鼓童 中込健太さん&前田順康さん
インタビュー【前編】
今年で創立41年。幅広い年齢層で構成される鼓童。2007年よりメンバーとして活動し、パワフルな演奏スタイルと共に中堅としての役割を担う中込健太さん(写真右)と、2017年よりメンバーとして活動し若手として作曲や外部指導など活動の幅を広げる前田順康さん(写真左)。今年12月に春秋座で開催される『鼓童ワン・アース・ツアー2022〜ミチカケ』にも出演するお二人に、鼓童についてそして『ミチカケ』公演についてお話をうかがいました。
―前編―
・ 鼓童に入るきっかけは、思わぬ出来事から
・ お互いを紹介しあってください
太鼓以外にも幅広い興味を持つ
道を開いてくれる存在
・ 研修所の思い出
やっぱりプレイヤーになりたい
何もないところから生まれること
・ 後編
鼓童に入るきっかけは、思わぬ出来事から
― 中込さんが鼓童に入団されたのが2007年、今年で入団16年目、前田さんは2017年に入団されて今年で6年目とのことですが、改めて、お二人が鼓童に入ったきっかけを教えていただけますか?
中込 僕は小学校の時に太鼓を始めたのですが、きっかけは学校の音楽の先生が授業で鼓童のレーザーディスクを見せてくれたんです。
その時は褌(ふんどし)で叩く姿を見て、「褌~!!」ってゲラゲラ笑ってたんですよ。やっぱり小学生はお尻が出たら笑ってしまいますからね(笑)。その時、和太鼓を叩いた感触がとても良くて「うわっ、面白い! もっと叩きたい」となったんです。そうしたら先生が、教え子がやっている太鼓のチームがあるよと教えてくれたので始めたんです。
― それまで興味のある楽器はあったのですか。
中込 なかったですね。実は一回、ピアノをやったんですが途中で嫌になって全く練習しなかったら、最終的に先生も困ってしまって(笑)。それで「何か弾きたいのはある?」と聞いてくれたので「ロッキーのテーマ弾きたいです」と何ヶ月かロッキーのドゥードゥドゥ ドゥードゥドゥ ドゥードゥドゥドゥ♪ (歌う)だけを練習して辞めました(笑)。途中からサッカーとか外で遊ぶ方が楽しくなってしまったんですよね。体動かす方がいいなと。
― そんな時、和太鼓を打って快感が得られたと。
中込 体にガンッ! てくる感じがよかったんですね。それで高校生の時に地元のホールに鼓童が来たので観に行ったらパンフレットに「研修所があります」って書いてあって。それで応募したんです。 ※鼓童メンバーになるには鼓童文化財団研修所を修了する必要があり、入所するためには受験が必要
― 前田さんは?
前田 僕は、ゆとり世代の中でもドゆとりなんですよ(笑)。小学生の時、ゆとり教育の一環で「総合的な学習の時間」ができ、音楽の授業に邦楽が入り、さらに町が太鼓を購入していたことが合わさって音楽の授業で和太鼓をやったんです。
その時は、それで終わりだったのですが、1年ぐらいして町の文化祭で同級生が和太鼓を演奏しているのを見て「俺の方が上手くできる気がする!」って思って。それで地域の太鼓のグループに入ったんです。僕も健太さんのように他にもいろんなことやったんですが、太鼓だけは辞めませんでした。
― それがいつ鼓童に入ろうと?
前田 鼓童は小学生の時から観ていましたが、入ろうと思ったのは高校卒業ギリギリの時です。僕はずっと教員を目指していたのですが、そのまま大学へ行くのもなんだか微妙だな、どうしようかなと迷っていた時、実は春秋座で鼓童を観たんです。
というのも当時、叔父が京都造形芸術大学(当時)で働いていたので、「進路に迷っている」と相談をしたら「うちの大学で鼓童やるよ。大学がどんなものか見るのと同時に鼓童も観れるから京都に遊びに来いよ」って言ってくれて。それで熊本から京都に来て『伝説』※を観ました。 ※鼓童 ワン・アース・ツアー2013~伝説 春秋座における第一回目の鼓童公演
中込 じゃあ、あの時、客席に?
前田 いました。実はその頃から教員になるのはやめて京都造形芸術大学(当時)に行くのもいいなとも考えていました。和太鼓部もあるし、舞台のことも勉強できるじゃないですか。裏方もいいかもと思って。それに造形やアートにもちょっと興味があったので。それで春秋座で鼓童を観たら「やっぱりいいなぁ。もしかしたら僕はこれがやりたいのかもな」と研修所を受けたんです。
でも研修所を出てプロになる気はありませんでした。というのは、この人たちがやった研修を受けてみたと思ったのと、研修所を出た後で大学に行って教員になれば多分、いい教員になれるぞと思ったんですよ。
― でも研修所に入ったらプロになりたくなってしまったと。
前田 そうですね、プロになりたいというより鼓童の人たちと関わる中でこの人たちと一緒に仕事をしたいと思うようになりました。だって研修中に会社の雰囲気を2年間も見ているわけですから、これから新しい社会に出て嫌なやつと仕事するかもしれない可能性よりも、こんなにいい人たちがやっているこの会社に就職すればいいじゃんって。
― でも、鼓童のメンバーになると舞台で観ていた中込さんと一緒に仕事をすることになるんですよね。
前田 はい。それは楽しそうじゃないですか。多分、他の人と目線が違うというか、僕からしたら、この人らが僕の上司になるんだなっていう感じでした。鼓童が大好きで入ってくる人は先輩後輩という間柄になろうとしますが、僕はこの人と一緒に何かを作ることがしたいと思ったんです。ちょっと生意気ですね。
― 今の話を聞いて、いかがですか?
中込 あー、なるほどと。なんだか彼には気を遣わないというか、彼とは僕も一緒に仕事をしてるという感覚になるんです。それに「こんな面白いものがあったよ」と教えてくれたり、すごくフラットな感じなんですよね。
前田 健太さんがこれは面白いって思うだろうなという所と僕の好きなものが被った時、「これ、面白くないですか!」ってLINEで動画や写真送ったりして。こういう関係ができないグループだったら多分、僕はもう辞めていたかも。
僕が入る前がどういう空気かわかりませんけど、今は本当に自由ですね。それは多分、それぞれがちゃんとできているからなんでしょうね。ほっておいたらダメという奴らじゃなくて、自分たちでできるよねと思ってもらえているんでしょうか。
太鼓以外にも幅広い興味を持つ
― それではお互いに相手のことを紹介していただきたいと思うのですが、中込さんから見て前田さんは10期下になりますが、どのような方ですか?
中込 ヤスくん(前田のこと)は最近、演出もしていますし、曲を書くこともできるプレイヤーですね。いろいろな音楽にも興味があって、そういう話をよくしてくれるので、これからどんなもの作っていくのかなとすごく楽しみです。
前田 すごく真面目な感じに聞こえますね(笑)。
中込 そういえば公演で京都に来た時もいろんなお店に行くよね。
前田 ギャラリーによく行くんです。作家さんが作るものが好きというか。今、着ている服も作家さんのなんですけれど誰が作ったのか分かるものが好きなので、その延長で小さいギャラリーとかに行くのが好きなんです。京都はそういうところが多いし、やっぱり芸術系の大学も多いですからね。
― それは昔から?
前田 鼓童では太鼓を叩くのに付随した様々なことに触れる機会が多いと思うんです。坂東玉三郎さんが演出された時もそう感じましたし、うちの代表の船橋裕一郎の演出を体感しても思うのですが、やはり演出ひとつとっても単純に太鼓を叩いてるだけの人では作れないなと感じます。太鼓以外にも広く興味がある人じゃないと良いものは作れないなって。
健太さんもすごく本を読まれますが、本でもいいし、絵でもいいし、太鼓ではないところから世界を見られる人が良いものを作るなって。だから自分もできるだけそういうものに触れたいと思うんです。
それにせっかく旅をしてるので、色々な土地で刺激を受けたいなと思います。
道を開いてくれる存在
― 前田さんから見て中込さんはどういう方ですか?
前田 健太さんは鼓童の看板ですからね。ポスターのビジュアルになるぐらいの立ち位置を確立された方なのに脇道がめちゃくちゃ多いというか、ありとあらゆるものに興味があり、加えて同じく鼓童の住吉佑太さんとユニットを作って鼓童の舞台とは違ったテイストの楽をやったりされている。鼓童の看板である人が自分のやりたい音楽をしたりソロ活動をしながら鼓童の舞台と両立して成功させてくれてるので僕らが続きやすいというか。
今までは僕みたいな20代のメンバーが1人で「こういうとこやりたいんですけれど」と言っても多分、相手にされなかったような話でも、今は「僕はこういうことに興味がある」と言うとやらせてもらえたりするので、その道を作ってってくれてる存在ですかね。
中込 僕としては自分なりのものを作りたいと思いながら、まだちょっとずつ模索してる感じですね。でも鼓童本体の活動でしっかりやっていなかったら外でやっても自信がなかったと思います。
それに外から帰った時に、みんなの音がすごく新鮮に感じることがあるんです。この行ったり来たりが自分の中でいいんだなって。メンバーとの関係もいつも新鮮に思えますし、どんなに若い人でも1人の プレイヤーとして尊重できますし。自分にとって今は、いろんな人と関わることが大切なのかなと思います。
― 鼓童には中込さんをはじめ、いろいろなタイプの演奏者がいらっしゃるので、若手の方は「この人のようになりたい」と意識されたりするものなのですか?
前田 「鼓童の太鼓」がやりたくて来るメンバーの中には「この人みたいな太鼓打ちになりたい」というのを追求している人もいます。僕は、いろんな人がいることが鼓童の良さだと思っていて。それぞれの方向に向かって頑張っている人たちが集まって舞台を作るのが鼓童の面白さだなと思うんです。だから「みんなでこれを目指しましょう!」 って方向を決めない方が集団として続いていけるだろうなと思っています。
中込 僕はいろんな先輩に本当に可愛がってもらいましたし、若い時はそういった先輩を見ながら自分はどういうプレイヤーになるかをすごく考えました。でも、やっぱり僕は誰々みたいに…というのはできないんだなと思うに至って。叩き方1つにしても同じようには叩けないですしね。
― それぞれの方向に向かって各々で頑張っているのに、舞台で統一感が出るのは素晴らしいことですよね。
前田 それはリスペクトですよね。先輩はもちろん後輩でも自分のやりたいことがあって、それをやっているんだなというのが見えると1人のプレイヤーとして尊敬します。
― 前田さんは最近、交流学校公演などでチームリーダーと構成を担当されていますね。どうやってそのチャンスを掴んだのですか?
前田 僕は鼓童に入って5年目なのですが、入った時から演出をしたいとお願いしていたんです。とはいえ入ってすぐにはできないじゃないですか。それで「まず曲をいくつか書いて採用されるところから始めたら?」とアドバイスを受けたので、例えばちょっとした雑談の中で演出家が「こういうのやりたいんだよね」という話しているのを聞いたら、それに合う曲を書いて次の日に「これ聞いてみてください!」って渡して。そういう小さいことを積み重ねていたら、たまたまという感じでしょうか。
先ほど僕はギャラリーによく行くと言ったのですが、ギャラリーは空間の中で絵や写真をどう配置するかで、そのギャラリーのセンスが問われるじゃないですか。それと鼓童の舞台はすごく似てるなと思っていて。すでに出来上がってる何かを使って突拍子もないことやるのではなく、その場所や時間、来てもらいたいと思ってる人に合わせて構成していく作業だと思っているので、演出っていうとあまりピンと来ないんですけれどね。
研修所の思い出
やっぱりプレイヤーになりたい
― 先ほど、研修所の話がでたのですが研修所では何が一番、印象的でしたか? 10期違うとなると感じ方が全く違うと思うのですが。
中込 うーん、僕はやっぱり大変でした。それまで合宿もあまりしたことがなかったので最初は集団生活がすごくしんどくて。でも、いろんな人と関わる中で少しずつ、もっとこうしたいというのが見えてきたら面白くなってきました。
鼓童文化財団研修所。ここで2年間の研修生活を送る(写真提供:鼓童)
でも、夢を持って来たのに日々の暮らしの中で夢が分からなくなってくるというか。壁にぶち当たったり、ここで何をしているんだろうという気持ちに負けそうになったりする時もありました。特に研修所では「どういう人になりたい?」「 どういうプレイヤーになりたいんだ?」と問われ続けていたんですけれど、そんな状態なので「もう分からないー!!」って(笑)。そうやって過ごしていているうちに、「あれ、本当にプレイヤーになりたいのかな? 」なんて思ったりして。
研修生から準団員に上がった時もやっぱり分からなくて。ツアーにもつけず舞台監督の補佐に入って小物を作ったり、演奏者が動きやすいように手配をしたりしているうちに、それが面白くなってきて、こっちで行こうかなとも考えた時もあります。そういう風に頑張ろうと思っても上手くいかないことも沢山あるんだなというのを研修所時代から準団員の頃に知りました。
― その苦しい時代をどうやって乗り越えられたんですか。
中込 やっぱり先輩やいろんな人と話をしたり、一緒に演奏したりする中で「やっぱりプレイヤーが面白いな」「舞台やりたいな」と思うようになってプレイヤーの方にビューって気持ちが向いました(笑)。
― 先ほど研修所では集団生活が大変だったとおっしゃいましたが、まさに集団生活では人間関係が大事ですよね。
中込 そうですよね。最初はそれがしんどかったのですが、なんだか面白くなるんです。いろんな人がいて、そういう人とどうやって上手くやろうか考えるのが面白くなるんですよ。
何もないところから生まれること
― 前田さんは研修所で印象的だったことは何ですか?
前田 何もないことの良さみたいなものを知れたことが良かったなと思っています。携帯もパソコンもないし、テレビも見ないですし。
自然豊かな佐渡島
― 鼓童の研修所はパソコンや携帯の持ち込みはダメなんですよね。前田さんが研修所に入ったのは2014年とのことですが、その頃は日常生活の中でパソコンや携帯は必須アイテムでしたよね。
前田 研修所に入って1週間ぐらいは「あ、右のポケットに携帯が無い!」 みたいなのがありました。でも、その何も無い中で生活をするのがすごく楽しかったんです。だって今はちょっと暇だなと思ったら携帯を開けちゃうじゃないですか。でも何も無いからこそ何かを見たり、ぼーっとできたりするんですよね。
研修所では楽器の音を出していいのは夜10時までなんですが、部屋に帰った時にぼーっと外を見ていると、そのうちに耳が慣れてきて風の音とかが聞き分けられるようになってくるんですよ。
― そうなんですか?!
前田 なってくるんですよ。やってみたら分かると思います。後に自分が何かを作るためにはすごく必要な時間だったなと思います。何もないことから何かが生まれてくるんだなって。
あと毎日、同じ時間に起きて、同じ人と過ごして、何時から走って、何時からご飯を食べて、何時から太鼓を叩く―― と日々、同じことやっているからこそ分かる自分の精神状態の変化が面白かったんですね。
今日は何をしたから、昨日飲みすぎたから調子が出ないとかじゃなくて、毎日同じことをしているのに調子の良い悪いがあるじゃないですか。その発見が面白かったですね。人間ってこんなに不安定な生き物なんだなって。多分、普通に学生をしていたら気づけなかったです。それが何だということではあるんですが、それが今、舞台を作る上ですごく役立っていて。そういう人たちに向けて舞台を作ってるんだなって思って作ってます。
例えば雨の日に劇場に来てくださった方たちは不快な気持ちで来られたと思うんです。でも雨の日に来てくださった方、すごく晴れた日に来てくださった方、いろんなお客さんがいるけど演奏を聴いた後に味わってほしい満足感は一緒じゃないですか。そういう思いで演奏したいという考え方になったのは研修生活のおかげかなと思います。
2022年12月3日(土)、4日(日)13:00 開催!