「大学の劇場」で経験できたこと
等々力静香さんインタビュー
2024年3月、京都芸術大学 舞台芸術学科 演技演出コースを卒業した等々力静香(とどろき しずか)さん。在学中は舞台芸術学科の授業だけでなく舞台芸術研究センターのプロジェクトに参加したり、自主企画公演を行うなど精力的に活動。卒業後の4月からはCOCOON PRODUCTION『コクーン アクターズ スタジオ』第1期生として活動しています。京都芸術大学や舞台芸術研究センターのプロジェクトを通して、舞台人としてどのようなことを学んだのか。お話を伺いました。
聞き手:舞台芸術研究センター制作スタッフ
劇場が大好き
— 今日は、等々力さんが京都芸術大学に入学して、さらに京都芸術劇場との関わりの中で、どんな経験ができたのか、何が役に立ったのかを伺いたいと思っています。
そもそも京都芸術大学の舞台芸術学科を選んだ理由は何だったのですか。
私、中・高一貫校に行っていたのですが、そこで演劇部だったんです。でも大会などに出る中でもっとプロのレベルを勉強しなきゃダメだ。演劇を勉強したいと思うようになって。もちろん芸能事務所に入って演技を続けることもできたかもしれないけど、そうではなくて演劇のシステムを理解したいと思ったのがきっかけです。
それで母と調べたら京都芸術大学の存在を知ったんです。なにより魅力的に思ったのは、この大学の教員や卒業生には第一線で活躍してる人たちが沢山いること。そして春秋座の存在がすごく大きかったです。プロも使っている劇場がすぐ近くにあり、授業でも使えるというところに惹かれました。
私は3歳からバレエを習っていたのもあって劇場が好きなんです。舞台裏とか、 舞台上に吊られているものをずっと見ているのが好きなんですよね。学校説明会は春秋座だったのですが、その時も話を聞きながら上の方とか、客席を見渡しちゃって(笑)。それからstudio21。ブラックボックスという劇場の形式があるのもその時に初めて知りました。
— 学科では演技と演出を勉強したんですよね。
はい。高校の時は役者と演出もやっていたので、大学の4年間で演出をやるか役者をやるかを決めようと思っていました。
― 演出をやりたいと思ったきっかけは何だったんですか。
高校演劇のコンクールに生徒講評委員というのがあるんです。各校1人ずつ委員を出して他校の芝居を講評するのですが、その委員をやっていました。そこで「自分だったらこうするのに」「この舞台のこういう特徴をもっと使ったらいいのに」ということを話していたんですね。その時にロジカルに話す中で、だんだん演出に興味が湧いてきたのかなと思っています。ですから“等々力静香のオリジナリティ”みたいなのは、その時から出始めてるんじゃないかなと思っています。
学校によっては顧問が演出をしたり脚本を書いたりするところもありますが、私が行っていた学校は生徒主体で、生徒が脚本を作って、演出をするんです。生徒だけである程度やってからOGや先生に見てもらう感じだったので、誰かが演出をしなくてはいけない。しかも部長は絶対、演出をやらなくてはいけないという制度だったんです。
それで部長だった私が演出をすることになったのですが、高校の時は同期がいなかったので私が企画し、原案を書きました。
— どんな作品を書いたのですか?
伝統ある母校の歴史をを舞台化したいなと思ったんです。そこで1920年、戦時中の1945年、そして現代、という3本仕立てにして、先生にアドバイスをもらいながら書きました。そうしたら、私たちの部は弱小だったのですが県大会に行けることになったんです。
その時に演出って楽しいなと思うようになりました。自分の好きな作品が作れるのは楽しいなって。自分が好きなものが詰め込めるじゃないですか。
そのお芝居は今も代々受け継がれてるみたいで、毎年、上演されています。
— なるほど。それで大学へ入って演出も学ぶことになるんですね。入学してから春秋座の舞台に上がったのはいつだったか覚えていますか?
1年生の前期は新型コロナ感染症の影響で授業がなくて、初めて上がったのは夏季集中授業の春秋座研修ですね。その次が創作基礎というグループ作品を発表した時。3回目が『更地』のワークショップで、2年生でした。
― 『更地』のワークショップは学生だけじゃなくて、子供から大人まで参加して台本を読むというものでしたね。その時に卒業生で演出家として活躍されている 杉原邦生 さんに初めて会ったんでしたっけ。
はい。以前から学科で邦生さんの話は聞いて知っていました。印象的なのは、邦生さんは年間何百本も舞台やドラマを観ているということ。だから私も邦生さんのマネをして、まずは年間100本を観て感想をメモをするようにしました。そして年々、観る本数を増やしていったんです。だって成功してる人のマネをせずに、どうやって成功すんねん! と思って。だから初めてお会いした時は「あ、邦生さんだ!」って感動しました。
森山開次さんから学んだこと
— そうなりますよね。それが2年生の時。その次は森山開次さんが振り付け・出演し、京都芸術大学の学生ダンサーも出演した 『LIVE BONE』 でダンスリーダー的な役割をしてくれたんですよね。
私、バレエはやっていましたけれど小学校の中学年くらいまでしかやってなかったし、 自分はダンスができる人という認識はなくて。でも学科の平井愛子先生に「このプロジェクトに参加してみない?」って声をかけてもらったんです。それで、森山開次さんとクリエーションができるんだったら、ぜひやりたいと飛び込みました。それなのに、まさかのダンスリーダーになるという。
― 等々力さんは来た時からリーダー感がありましたからね(笑)。なにより話す言葉をきちんと選んだり、考えながら話を聞いているんだろうなというのが伝わってきました。あの時は3年生ですよね。まだ2年生でstudio21での授業発表公演をやっただけで、本数をこなしていないのにすごいなと思いました。
学科ではまだ1本しか作品を作っていなかったのですが、実は私、自主企画をめちゃめちゃやっていたんです。この間、数えたら4年間で15本やっていました。だから集団制作をする上での動き方みたいなのが多分、分かっていたのだと思います。
というのも2年生の授業発表公演の時、自分のペースと違う人たちに「もうちょっと、ちゃんとした方がいいんじゃない?」というようなことをパッと言ってしまって、空気が悪くなって上手くいかなくなった経験があるんです。それで人には伝え方があるんだなということに気がつきました。
高校生の部活では自分が最上級生だったので、後輩に思ったことをそのまま注意しても通用しますけれど、同期は違いますよね。とはいえ、そもそも集団制作する上での伝え方や向き合い方があるということに気づいて。それ以降は、結構いい向き合い方ができるようになったかなと思います。
— なるほど。それを実践してきたわけなんですね。
だって芝居はチームワークが全てじゃないですか。役者だけでなくスタッフも含めたチームワークの良し悪しが作品に全部出ると思ったから。だから役者として芝居に関わるというよりも、人として芝居に関わるようになりました。
— 『LIVE BONE』では森山開次さんと関わることが多かったと思いますが、開次さんのアーティストとしての姿勢の中でどの部分が勉強になりましたか。
一番は開演するまで作品を磨き続けるのを諦めない姿勢ですね。そこにすごく感銘を受けました。「目」のシーンは最後まで(形が)決まらなかったのですが、毎回、稽古の最後に「あのシーンをまたやりたい」と何度もされたり、本番直前まで作品を磨こうとする姿がとても印象に残っています。私にも「もっとこうできるよね」とアドバイスもくださって。
やはり舞台はある程度完成するとそのまま維持することを考えてしまいがちですが、幕が上がる直前まで細かく改善しようとされるんですよ。だから私もそれ以降はそうしなくては、そうするのが当たり前でいたいなと真似しています。
それから他のセクションの仕事を立てるということ。その仕事を役者が舞台上で引き継がなくてはいけないということも勉強させてもらいました。それまで衣装というのは役を助けるもので、舞台に出るからきれいな格好をするという感じで着ていましたが、そうじゃないんだって。
『LIVE BONE』の衣装はひびのこづえさんが担当されたのですが「この衣装をもっと美しく見せるためには、こう動かなくちゃいけない」、音楽の川瀬浩介さんが作る「この音をもっと活かすように動かなくちゃいけない」ということに気づかされました。
“FACE” と言う顔を表現するシーンで、私は鼻のパーツを持って踊っていたんですけど、あれは針金になっているので色々と動くのが面白いのかなと思って、ぐちゃぐちゃ動かしてたら開次さんに「それは全然、美しく見えないよ。これは1個1個、ひびのさんが作った作品だから、 それを僕たちがちゃんと生かさなきゃダメだよ」と言っていただいて。さらに「ここを持った方がきれいなんじゃない?」とアドバイスもくださいました。
小道具や美術が良く見えるように動かなくてはいけないというのが勉強になったので、それを今、私が演出する際に役者に言ったり、自分が役者をする時に気を付けています。
— お客さんの反応は覚えていますか?
最初に骨のコスチュームを着た開次さんが通路から出てくるので、「子供たちは怖くないかな、大丈夫かな?」 と心配していたんです。でも、開次さんの即興力、対応力で会場から笑いが起きて。最後にはお客さんも踊っていて素晴らしかったですね。
でもあの時はまだ客席との一体感みたいなものを感じる技術は私にはなかったかもしれないです。 自分のことでいっぱいでした。最近やっとお客さんとキャッチボールができるようになってきた感じがします。ですからあの時の客席のことはあまり覚えていなくて。
― お話を伺っていると、各企画で自分が何をやったか、それはできたか、できなかったのかをきちんと整理してから前に進んでる感じがします。
ですから、きっとその次の3年生ミュージカルクラス公演 『FAME Jr.』 でも何か得るものがあったんじゃないかなと思うのですが、いかがでしたか。等々力さんにとっては春秋座での初ミュージカル公演でしたよね。
はい。私はシャーマン(教師)役として出演したのですが、何度も廻り舞台に乗って登場するんです。廻りながら他の役のみんなは大丈夫かなって心配していました。
— 廻り舞台は注意しないと事故に繋がりますからね。
はい。だからこそ舞台に立つことの緊張感を忘れちゃいけないと思いながら演じていました。
でも、廻り舞台という機構に関われたのは良かったです。廻り舞台がある劇場って、なかなか無いですから。
それから、この作品が3年生までの中で一番、同期とのコミュニケーションが上手くいった作品でした。
— そうだったのですか。
この時は演出助手がいなかったので(指導に入られていた)小林香さんに「等々力さん、演出助手的なことやってもらってもいい?」と言われたんです。それがシャーマン役と重なったというか。以前、急に上から物を言って、みんなとギスギスしまったことの反対で、この時はシャーマンという先生的な役柄を利用して、みんなをまとめたんです。これだとみんな違和感なく受け入れてくれました 。でも、それが小林さんの狙ったことだったのかなとは思ったんですけれど。
— この時に演出助手的な役割をしたのは、良い経験だったんですね。その次が 猿之助と愉快な仲間たち・第3回公演『ナミダドロップス』 ですね。あれはアンサンブルとして限られたシーンでの参加でしたが、 歌舞伎役者さんと出るのは貴重な経験だったと思います。
『LIVE BONE』の時は学生ダンサーズとして参加していたので、この時、初めてプロばかりの舞台に混ざる体験をしました。そして舞台と客席のコミュニケーションが大事ということも学びました。それまで私は舞台に立つ時は完全にお客さんをシャットアウトして、「第四の壁」を意識して芝居をしていたのですが、この時は壁を取っ払ってみたんです。
下段右端が等々力さん
お芝居の中で学生が変顔をし、それを見てが学生がヤジを飛ばすシーンがあるのですが、その時、猿之助さんに「お客さんが笑う間がない」と指導してもらったんです。この舞台はツアーになっていて、学生は春秋座だけの参加だったので私たちは東京の初日映像を観ながら、それに合わせて稽古をしていたんです。でも、役者さんたちは舞台を重ねていくうち、客席の反応を見ながら間を変えていくんですよね。それもあってダメ出しを受けてたのだと思います。
— 稽古の時はお客さんがいないですからね。
とにかく私たちはテンポがとても早くて、いつも「早い!」とおっしゃられるのですが、お客さんが笑う間(ま)、そのタイミングの早い、遅いが全くつかめなくてまま春秋座での初日を迎えました。しかも私が最初にヤジを飛ばす役だったんです。それで分からないながらも、学生が変顔をした時にちょっとだけお客さんの方を見てみたら、最前列の人が拍手をしていて。それを見て「あ、これか! このタイミングなのか!」と。
でも、この時は上手くリアクションできなくて、すぐに(ヤジを)言っちゃったんです。この時、もう少し間を作ったらもっと拍手が出たり、「学生やるじゃん」みたいな雰囲気が作れてたのになと思って。
そこで、お客さんのテンポに合わせて芝居をしてくことを知りました。その経験が卒業制作公演の『まほろば』にめちゃめちゃ、いきています。
― その次はもう卒業制作作公演の 『まほろば』 になるわけですね。この舞台は観ていて、座組がとても上手くいっている。歯車があってるという感じがしました。お客さんも巻き込んで舞台が作れていましたよね。今までお話を聞いて、ここまで積み上げてきたことが生かされたんだなというのが、よく分かりました。
もう、その通りです。最初の顔合わせの時に「みんなのこと絶対に傷つけたくないから、私との間のことや座組の間の事、プライベートなことでも何でもいいから、嫌なことがあったらまず私に相談してほしい」って言ったんです。
それに伝える言葉にも根拠があるじゃないですか。「春秋座で経験した時にこうだったからこう思ったんだよね」と話すと、みんな聞いてくれますし。春秋座での経験が作品作りにも、座組作りにもすごく生きました。
それからリスペクトの言葉も伝え続けました。お互いにリスペクトしてやるというのは今や当たり前の話だと思うんですけれど、芝居を作っていく上ではヒエラルキーは生まれてしまいますよね。演出家が作品を作るという意味においては、演出家はジャッジをしていく立場だから強い力を持つのは間違いないわけで。そういう前提がありつつも相手をリスペクトしながら進めなくてはいけないと思えたのは色々な経験があったからですね。
2023年度舞台芸術学科卒業制作公演 等々力企画『まほろば』
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あと私、スタッフワークが大好きなんですよ。照明を吊ったり、建て込んだりするのが好きで。そういう仕事を見るのも好きなので舞台裏にいるとワクワクしちゃう。でも私は技術もないし、好きだとしてもできないんですよね。ですから自分が好きなことができる人への憧れ。私ができない代わりにじゃないけど、お願いしたいという気持ちが常にあります。
マジでかっこいいなって思いますから。スタッフさん全員。 だからリスペクトはどの人にも絶対です。そしてただ思ってるだけじゃなくて表現するだけでも座組の雰囲気が全く変わってくると思うんですよね。
2023年度舞台芸術学科卒業制作公演 等々力企画『まほろば』
2つの劇場から学んだこと
— 京都芸術劇場はタイプの違う春秋座とstudio21という 2つの劇場があることは、演劇を学ぶ学生としていかがでしたか。
劇場の形式に合わせて芝居を変えるとか、演出を変えることが学べたのが、すごく良かったなと思っています。『まほろば』も最初、春秋座でやりたいなと思っていたのですが、枠が1個しかないから他の方に譲って、studio21でやりました。
『まほろば』は床に座るお芝居が多かったから、結果的に観客が舞台より上から見るスタイルのstudio21でよかったなと思っています。ですが劇場に合わせて作品をコーディネートしていくことができたのは、めっちゃ勉強になりました。
— そこに気付けたのは素晴らしいですね。
それに気が付いたのは、杉原邦生さんが『更地』(春秋座で2021年10月に上演)の時にされた「空間演出ワークショップ」ですね。お客さんは下から舞台を観ると演者に対して心理的距離が離れていく。けれど逆に上から観ると距離が縮まるみたいなことをおっしゃっていたことです。
それから「客席から役者を登場させた方が、どんどんお客さんが(舞台と)同化してくよね」というようなことも話されていて。
早速、その年のダンス公演でちょっと取り入れてみました(笑)。
— そういっていただくと劇場としても企画してよかったなと思います。
経験したから分かること
— 今年の年明けからは急遽、松尾スズキ・リアールワークプロジェクト『命、ギガ長スzzz』のサポートメンバーとして参加してもらったのですが、いかがでしたか。
実は『ナミダドロップス』で役者として春秋座に立つのが最後なのは、ちょっと寂しかったんですよ。もう一回、春秋座に立ちたいなという想いもあって。そうしたら、たまたま声をかけてもらって。だから、こんなにも春秋座にお世話になっている人はいないんじゃないかぐらいの私なので、この劇場で得たことを後輩に伝えたいなと思って参加しました。
等々力さんは上段右端
後輩たちと接していると、まるで1、2回生の自分を見てるような感覚があって。公演後の感想や悩みとかも、もうなんだか自分の話を聞いてるみたいで、嬉しいというか、感慨深かったです。それから松尾さんの世界観に入れたというのが、すごくいい経験でした。改めて劇場は演出家によってどんな色にもなるというのを強く実感しました。
自分の力を演劇に注ぎ続けたい
— まもなく卒業ですが、入学する時に自分が思い描いていたことが、どのぐらい実現できましたか。
入学した時に思った以上のことができるようになったと思っています。もちろん関わってくださってる方々の協力があってこそですけれど、こんなにもやりたいことが沢山できるとは想像以上でした。
実はまだ、役者をするか演出をするか決めきれていなくって。卒業制作が終わった頃は演出の方がいいのかな、役者はやめた方がいいかな、なんて悩んだりしていたんです。でも大学で経験した色々な舞台を振り返ると、役者は楽しいから続けたいって思いますし、今は両方やりたいです。なにより演劇を続けたいなっていうのと、もっと日本の演劇を盛り上げたいという大きな夢が漠然とあります。
よく、「劇場はいろんな人が好きな時に集まる広場」みたいなことを聞きますけれど、やっぱり私もそうしたいなって思いますし、なにより劇場と人の距離をもっと近くしたくて。そのために自分に何ができるかは分からないですし、もうすでに先輩方が沢山されていることだと思いますが、でもその一部になりたいなというのがあります。
どんな形であれ、自分の力を演劇に注ぎ続けたいなと思います。
― 楽しみですね!
最後に後輩や、この大学に入りたいと思っている人に向けて一言お願いします。
やったもん勝ち! なんでも有言実行! たまに「有言実行の女」と呼ばれていますが、やればできます(笑)。そういうスタンスで挑戦し続けること。入試も挑戦ですが、合格してゴールじゃないですし、挑戦し続けること。大きい挑戦をすればするほど大きい成長に繋がりますから。 この大学のいろんなことを活用して、自分のやりたいことを磨いていってほしいですね。
あと人との出会いを大切にするべきだなって4年間で気付かされました。大事にしてほしいですね。
— 4年間の中で目の前に来たチャンスをちゃんと掴んで、経験値を積んでいったのだなと改めて感じました。
卒業後は東京ですね。そして、いつかまた出演者でも、演出家でも、先生でもいいですから帰ってきてほしいです。そういう日がきっと来ると思います。
はい! 頑張ります。
— ありがとうございました。