例にもれないが、腹話術というのはひとりの腹話術師が一体か複数の人形を扱うというのがふつうである。
 そう考えると 9 名もの腹話術師たちが、それぞれの人形たちと一緒に同じ舞台にいるという設定自体が尋常ではない。複雑なのだ。舞台の上には腹話術師と人形の数だけの人格が存在するのだろうか。いや、事態はそれ以上に入り組んでいる。「腹話術師」という職業をもつ、生の人間たちもいるのだ。さらには誰のものともわからない第三の言葉がどこからともなく聞こえてくる。この異様な状況が生まれるテキストをつくったデニス・クーパーの仕事は、見事というしかない。
 腹話術の楽しみ方というのは、一般的に腹話術師と人形とのあいだの、噛みあったり噛みあわなかったりの受け答えである。人形があたかも独立したキャラクターであるかのように滑稽と皮肉があればあるほど、観客は満足する。個性的な人形たちは、彼ら自身では存在しえず、絶えず腹話術師たちにより息を吹きこまれる存在である。人形は、もうひとりの分裂した腹話術師でもあるの
だ。
 ある種の儀礼的な社交性をもって会議は始まる。人形は次第にヒトガタとなり、ありがちな表層の下に闇の領域をおびき寄せる。そして闇がにじむ。頭をもたげようと何やら蠢いているものがある。その不吉なものは何なのだろう。

石井達朗(いしい・たつろう) ISHII Tatsuro
舞踊評論家。ニューヨーク大学(NYU)演劇科・パフォーマンス研究科研究員、慶大教授を経て愛知県立芸大客員教授。関心領域として、サーカス、呪術文化、パフォーマンスアート。著書に『異装のセクシュアリティ』『身体の臨界点』『男装論』『サーカスのフィルモロジー』ほか