1. HOME
  2. 読みもの
  3. 狂言『武悪』と能『弱法師』の見どころ

春秋座―能と狂言 狂言『武悪』と能『弱法師』の見どころ

2022年2月6日(日)に、渡邊守章追善公演「春秋座―能と狂言」が開催されます。
今回の上演演目について、あらすじや見どころを舞台芸術研究センター所長・天野文雄にききました。

狂言『武悪』(ぶあく)
_

撮影:オクムラ写真館

_
【ものがたり】
主とその使用人ふたり(武悪と太郎冠者)の物語で、日ごろの武悪の仕事ぶりに不満をもつ主が、武悪を成敗するよう太郎冠者に命じます。武悪は太郎冠者の立場をおもい、素直に討たれようとしますが、太郎冠者は武悪を討ったことにして武悪を逃がします。成敗したという偽の報告をうけた主は、その死を悼みます。その後、主は太郎冠者をつれて東山へ物見遊山にでかけます。実は生きていた武悪が主と出くわしそうになり、急遽、亡霊に扮した武悪は・・・。

【ポイント】
狂言は、台詞劇で、台詞を中心にした笑劇(しょうげき)です。『武悪』では、前半は主と使用人との緊迫したやりとりがつづき、後半に笑いがおきますが、その笑いは表面的なものにとどまっておらず、使用人同士の友情や、命令をしておきながら成敗の報告をうけてその死を悼む主の複雑な心情など、人間が持つさまざまな面を通して人間の本質を描いています。

 

能『弱法師』(よろぼし)
_

撮影:前島吉裕

_
【ものがたり】
舞台は大坂・天王寺。時代は中世・室町時代。主人公は、裕福な家庭にうまれながも、家を追われて盲目の乞食(こつじき)となった高安俊徳。いまはヨロヨロと歩く様から弱法師とよばれています。時は春の彼岸の中日で、境内では施行(困窮する人々に対しての施し)が行われています。目が見えない弱法師ですが、仏法最初の天王寺の恵みをおもいつつ、西の海に沈む夕日をながめ極楽浄土を祈る「日想観」に臨むと、その心眼に、目の前に広がる難波の海の景色がはっきりとみえ、やがて施行の主が父であることに気づくのでした。

【ポイント】
1) 弱法師のつぶやきに、これからの展開が予言されている

弱法師が天王寺の由来をかたるくだりに、

伝へ聞く、かの一行の果羅(から)の旅、かの一行の果羅の旅、闇穴道(あんけつどお)の巷(ちまた)にも、九曜(くよお)の曼荼羅の光明、赫奕(かくやく)として行く末を、照らし給ひけるとかや、今も末世(まっせ)と云ひながら、さすが名に負ふこの寺の、仏法最初の天王寺の、石の鳥居、ここなれや、立ち寄りて拝まん、いざ立ち寄りて拝まん

訳:伝え聞いているところでは、あの一行阿闍梨が皇帝玄宗によって果羅国に流されて、真暗な闇穴道に入ったとき、曼荼羅に描かれているような九曜の星と仏が行く手を輝くばかり照らしてくださったとか。いまは末世とはいえ、さすがにここ天王寺は仏法最初の寺としてそのいまもなお仏徳広大なことで知られていますが、名高い石の鳥居はこのあたりでしょうか。さあ、立ち寄って、本尊の救世観音を拝することにしよう。

とあります。「闇穴道の巷にも」=盲目である現在の弱法師の状況、「九曜の曼荼羅の光明」=これから弱法師が心の眼で、沈みゆく夕陽の風景をしっかり見ること、が予言されています。

2) 二つの奇跡をおこした天王寺という場・祈りのちから

弱法師にはふたつの奇跡が起こります。一つは、盲目ながら心眼によって難波の海に沈みゆく夕陽がみえたこと。その海のかなたには極楽浄土があるのです。もう一つは父親との再会です。
これらの奇跡がおこった天王寺という場は、聖徳太子ゆかりの、法隆寺とならぶ日本最古の寺で、『弱法師』が作られた室町時代には、困窮した人々が救済をもとめて集まっていました。二つの奇跡は、天王寺という場の持つ力と、弱法師の「祈り」の結果という構造になっているのです。

 

 

天野文雄
1946年、東京都生まれ。専門は能楽研究。大阪大学名誉教授。国際高等研究所副所長、文化庁関西分室長を経て京都芸術大学舞台芸術研究センター所長。早稲田大学法学部卒業後、国学院大学大学院文学研究科修了。著書、『翁猿楽研究』で第18回観世寿夫記念法政大学能楽賞、『世阿弥がいた場所―能大成期の能と能役者をめぐる環境―』で第40回日本演劇学会河竹賞を受賞。『能に憑かれた権力者―秀吉能楽愛好記―』、『現代能楽講義』、『能苑逍遥』(上・中・下)、『能楽名作選』(上・下)、『能楽手帖』、『能を読む』全四巻(共編著)ほか。