京都芸術劇場 春秋座 藤間勘十郎芸術監督プログラム 芸術監督 藤間勘十郎の芸能講座
「第一回 芸術監督vs.芸術監督」
春秋座芸術監督の藤間勘十郎が、お話を伺いたい様々なジャンルのゲストをお迎えし、実演も交えながら芸能の奥深さ、豊かさの源泉、そして楽しさを探る「芸術監督 藤間勘十郎の芸能講座」。シリーズ 第一回は、国立劇場おきなわから金城真次芸術監督をお迎えし、琉球芸能と日本舞踊の相違点や真髄、その魅力に迫りました。その様子を採録いたします。
芸能があふれる島・沖縄
勘十郎 この講座は私が「お話したい方をお招きして、聞きたい話を伺う」というものでして、そこが他の芸能講座とは少し違うところでございます。その第一回目として、本日は国立劇場おきなわの芸術監督 金城真次さんにお越しいただき、お話を伺いたいと思います。
テレビなどでは何度も拝見しておりますが、実を申しますと私、琉球舞踊を生で拝見したのは一回しかないんです。ですから今日は琉球舞踊について一から教えていただけたらと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
金 城 よろしくお願いいたします。
勘十郎 早速ですが、まずは歴史からお伺いしてもいいでしょうか。
金 城 どこからどういうふうにというのは難しいのですが、 1700年代が始まりといわれています。基本的にあの時代の古典舞踊は琉球の人のための踊りではないんですね。
勘十郎 そうなんですか !
金 城 はい。当時、琉球国はお隣の中国と盛んに交易を行っていたので、中国からお客様が船でやってくるわけですね。その頃の船にはエンジンがありませんから、お客様は逆風が吹く季節まで国に帰ることができないんです。
それで琉球の人たちは大切なお客様をおもてなしするために様々な料理をお出しするわけですが、それだけでは飽きてしまいますので、芸能を見せようということになるわけです。その中で三線 ( さんしん ) 音楽にのせて踊る舞踊ができたといわれています。
勘十郎 てっきり神事として奉納した踊りから派生したものを一般の方々が取り入れた芸なのだと思っていたのですが、なるほど、中国からのお客さまに向けての 「 おもてなしの芸能 」だったわけですね。
金 城 もちろん、神事から派生した舞踊もあることはあります。ですが、おもてなしの要素が強いですね。そして首里城の庭を 「 御庭 」 と書いて 「 うなー 」 と呼ぶのですが、そこに仮設の舞台を作って上演したといわれています。
勘十郎 それが今、おやりになっている琉球舞踊の原点というわけですね。
踊りにはどれくらい種類があるんですか。例えば日本舞踊ですと 「 歌舞伎舞踊 」 や 「 地唄舞 」 などがあり、さらに音楽としては「 常磐津 ( ときわづ) 」 「 長唄 ( ながう た) 」 「 清元 ( きよもと ) 」 「 義太夫 ( ぎだゆう ) 」 、その他にも色々ありますが。
金 城 実は、これだけあるとお伝えすることは難しいのです。といいますのは、沖縄の場合、芸能があちらこちらに根付いていまして、その地域しか持っていない踊りもあるんですね。
勘十郎 なるほど。
金 城 その地域だけで継承されているものは、私たちはできないんです。私たちがやっているものは、基本的に先ほど申しました時代に誕生した古典舞踊といわれるもので、その中に 「 老人踊 ( ろうじんおどり ) 」 「 女踊 ( おんなおどり ) 」 、少年の 「 若衆踊 ( わかしゅおどり ) 」 、そして 「 二才踊 ( にさいおどり ) 」 というものがあります。二才というのは青二才の二才ですね。これは青年男性の踊りです。それぞれに何曲かあり、さらに時代を経て明治時代頃にまた多くの作品ができるんです。
勘十郎 ほう!
金 城 といいますのも明治時代に廃藩置県が行われ、首里城を明治政府に明け渡すと、芸能が首里城から各地域に流れていくんです。そして、その頃にやっと那覇に劇場ができるのですね。
ですが、その頃になると古典舞踊をやっても一般の人にはウケなくなってしまっていたんです。それで役者たちが考えたのが 「 雑踊 ( ぞうおどり ) 」 です。これは古典音楽ではなく一般に流行っている民謡などに合わせて日常生活を描いた踊りで、代表的な雑踊がたくさん生まれました。ですから、どこからどこまでということや、曲数の計算が難しいのですね。
勘十郎 日本舞踊にも色々な音楽ジャンルがありますが、琉球舞踊はいかがですか。
金 城 いろいろあります。
琉球芸能 春秋座特別公演 2024年6月1日 撮影:桂秀也
勘十郎 楽器も異なりますか。
金 城 地方 ( じかた=伴奏音楽 ) の基本は三線で、必ず歌う人が弾きます。歌と三線を別々に演奏しないですね。これが沖縄独特なことかなと思います。それから箏 ( こと ) があります。箏は沖縄の言葉で 「 くとぅー」 といいます。それから胡弓、これは 「 くーちょー」 。笛は横笛で 「 ふぁんそー 」 といったりします。 そして踊りによっては太鼓が入ります。
勘十郎 たくさんあるんですね。
金 城 そうですね。あちらこちらに芸能があふれていますし、三線が各家庭に必ず一丁はあるというのが当たり前で、家の守り神のような捉え方もあります。 「 弾けないけれど家にはあるよ 」 という方も多くおられますね。
勘十郎 家にあるということは三線が人々に根付いているということですよね。
金 城 そうなんです。それにプラスして、女性の場合は婦人会や自治会活動で踊りを練習することもあるので、代表的な祝儀舞踊の「 『 かぎやで風 ( かじゃでぃふう ) 』 ぐらいは踊れますよ 」 という方は結構おられます。そして大体の家庭の引き出しには踊りに使う扇子が眠っているんです。そして本格的に琉球舞踊をお習いしていなくても踊りの衣裳を持っている方が多いですね。
勘十郎 それは羨ましいですね。今、どうやって日本の人々に日本舞踊を根付かせられるのかなと考えているところなんです。すごいですね。
金 城 これが沖縄のいいところかもしれません。
日本舞踊と琉球舞踊の似ているところ、似ていないところ
勘十郎 ところで琉球舞踊ならではの特徴、絶対的なものというのはどこにありますか。
例えば日本舞踊だったら、まず着物は着ることが大前提です。そして 「 素踊 ( すおどり=白塗りの化粧をせず、特別な衣裳を着けずに踊ること) 」 なら紋付、男性はそれに袴をはきますし、歌舞伎舞踊から派生する踊りの場合は衣裳を着て、顔を白く塗るとかでしょうか。
金 城 今、伺った話でピンとくるのでいうと 「 素踊 」 という文化がほとんどないですね。
勘十郎 それを先ほど楽屋で伺ってびっくりしました !
『稲まづん』(金城真次)撮影:大城洋平
金 城 そうなんです。踊りの舞台に立つ時は必ずお化粧を施しますし、衣裳を着けるのが当たり前ですね。
勘十郎 そうすると、先ほどおっしゃったような一般家庭の奥様方が婦人会や自治会活動で踊る時はどうされるんですか。
金 城 公民館にお化粧道具のセットがあるんです。自治会で持っているんですね。
勘十郎 拵え ( こしらえ=役や踊りの扮装 ) をするのは絶対なんですね。
金 城 そうですね。
勘十郎 踊りには男の役、女の役、それから女形もありますよね。女性がやる男役はあるのですか?
金 城 もちろん、あります。
勘十郎 歌舞伎は男性だけ、宝塚歌劇団などは女性しかいませんので、そこが日本舞踊の特徴の一つだと思っていました。そこは私たちの日本舞踊と同じですね。
金 城 そうですね。ですが古典舞踊ができた時代、首里城で踊っていた方々、地方をしていた方々は男性だったんです。つまり士族たちがやったのですね。ですから明治時代まではまだ男性の役者たちがやっていました。それが大正、昭和に入ると女性の踊り手、役者さんたちが出てくるんですね。そして戦後は女性の踊り手の方が増えました。ですので私の師匠も女性です。
勘十郎 僕も母から習ったんです。女の人に習うと女の人みたいな動きになりません?
金 城 おっしゃるとおり。はい。
勘十郎 最近、弟子の稽古を見た時に 「 あれ? この踊りは男踊りのはずなんだけれど、何かがおかしいな 」 と思ったら、 「 この前、女性の先生に習いました 」 というんです。そういうのって、ありますよね。
金 城 かなりありますね。
勘十郎 習った人に似たり、クセをもらったりするのはありますよね。
でも母は僕にあまり稽古してくれなかったんです。だから私の中にうちの母のクセがないんです。
金 城 そうなんですか。ですが素晴らしい教育かもしれませんね。
勘十郎 もしかしたら、そういうふうに性別が違うことも理由の一つにあるのかなとも思います。実は以前、母から 「 一度、誰かに預けようと思ったことはあるけれど、そうじゃなくて自分が教えてもいいかと思った 」 といわれたことがあったんですね。
ですから母から習っていた中学生頃までは母と踊りがそっくりなんですよ。私は女性の踊り方みたいな踊りをしていたんですね。
ですが高校生になって仕事を始めてからは、母親はあまり稽古をしてくれなくなったんです。自分で考えてやりなさいといってね。ですので、それからは祖父 ( 六世藤間勘十郎 ) や歌舞伎の先輩の踊りを見て学ぶようになりまして、ある時、鏡を見て自分の踊りが男性の踊りに変わったなと思ったことがあります。それはあまり考えたことはないですか?
金 城 あんまり考えたことはなかったですが、私は今でも師匠におんぶに抱っこなんです。 未だに(笑)。
私の師匠は姉妹なんです。ですから師匠が二人いるんですね。そしてそれぞれ、やや芸風が違うんです。これ、私は得したなと思うんです。そうすると2つ習えるんですよ。ですからこの場面は A パターンが好きだけど、ここの場面は B パターンが好きだなとか。自分に合ってるものはどれだろうと、考えながらできたんです。
ですから自分の弟子に稽古をつける場合も、あえて自分が踊るとおりには教えていません。 「 この人にはこの方が合うだろうな 」 と教えたり、ちょっとできるようになったら、いくつか例を出して 「 この中から好きなのをやってみたら 」 と提案したりとかですね。
勘十郎 私と全く一緒です ! 選ばせるというか。
金 城 そして私に似て欲しくないんです。
勘十郎 わかります、それ ! 本当に嫌なところだけ似るんですよね。
金 城 そうなんです(笑)。
勘十郎 下手なとこだけ似るんですよね。自分で嫌だなと思っているところで全く同じことをするんですよ。 「 あぁ、そこ、必ず母に怒られているところだ 」 って見ていて思いますもん(笑)。あれは不思議ですね。
それから例えば、 『 藤娘 』 という踊りひとつをとっても何通りもの演出や振りがあるので、「 この人だったらこの方が合うかな」「この劇場ならこっちの方が合うかな 」 といろいろと考えながらやりますよね。それに、みんなが同じ事をやるよりも、その人の個性に合った踊りをやってもらいたい、挑んでもらいたいと思うんです。
金 城 そうですね。その方が同じ演目でもお客様がまた観たいと思ってくださるし、楽しんでくださるんじゃないかって。
私がお客さんだったらそうですね。
勘十郎 そうですよね!
学ぶこと・育てるということ
勘十郎 ちょっと突っ込んだ話になってもいいですか。どうして琉球舞踊をされるようになったのですか?
金 城 私は芸能一家ではないんです。なので勘十郎さんのようなお家で育った方をとても羨ましく思ったりします。
ただ、先ほど沖縄は芸能が身近に溢れているとお話ししたように、私の周りにも芸能が溢れていたんですね。特に祖父が音楽好きで、趣味で三線も弾きますし、ギターやマンドリンも弾くんです。それも楽譜を見て覚えるのではなくて、耳で聞いて覚えるんですね。それから音楽を聴くのも好きで沖縄音楽のレコードが揃っていたので、それらを聴いて育ちました。
また母も芸能好きで、九つ離れた姉が琉球舞踊を習っていたので、その後について師匠の元へ通っているうちにお稽古つけてもらうようになり、いつの間にか姉は辞めていて、私だけが残って今に至るみたいな感じです。
勘十郎 すごい ! それで国立芸術劇場おきなわの芸術監督になられたんですよね。叩き上げじゃないですか !
金 城 いやいや、芸術監督は座って仕事してるふりしているだけですから(笑)。
勘十郎 今までに嫌だなと思ったことないですか。
金 城 まだないですね。
勘十郎 ほんとですか !!
金 城 いや、これからはあるかもしれませんけれど、今のところないですね。
勘十郎 私も嫌いになったことはないんですけれど、演目によっては 「 この演目、つまらないな 」 と思うものがあったんですよね。特に中学校ぐらいまでは地唄舞などが苦手で、観ていても、どこが面白いのか全くわからなかったんです。
金 城 意外ですね。
勘十郎 なんか好きそうな感じがしますでしょ。
金 城 そうですね。むしろ好きでないといけない感じがしていました。
勘十郎 そうなんですよ。だから僕たち踊りの家に生まれた人は何でもできなくてはいけない。知っているのが当たり前と思われるのがプレッシャーだった時期もありました。
でも中学か高校ぐらいの時でしょうか。うちにあった資料映像で、井上愛子先生 ( 京舞井上流 四世 井上八千代) の京舞を拝見した時に 「 なんじゃこりゃ ! 」 と心が震えました。
金 城 そういうことって、ありますよね。
勘十郎 それから長唄に 『 島の千歳 ( せんざい ) 』 という曲がありまして、これも私は大っ嫌いだったんですよ。お稽古に出ると 「 あぁ…やらなくちゃいけないんだ… 」 と憂鬱だったんですね。
でも、祖父が踊った映像を観た時、 「 こんなに面白い踊りがあるのか ! 」 と、また心が震えました。それで僕がつまらないと思っているのは何か違うんだなと思うようになったんです。
先ほど金城さんが、 A のやり方、 B のやり方、両方を学べたとおっしゃいましたが、その当時、やり方は一個しかないと思い込んでたんだと思うんです。でも勉強したらたくさんあることが分かったので、なんとか救われましたけどね。
金城さんは嫌いな踊りはないんですか?
金 城 踊っていて嫌いなものはあります。ただ、演目そのものが嫌いなのではなく、他の方が踊るのを観るのは好きなんです。 だから自分には合わないということなんじゃないかなと思いますけど。そういった演目は二つ、三つ…四つありますね(笑)。
もちろん踊りそのものは覚えていますし、弟子に教えますけれども、でもいざ自分が舞台で踊るとなると今ひとつ踏み込めないなというか、どうしても自分から手を出すことができないというのはあります。
勘十郎 合わないという理由はなんですか ?
金 城 例えば女踊なら、この踊りは女性が踊った方が魅力的だなとか、そういうことですね。
やはり男には出せない 「 女性 」 というものがどうしてもあるんですよね。男役の色気というのでしょうか。ただ、男性にしか出せない 「 女性 」 というのもまた、ありますね。
勘十郎 ありますね。うちは女形芸の家で、それに祖母は女性でありながら女形を極めた人というイメージがありますから、母も女性の踊りではなくて、女形芸なんですよね。ですから僕、若い時から女形をすることが多かったんです。
でも、うちの男性のお弟子さんが女性の役をする時、やはり女性らしさが欲しくなってしまって、 「 女形 」 ではなくて 「 女の子 」 になってしまうんですよね。
それをどうやって歌舞伎らしい 「 女形の芸 」 にしていくか、とても苦労しますね。本人も苦心していますし、私たちも苦労します。
金 城 実は私は失礼ながら、勘十郎さんのおばあ様を初めて拝見したのはテレビドラマでして、当時、舞踊家でいらっしゃるとは全く知らなかったんです。ですが和服の着こなしがとても素敵で、着物を着ている時の歩き方がなんて綺麗なんだろうって思ったんです。だから普段から着物ばかり着ている女優さんなんだろうなと思っていました。
勘十郎 でも何度も 「 なんで自分は男じゃないんだ 」 っていっていたそうですよ(笑)。
金 城 そうですか。
勘十郎 歌舞伎の六代目尾上梅幸さんが好きだったんですよ。その人の芸に憧れて、どうしても役者になって歌舞伎に出たくて、 「 なんで自分は男じゃないんだ 」 っていっていたそうです。
僕が祖母に最初に教わったのは、 「 私たちはね、まず性別を捨てるんだよ ! 女であることを捨てて男になる。男になって女をどうやってるか、考えるんだ ! 」 ってことでしたね。なるほどな~と思って。すごく印象的だったので覚えているんですよね。でも女形芸というのが、祖母の芸風にあっていたのでしょうね。
金 城 カッコいいですからね。
勘十郎 ところで、一言でいうと琉球舞踊の面白さってなんですか。
金 城 一言では難しいのですけれど、やはり舞踊の面白さは音楽の面白さかなと思います。音楽だけを聴くのと、踊りが付いた音楽を聴くのとでは全く違う趣があります。基本的に日本舞踊も同じだと思いますが、とても曲や歌詞を大事にしています。ですから人に教える時も歌いながら教えます。ここでこの 「 仮名 ( 歌詞 ) 」 がきて、この言葉の意味はこう、というところまでお稽古します。やはり音楽と踊りっていうのは切っても切り離すことができないものですね。
それに古い沖縄の風景や風習が歌の中に全部、織り込まれてるんですね。それを私たち踊り手が表現しますので、踊り=音楽とまではいいませんけれど、琉球舞踊の魅力は音楽だと私は思います。そして、それをどう美しく聴かせるかは、踊り手の力になってきますし、踊り手をどう生かすかは音楽や歌次第なのだと思います。
勘十郎 確かに。僕が大好きな先輩に堅田喜三久 ( かただきさく=人間国宝 ) さんという、お囃子の先生がいらっしゃいまして、派手な太鼓を打たれますし、曲もお作りになられるのですね。その方は歌舞伎にお出になる一方で、お素人さんの舞台にもお出になるんですよ。
でも、僕は先生ぐらいの方ならもっと上の方とだけやればいいのにな…なんて思ったことがあったんですね。それで先生と対談した時に話したら 「 違うんだよ。俺の太鼓で踊らせるんだ。 こっちが引っ張っていくと、向こうも付いてくるんだよ。僕らがちゃんとやれば 踊りも良く見えるんだよ 」 というようなことをおっしゃるんです。確かにそうなんです。先生が引っ張ると舞台が盛り上がるんですよ。なるほどなと思いました。
琉球舞踊と日本舞踊
勘十郎 実はですね、本日はうちの弟子がどうしても金城さんにお稽古を付けていただきたいというもので、お稽古をお願いしたいと思っております。お稽古風景って見られないですもんね。
金 城 そうですよね。それではまず基本的な古典舞踊の歩き方をやってみましょうか。早速始めましょう。なんだか上手にできそうですね。少し斜めに歩いてみましょうか。 古典舞踊の女踊は対角線というのをとても大事にしているんですね。
踊りや組踊の約九割が、舞台下手側から登場して上手前側に向かって対角線上を歩いていき、帰りは同じ対角線上を戻ってきます。歩く時の重心が少し日本舞踊とは違うかもしれませんね。琉球舞踊ではどちらかというと重心はつま先にあります。そして少しずつ体を前に押しながら、やや摺り足で歩き、最後にちょこんとつま先をはねる。つま先にはあまり力を入れずにはねます。手は腿(もも)の横に付ける感じですね。お上手です。
金 城 ここで基本的な女踊の立ち方をしてみます。 右足に重心を全部乗せて、左足を八の字に少し出して、つま先を上げます。これが基本の立ち方です。重心は右足ですが、傾かず見た目はまっすぐです。もう一回、歩いてみましょうか。もう少し腰落しめて、重心を前に。そんな感じですね。
これが男踊になると、手の構えがちょっと変わりまして、両袖口を掴んで手を伸ばし、歩幅を広くして直線的に歩きます。止まったら正面を向いて右、左と足をハの字に開いて、つま先は立てずに両足のややつま先に重心を乗せます。
私の先輩からお習いした言葉なんですけど 「 めーえんかい、うっちゃかれー 」 っていうんです。 「 めーんかい 」 というのは 「 前に 」 。 「 うっちゃかいん 」 というのは 「 もたれる 」 。つまり 「 前に体を全部乗せなさい 」 ということですね。まさにその言葉のとおりだと思います。
歩き方はそれぐらいにして、今度は手の使い方をやってみましょうか。女踊の基本的な手の使い方に 「 こねり手 」 というものがあります。女踊には必ず入ってくるものです。こうやって顔の前に手を上げて手首を柔らかく回して、ここでふーっと外して上げてから、下ろしていきます。下ろしていく時は手先からではなく、こうやって何かを撫でていくみたいな感じ、前にあるものを手のひらで撫でていくみたいな感じで、ふーっと下ろしていく。
勘十郎 みなさんもやってみましょう。難しいですね。
金 城 応用編になると横の動き、進む時などの動き方があり、踊りによっては片手、両手があります。いずれも手を片付ける時はそのまま下ろすのではなくて、何かしら軽く踊ってから下ろします。そして肘 ( ひじ ) から下ろすことはあまりなく、肘は伸ばしたまま指先から降ろして、体の横に片付けることが多いですかね。女踊の基本的な手の使い方はこのような感じですね。
勘十郎 面白いですね。私たちの踊り方とは、はやり違いますね。特に重心。私たちは絶対、両足に均等に重心をかけます。前にかけたり、片足にかけたりするのは一切、禁止というぐらいですから。大体、体がまっすぐでないといけないという感じです。
金 城 そうですか。踊りの中で足をかけることもあるんですけど、前に重心をのせていますから重心と逆側のかかとは必ず上がってますね。だから簡単に足を上げることができます。それぐらい前に重心をのせています。
勘十郎 勉強になりました。ありがとうございました。
せっかくですから、今度は金城さんに日本舞踊を習っていただこうと思います。
金 城 お願いいたします。
勘十郎 では 『 藤娘 』 を踊っていただきます。
金 城 えぇ!!
勘十郎 観たことはありますか。
金 城 はい、観たことはありますが。
勘十郎 ぜひ、一緒にやってみましょう。意外と日本舞踊も楽しいですよ(笑)。
うちの流派だけかもしれないのですが、ご挨拶する時、舞台の上でするんです。そして扇子は横に置きます。扇子を前に置くのは結界を張るためといいますよね。ですが祖父の考えで 「 舞台の上は結界の中だから張らないでよろしい 」 というのだそうです。
ただ、これはプロの方をお教えする時だけで、お素人さんの場合は舞台の下で、扇子を前に置いてご挨拶します。
それではよろしくお願いいたします。
金 城 よろしくお願いいたします。
勘十郎 少し振りをやりましょう。日本舞踊は絶対に両足の裏に同じだけ重心をかけて前に歩くと習いました。扇子は藤の枝のつもりなのですが、これは握らず、いかにふわっと持つかが大事だと教わりました。ただし本当にふわっと持つと落とてしまうので、握っているけれど、ふわっと見えるように持つわけです。これを左肩に担ぎまして、右腕を折って右袖を抱いて前に出ます。袖を広げて止まり、 「 三つ首 ( 左向きの場合――左を見て、右に首をかしげ、右を見る ) 」 をします。
あ、 「 三つ首 」 はありますか。
金城 ないです。
勘十郎 こうやって、一、二、三と見ます。それから自分の 「 姿を見る 」 といって折った袖の外を見て、袖を広げて内を見ます。そして右手をかざして傘の縁を持ちます。この時は、うちの流派でも丸く湾曲に踊れといわれました。湾曲に手を持っていくと綺麗に見えるんですね。そして右を向いて、再び 「 三つ首 」 をします。この時、絶対に重心は真ん中なんです。どちらかに傾いてはいけません。
今度は左に進みます。左に行きたい時は左足から出るんです。
金 城 へー!
勘十郎 今、右足が前に出ていますから一度右足を引いて左足を出して右足、左足、右足を出して振り返ってみたら、くるっと回りってもう一度、右斜め前を向きます。今度は扇子を右手に持ち代えて右に行きます。くるっと回って袖を抱きます。ここで「おすべり ( 片足ずつ後ろへ滑らせる ) 」 です。 「 おすべり 」 ありますか?
金 城 ないです。
勘十郎 左手に扇子を持ち代え、藤の花を右手で指します。一つだけ 「 おすべり 」 して周ります。そして 「 三つ首 」 で決まりです。もうできそうですよ !! 素晴らしい。
では音をかけてやってみましょう。
―お囃子と共に踊る―
勘十郎 すごい !! 何よりも女形になっておられました。ありがとうございます。
金 城 ありがとうございました。
勘十郎 これは他の講座では見ることができませんね。これはレア中のレアかもしれませんね。
金 城 初日本舞踊でした。
勘十郎 ありがとうございました。
変わりゆくものと、変わらないもの
勘十郎 お話に戻りましょうか。日本舞踊もそうですが、自然と時代の流れで変わっていくもの、それから変わらなければならないもの、また 変わってはならないものがあると思うんですよね。その辺についてはいかがお考えですか。
金 城 琉球舞踊も琉球芸能そのものも、それが出来た頃と今は絶対に違っているはずなんですね。もちろん演じる方々も変わりましたし、観る方々も変わっています。ですがこの芸能が表現している時代は一つなんです。
まだ、田舎に行けば赤瓦 ( 沖縄の伝統的な赤い屋根瓦のこと ) の家もありますが都会にはありませんし、波が打ち寄せる砂浜は○○ビーチとなっています。今ではもう歌の中に描かれている古い沖縄の風景は見ることができません。そのように風景は変わりましたが、芸能の中だけでも昔の沖縄の香り、その頃の風の匂いが残っていけばいいなと思っております。
ですので、常に私たちは 「 古い沖縄らしさとはなんだろう 」 というのを追求しながら踊ったり、演じたりすることを心がけています。そして、それがそのまま後輩たちにも続いていったら、それに越したことはありません。
勘十郎 確かに日本舞踊の中にも今の時代では考えられないことが出てきますね。
例えば、女性が手ぬぐいを咥 ( くわ ) える振りがあるんですけど、絶対に正面を向いたまま咥えてはダメなんです。ちょっと横を向いたり、後ろを向いたりね。つまり口の中を見せたりしてはダメなんです。これは男の人も同じですけれどね。こういう感覚、今はないですよね。そういうふうに舞踊の中にしか残ってないことがありますね。
それから男尊女卑ではないんですけれども、女形は必ず立ち役 ( 男性役 ) さんから一歩引かなくてはいけないんですよ。ですが女形が立ち役さんの少し斜め後ろ立つことで何を表現しているかわかるというか。
金 城 お客様からもよく見えるんですよね。
勘十郎 そう、うまいことできてるなって思います。
そういうふうに当時の感覚が効果的な演出として残っているところもありますね。
琉球舞踊の若手はどのぐらいいらっしゃるのですか。
金 城 私たちが十代 の頃に比べると数はだいぶ減りましたけれども、その中でも皆さん真剣に取り組んでくれています。
勘十郎 世襲制はあるんですか。
金 城 もちろんあります。
勘十郎 なんとなく私たちの世界は若い人たちが出づらくなった感じがしますね。
やはり私たちみたいな家に生まれた人間たちというのは、どうしても優遇されるんですよね。
でも金城さんは、普通のお家から叩き上げで今のお立場までこられた。逆に私たちはそれが負い目でもあるんです。そういう苦労をしてこなかった。例えば家にいれば芸能に関する何かがあるわけです。何かを聞こうと思ったら聞ける、資料を探そうと思ったら家にある。だから資料を探すためにどこかまで足を運んで、見て、帰ってくるということをしなかったんですよね。
金 城 なるほど。ないものねだりかもしれませんけど、私からしたらもう羨ましいですね。
勘十郎 だから逆に私は家にあるものは全部、覚えようと思って。
金 城 ああ、素敵ですね。
勘十郎 これだけ幸せな環境にあるんだから、全部分からなくてはいけないと思ったんですよね。
金城 素晴らしい。
勘十郎 いやいやいや、本当に全て覚えてるかどうかは分からないですよ(笑)。私の意気込みの問題なんですけれど。
そして、なるべく多くの人たちにこれを共有していきたいですね。
後輩でもすごく良い人がいるとおっしゃいましたが、それは私も思うところで、私を踏み台にして、どんどん良くなってもらいたいですね。でも、やはり一緒に舞台に出たら負けないよっていう気もあるでしょう。
金 城 もちろん、それはね(笑)。
勘十郎 上手い後輩と一緒に出ても、見劣りするもんか ! という意地はありますよね。
金 城 それはないといけませんね。
勘十郎 国立劇場おきなわで、これからこんなことがしてみたいというのはありますか。
金 城 国立劇場おきなわは、沖縄の伝統芸能を鑑賞する機会を提供するのも役目のひとつなのですが、といっても沖縄は芸能尽くしなんです。小さな島なのに音楽も豊富ですし、踊りもあります。演劇となると宮廷芸能の組踊もありますし 、そして沖縄芝居もあります。それから新しい島唄もたくさんあります。それに加えて地域の民俗芸能となると、 「 沖縄の芸能 」 というだけで引き出しがたくさんあり、年間、何公演をしても足りないぐらいなんです。ですから、そういったものを幅広くお届けするのが私の役目かなと考えてます。
ですが、今日お稽古をして、日本舞踊と交互に演目をやるのもいいなと思いました。
勘十郎 ぜひ呼んでください! 沖縄に。
そういえば琉球にも怪談物があるそうですね。
金 城 沖縄芝居ですね。
勘十郎 一緒にどうですか。お化けが出てくる日本舞踊劇をやってみる。
金 城 やりたいですね。私は好きなんですよ、怪談物。
勘十郎 現在、琉球舞踊と日本舞踊を一緒にやることは多くなりましたけれども、踊りじゃなくて、お芝居のようなものですね。私は踊るということは、演じることだと思ってるんです。ですからお芝居をご一緒したいなと。かつ素踊で(笑)。
進化系ですよ、これ。先ほど素踊がないとおしゃっていましたが、ないのだったら逆にありだと思いません?
金 城 今から作ればいいんですからね。
勘十郎 そうそうそう。それにね、僕は亡くなった歌舞伎俳優の中村勘三郎さんと約束しちゃったんですよ。一生、素踊だけをやりますって。
金 城 そうなんですか。それを守っておられるのですか。
勘十郎 そうなんです。お約束してしまっているので、もし進化系でそういうことができるのであれば、この劇場ででも。
金 城 この劇場がいいですね。ここがいいかと。
勘十郎 ここはセリもスッポンもありますし、宙乗りもできますからね。最後、飛ぶのはどうですか。
金 城 やってみたいですね。
勘十郎 最後にきれいな幽霊が飛ぶというのもいいですよね。そうやって何かお互いの良いものを合わせられそうですね。
やったことないものを全部やる。そしてお互いの新しい何かに…
金 城 繋がればいいですね。
勘十郎 そうですね。芸術監督同士の意見を出し合った共同演出の新作を企画しましょう ! 面白いと思いますよ。
実は日本舞踊も宙乗りはないんです。歌舞伎でしか飛ばないので、こっちも負けてはいられないですからね。とはいえ私は飛ばないんですけどね、飛びたいなと思うんですけれども… 。
金 城 一緒に飛びましょうよ(笑)。
勘十郎 私も春秋座の芸術監督をさせていただくようになりまして、この劇場の理念でもある 「 実験と冒険 」 という言葉は常に頭のどこかに必ず置くようにしているんです。これはひとつの実験でもありますし、冒険でもあります。ですからやりたいですね。ぜひよろしくお願いします。
さて、お話はここまででございまして、この後、実演をしたいと思いますが、今日は何を踊っていただけるのでしょうか。
金 城 古典女踊で 『諸屯 ( しゅどぅん )』 を踊らせていただきます。
―会場から拍手―
金 城 なんだか急に緊張してきました(笑)。
古典舞踊の中でもおそらくこの踊りが一番、動かないかもしれないですね。その分、女の思いがとても強く出ます。好きな男性に会いに行きたい。けれども簡単に会うことはできません。それで夢の中に相手が出てきて、一緒に過ごした時のことを思い出すというシーンがあるのですが、それを顔と目の動きだけで表現するんですね。首から下は全く動かさないんです。
最後は、離れていても私の面影が立ったのであれば、あなたの袖に私の匂いが残っているはずだから思い出してくださいね、という情念の深さのようなものが、じわーっと漂ってくる、地味なんですけれど強い思いが描かれている踊りです。
勘十郎 その後、私は 『 傾城音羽獅子 ( けいせいおとわじし ) 』 をさせていただきます。これはテレビ時代劇で銭形平次を演じておられました歌舞伎俳優の大川橋蔵さんのために作られたもので、私の祖父が構成をしたものです。
というのも大川橋蔵さんは踊りが大好きで、新しい踊りを作って発表していくのがライフワークだとおっしゃっていたんですね。そして日本舞踊公演の 「 橋の会 」 を立ち上げられまして、この作品はその時に作られたものです。いわゆる傾城物で、昭和49(1974)年の作品だったかと思います。ですが一度しか踊られなかったんです。その映像を拝見したらどうしてもやりたくてなりまして、ご遺族にお願いをして踊らせていただけることになりました。
今日は後半の禿 ( かむろ ) の踊りから最後の獅子の精のところまでさせていただきます。
これは、今までに舞台では大阪で一回、それからコロナ禍中に配信公演として一回踊りました。ですが何回やっても上手くいかないんですよ。でも、この曲が大好きなんですよね。なのに上手くいかないんです。
金 城 今日はうまくいきますよ。
勘十郎 ほんとですか。
金 城 はい。
勘十郎 なんだか上手くいくかもしれないです。
でも僕は上手くいかないものに挑みたいんです。とりあえずできないってことが嫌なものでして。
金 城 私は慣れないのですが、普段にはない素踊をいたします。
勘十郎 それもこれから型になりますから(笑)。それではご覧いただきたいと思います。
今日はお話、ありがとうございました。
金 城 ありがとうございました。